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冥婚の少年  作者:
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五章 神問い(2)

 磐の容態は二週間ほどでなんとか落ち着いた。その話を照から聞いたときは、ほっと身体の力が抜けて、思わずその場に座り込んでしまったほどだ。あんなに嫌っていたのに、結局身体がうまく動かなくなるくらい心配していたらしい。


「俺、空にも電話してくる」


 晴はいまだ呼吸器をつけて眠っている磐の顔を確かめる。眠っているはずなのに、眉間に皺を寄せているのがいかにもおやじらしかった。

 病院の通話エリアから、空を預かってもらっている叔母さんに連絡を取る。胸を撫で下ろした様子で、よかったわねえと叔母さんが何度も言った。電話を済ますと、ちょうど対面のエスカレーターから下りてくるみどりちゃんとマーブル頭を見つけて、瞬きをした。


「マーブルあた……蛇ノ井!」

「おやおや、晴くん。ちょうどよかった」


 いつもの和装に黒のインバネスを羽織った蛇ノ井は院内でも明らかに浮いている。常時つけているサングラスのせいもあるだろう。


「見舞いに来たんだけど、ちょうど照くんがいなくてね。この果物パックをどこに置いて帰ろうかと思っていたんだ」


 メロンやパイナップルが山盛りになった果物籠を晴に押し付け、蛇ノ井はみどりちゃんにタクシーを手配するように言った。


「もう……帰るのか?」

「磐くんの寝顔を眺めていても仕方がないですし。わたしは照くんに状況を話しに来ただけだしねえ」

「おやじの、やっぱりあやかしの仕業だったのか?」


 声をひそめて尋ねた晴に、蛇ノ井は薄く笑う。


「その可能性は高いね。すでに聞いているかもしれないけれど、磐くんが携帯する雲外鏡があの場所で割れていた。転倒したときに割れた様子ではなかったから、どうやらあやかしに名問いをしようとして、失敗したらしい。……この意味がわかるかい?」

「ええと」

「磐くんは大変優秀な守役でもあったんだよ。それが名問いに失敗した。それほどのあやかし――、まあ〈てふてふ〉と見てまちがいないだろうね」


 みどりちゃんの話を聞いたとき、頭によぎったことではある。けれど、改めて突きつけられると身がすくむ思いがした。


「けど、なんでおやじのところに……」

「それはわたしもわからない。五年前の常野、次に京都、そして神保町の神御寮。ふつう、あやかしというのは出没時間や場所に法則があるんですけど、どうにも一貫しないんですよねえ。結果として磐くんは食べられはしなかったわけですし。なんなんでしょうね」


 吹き抜けの手すりに腕を乗せて、蛇ノ井は呟いた。蛇ノ井がわからない、というからには本当にそうなんだろう。この男は下手な気休めを言ったりしない。


「まあわたしとて、もう犠牲者を出すつもりはありませんよ」

「……何か、方法があるのか」

「〈神問い〉をします」


 骸骨めいた指先を立てて、蛇ノ井が言った。


「神問い」

「託宣のようなものですよ。〈てふてふ〉の次の出没場所を神に問う。今の時分、ちょうど出雲にはやおろずの神が集まっている最中ですから」

「でもそんなこと、普通にできるもんなのか?」


 吉兆の占いは、常野神社でも小石を使ってやることがある。けれど、女神の神意を読むことは難しく、特定のあやかしの出没場所なんて細かいものはとてもできそうにない。これは晴の力不足が理由ではなく、どの守役でも同じだと言えるだろう。


「できるかできないのかと聞かれれば、わたしならばできる、とだけ。すでに廃れた方法だ。ですが、昔はどこの巫女も、神をその身に降ろして、託宣をしていたわけですから」


 色の濃いサングラスの向こうで、蛇ノ井の金色がかった目が爛と光った気がした。


「御寮官」


 タクシーが着いたらしい。みどりちゃんがパンプスを鳴らしてこちらへ向かってくる。じゃあね、と手すりから離れた蛇ノ井が晴の肩を軽く叩く。見送ろうとした。だって、俺ができることはとても少ない。見えなくて聞こえない俺じゃあ――……。


「はるちゃん」


 腰に両手をあてた翅が晴を見る。いつの間にか背後に仁王立ちしていた幼馴染は、むん、と胸を張ってこちらを見据えていた。その表情が意味するところを理解すると同時に、晴は駆け出して、蛇ノ井の腕をつかんでいた。


「待て!」

「晴くん?」

「俺も連れていってくれ!」


 驚いた様子で瞬きをする蛇ノ井とみどりちゃんを見上げ、晴は繰り返した。


「神問い、連れていってくれ、俺も! 雑用でもなんでもいいから!」


 俺はあちら側のものたちが見えない。声を聞くこともできない。だけど、そんなのは最初からわかっていたことだ。踏みとどまったらだめだ。できることを探せないなら、俺が常野守でいる意味がない。


「連れていってくれって言ったって、君ねえ……。わたしは子どものお守りは御免なんだけど。君、いったい何ができるっていうんだい?」

「……それは」

「〈さにわ〉は翅がやりますよ」


 晴の左手に手を重ねて、翅が隣に立った。ほう?とサングラス越しに蛇ノ井がこちらをうかがう。


「わたしに降りた神の神意を君が解釈すると? わたしとしては、それはうちのみどりちゃんにお願いするつもりだったんだけど」

「翅以上に彼らの声が聞けるひとがこの世界にいるんですか」


 つめたく翅はわらった。


「翅はだけど、翅のぜんぶ、はるちゃんのためにしか使いません。だって、はるちゃん以外の人間は嫌いだから。翅の目も耳も、はるちゃんだけが使えるんですよ」

「君も〈てふてふ〉を追いかけるのかい?」

「はるちゃんがそれを望むなら。だって翅ははるちゃんの奥さんだもの。ないじょのこう、しないと」


 くすっと微笑んだ翅に、蛇ノ井が呆れた様子で息をつく。くつくつと白い咽喉が鳴って、見る間に爆笑へ転じた。


「君らは本当に愉快だねえ。このわたしに物申すとは。まったく若いっていうのはすごいね。どう思います? 照くん」


 わずかにサングラスを押し上げた蛇ノ井が晴の背後に視線を向ける。じいちゃん、と呟いて、晴は無言のまま近づいてくる照を仰いだ。ごん、と問答無用で拳骨を落とされる。


「って!」

「親が大事なときに何やってるんだ、この馬鹿孫!」

「でも!」

「でももへちまもねえ!」


 照の怒声に、ロビーの視線が集まる。それをわずらわしげに見やって、「ったく」と照はこぶしをさすった。


「一歩ずつって言ったのによ。おまえはいつも生き急ぎやがって」

「〈てふてふ〉を捕まえたいんだ。じいちゃんごめん。こんなときだけど、空と家のこと、ちょっとだけ頼む」

「……おまえは」


 勢いよく頭を下げると、半端な間があいたあと、深く息を吐き出す声が聞こえた。まだじんじん痛む後頭部に大きな手のひらが乗る。


「手がかからないくせに、いつもじいちゃんの胃をきりきりさせてよう」

「ごめん」

「結局手がかかる孫なんだもんな。磐くんそっくりだよ」


 ごちるように呟いてから、照は蛇ノ井とみどりちゃんに向き直った。


「事情はわかりました。どうぞうちの常野守をお使いください、御寮官。なにぶん経験も浅く、至らぬ孫ですが、手伝いくらいはできると思いますので」


 そして晴と一緒に頭を下げる。


「や、やめてください、照さん!」


 恐縮した様子でみどりちゃんが照を押しとどめる。一方、対面に立つ蛇ノ井はなかなか動かなかった。しばらく考えこむようにインバネスの下で腕を組んでから、ふっと息をつく。


「まあ正直、翅ちゃんの耳はお借りしたかったところですしね」


 サングラスで隠されているせいでその表情は容易には読み取れない。しかし、考えはまとまったらしい。緩やかに口端を持ち上げ、蛇ノ井は晴に見つめた。


「それじゃあ、お願いしましょうか。常野守。わたしの手足となり、神問いを手伝いなさい」

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