一章 雨乞い(2)
居間のテレビから十二月に訪れる皆既日蝕のニュースが流れている。約百年ぶりの皆既日蝕。
今年は関東から東海地方にかけて見ることができるそうだ。
「おにいちゃん、どうしてわたしが帰るまで蛇さんを引き止めてくれなかったのー!」
夕飯は翅が言ったとおり、じゃがいもと茄子がたっぷりの夏野菜カレーになった。副菜は茄子の煮つけと、アボカドサラダ。居間の小さなちゃぶ台のうえに、麦茶とごはんが所狭しと並んでいる。大きめにごろっと切ったじゃがいもをほおばりながら、空がぶうたれた。ビールに口をつけていた祖父の照が呆れた風な視線をやる。
「おい空。食べるかしゃべるかどっちかにしろよ」
「だっておじいちゃん。蛇さんが来たんだよ。めったにこないんだよ。会いたかったなー」
空はぱたぱたと大仰に手を振った。小学二年生になる妹は蛇ノ井のことが何故か大好きで、あいつが常野にやってくると、蛇さん、蛇さん、とひよこみたいについて回っている。
茄子の煮つけを箸でとって、照ははんと鼻を鳴らした。
「あんなもん何のご利益もねえよ。ったくひとの孫をたぶらかしやがって。おい晴、ちゃんと玄関に塩まいておいただろうな」
「盛っておいたから、安心して。じいちゃん」
「おにいちゃんもおじいちゃんもひどいよ。翅ちゃん、蛇さんとおはなしできた? わたしのこと、なんか言ってた?」
隣に座った翅に向かって、空が尋ねる。うーん、と顎に指先をあてて考え、翅はにっこりわらった。
「今度は阿闍梨餅持ってくるって言ってましたよ」
「あじゃりもち?」
「京都のお菓子です。今日置いていったのは八つ橋。あとではるちゃんにほうじ茶淹れてもらおうね」
「わあ、蛇さんおみやげあるから大好き」
「ねー」
頬を緩ませた空と翅が笑い合う。
「そういえば、じいちゃん」
蛇ノ井の話で思い出すことがあって、晴はスプーンを置いた。
「マーブル頭が神御寮へ来いって。俺、行ったことないんだけど……」
「場所は神保町だな。そういや一度も連れて行ったことがなかったか」
「おじいちゃん、かみごりょうさんってなあに?」
尋ねた空に、「おまえな、前も説明しただろ」と照が息をつく。神御寮。全国の守役の統括機関。大昔からあるそうだけど、今では八人の御寮官のもと、各地の守役のサポートや〈まろうど〉たちの名簿の管理・保管をしているらしい。その御寮官のうちのひとりが――。
「……やっぱり俺が行かないと、だめ?」
何とも言い難く、晴は目を伏せた。言外にこめた感情を読み取って、照が苦笑する。
「嫌なら、翅ちゃんについていってもらったらどうだ?」
「い、嫌とかじゃないけど」
「はるちゃん? 夫婦同伴しよっかー?」
「どうはーん! やーらしー!」
きゃっきゃと翅と空が声を上げる。歳がちがうくせに、この女子たちはいつも同年代の女友だちみたいに騒ぎ合っている。突っ込むのも面倒になって、晴はからになったお皿を重ねて腰を上げた。
「空も運ぶー」
「ひとつずつな」
流し台で袖をまくっていると、空がよいしょ、と背伸びをしてシンクタンクにお皿を置いた。スイッチを入れた扇風機の前で、照がちまちまとビールを飲んでいる。年季ものの箪笥の上には母親の写真。
「おかあさんも八つ橋食べる?」
ちゃぶ台に置いたパックから八つ橋をひとつ取って、空が写真の前の豆皿に移した。いつもと変わらない談笑を聞きながら、晴は蛇口をひねる。
「雨乞いのほうはどうだ? 準備は平気か」
「うん。さっきマーブル頭にも見てもらった」
支度もおおかた済んで、あとはあしたを迎えるだけだ。
「俺もついてるが、基本的にはおまえが対処しろよ」
「わかってる」
「翅ちゃんがいるから問題ないとは思うが……」
照が心配しているのは、晴があちら側のものが見えず、聞こえないゆえだろう。能力の大小はあれ、照も空も〈まろうど〉を感知できる目と耳を持っている。長い常野の歴史を紐解いても、晴のように見えない守役の例はないらしい。
「大丈夫」
水切りした皿を立てかけると、晴は照に目を合わせた。
「ちゃんとやってのけるから、そばで見てて」