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冥婚の少年  作者:
19/30

五章 神問い(1)

 タクシーで東啓大学病院に駆け付けたとき、手術室のランプはまだ灯っていた。


「照さん! 晴くん!」


 待合室でベンチに座っていたみどりちゃんが化粧っけのない顔で立ち上がる。


「すまなかったな、みどりちゃん」

「いえ、こちらこそ……。空木さんが朝、出勤するまで気付かなかったみたいで……」

「――ご家族の方ですか」


 晴が空の手を引いて待合室に入ると、数名のスタッフを連れた医師が声をかけてきた。義理の父親です、と照がこたえる。


「状況をご説明します。こちらへ」

「晴くん」


 ついていくべきだろうか、悩んだ晴をみどりちゃんが促す。


「空ちゃんは私が見ているから」

「ありがとうございます」


 歩行用の杖をついて歩く照に寄り添って、案内された部屋に入る。さっき病院からかかってきた電話では、倒れた書架の下敷きになっていたところを助け出されて搬送されたという話だった。今はそのまま緊急手術に入っている。

 照の隣にパイプ椅子を倒して座る。医師がパソコンのマウスをクリックして、いくつかの画像を見せた。


「磐くんはその……、大丈夫なんですか?」

「右大腿部や肋骨の骨折、そのほかにもいくつかの骨折が見られます。内臓を傷つけているものもある。それと転倒したときに頭を強く打ったようで……」


 脳のスキャン画像も映される。

 いったいなにが。なにが、起きてるんだ。

 照と医師が話している間も、晴はどこか上の空だった。大丈夫なんですよね、と照が何度も確認していたが、求めている言葉は返らなかった。


「こちらが手術の同意書になります」


 磐の受けている手術に関する説明があったあと書類が渡された。それで家に印鑑を忘れてきたことに気付く。そんなことに気を回す余裕もなかった。


「照さん! どうですって?」


 待合室へ戻ると、空とジュースを飲んでいたみどりちゃんが不安そうに尋ねてきた。照は緩く首を振る。


「長い手術になるらしい。すまなかったな、みどりちゃん。あとは俺たちが付き添うから、事務局に戻ってくれ」

「でも、」


 言い澱んだみどりちゃんに、「タクシー代だ」と言って照が千円札を数枚渡す。


「ったく、地震でもねえのに、なんだってあいつ本棚の下敷きになんか……」

「警察の検証が終わったので、今神御寮のほうでも調べていますが、あやかしの可能性もあるそうです。……御寮官の雲外鏡が割れていたので」

「〈てふてふ〉か」

「それはまだ」


 目を伏せて、みどりちゃんはコートに腕を通した。


「また電話します。何かあれば、いつでも連絡ください」

「ありがとう」


 頭を下げた照に目礼をして、みどりちゃんが晴の肩に触れる。


「晴くんも。気をしっかりね」


 うなずいて、晴はベンチに座り直した。九時前に始まった手術が終わる頃には、夜の七時を過ぎていた。膝に頭を乗せて眠る空に手を回して、こっくりこっくりと肩で船を漕いでいた晴は、慌ただしい足音とストレッチャー音で目を覚ました。照がさっきの医師から何かの説明を受けている。


「あ……」


 磐を乗せたストレッチャーが目の前を過ぎ去り、晴は中途半端に口を開いたまま、それを見送った。磐は集中治療室に運ばれたらしい。手術は無事終わったようだが、予断を許さない状況であるのは変わらないらしく、家族には夜の間もなるべく付き添いをしてほしいと言われた。


「空連れていったんおまえは帰るか?」

「……ううん。俺もここにいる」


 病院にはこういうとき用の仮眠室というものがあるらしい。院内の食堂で空に夕飯を食べさせると、コンビニで子ども用のパジャマを買って、仮眠室の鍵を貸してもらう。


「おにいちゃん」


 スチール製の簡易ベッドに横になった空は、ブランケットにくるまりながら、少し居心地が悪そうに首をすくめた。


「おとうさん、ちゃんと元気になる?」


 いつもに比べたら空はおとなしかったが、子どもなりに心配していたらしい。不安いっぱいの顔で自分を見上げる空の額に手を置いて、うん、と晴は言った。


「大丈夫だ」


 とろとろと目を細めた空がやがて寝入ってしまうのを待って仮眠室を出る。照のところに戻るついでに飲み物を買おうと思って、外の自販機に寄った。缶コーヒーを抱えたまま、なんだか急に歩くのが疲れてしまってひとりベンチに座る。夜闇に白い呼気がするりと立ちのぼった。モッズコートのフードを引き寄せて晴は俯いた。

 いったい何が起きたんだろう。

 現実感がまるでない。この間神御寮会議で顔を合わせたばかりなのに、どうして今おやじ、集中治療室なんかにいるんだろう。あのとき、俺のこと軽々殴り飛ばすくらいおやじ元気だったのに。


「はるちゃん?」


 いた、と澄んだ声が耳朶を震わせた。


「なかなか帰ってこないから、おじいちゃんが心配してたよ。……はるちゃん?」

「……るな」

「はるちゃん」

「来るな、こっちに」


 だって俺は今、たぶんひどい顔をしている。なさけない。はずかしい。誰にも見せたくない。だれにも。


「はるちゃん、泣いてるの?」


 だけど、この幼馴染はそういうことをぜんぜん慮ってはくれないから。

 足元にかがんで翅がそっと晴の顔をのぞきこむ。固く握り締めたこぶしに冷たい手のひらが重なった。ゆるく首を振って、晴は身をよじる。くるしい。息。うまく吸えない。荒く肩を上下させる晴の左手を翅が両手で包み込む。


「だいじょうぶ。だいじょうぶだよ、はるちゃん。息すってして、はいて。はるちゃん、泣くの下手だから、うまく息吸えてないだけだよ。おかしくないよ。だいじょうぶ」

「……や、じが、」

「うん」

「このまま……」


 このまま死んでしまったらどうしよう。


『逃げたくせに!』


 感情に任せて言ったあの言葉が、最後になってしまったらどうしよう。あんなやつ。あんなやつ、どうだっていい。俺がじいちゃんと空を守るから。ずっとそう思ってきたはずなのに、自分でも判別のつかないたくさんの感情が押し寄せて、溺れてしまいそうだった。


「はるちゃん」


 声がする。


「はるちゃん、はるちゃん」


 晴の強張った手のひらに頬をくっつけて翅は目を瞑っていた。……ああ。


(ふれたい)


 焦げ付くように思う。


(ふれたい)


 この熱に。柔らかなぬくもりに。触れることができたらいいのに。気付けば、晴は翅を引き寄せていた。まぼろしのように、そこにいるはずの女の子が溶けて消える。


「はね」


 知っていた。

 抱き締めたら、気付いてしまう。こいつにもう俺は触れられないんだって、左手を繋ぐことしかできないんだって。気付きたくない。気付いたら、いろんなものが壊れて、溢れて、止まらなくなってしまう。だから、気持ちにふたをしてぜんぶ目を瞑っていたかった。俺はこいつが好きなんだって、大好きなんだって、考えないでいたかったんだ。

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