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冥婚の少年  作者:
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13/30

幕間 追憶の森(2)

「……だれ?」

「あたしは〈とこのこのはなめがみ〉の眷属。おまえは常野の子どもだね、少年。そういうにおいがする」


 晴のこめかみのあたりにすんと顔を近づけ、女は言いあてた。


「ここにひとが迷い込むのはいつぶりだろう。とにかく、おまえのような〈まろうど〉は久しく訪れがなかった。少年。何を求めてこの場所へやってきた?」

「翅を」

「はね?」

「常野翅をかえしてほしい」


 思いきって告げた晴に、女はふうむと首を傾げた。額に額をあてられる。焚きしめられた花の香にむせこみそうになると、「ああ、例の蝶まがいが食した子どもか」と女が言った。


「蝶まがいはもうここにはいないよ。目覚めるや女神のかいなを厭うて、逃げ出してしまったから」

「どういうこと?」

「蝶まがいはおまえの探す子どもをのみこんで、どこかへ逃げてしまった。あたしは女神の眷属。女神のかいなにあるものなら、どうにかできないでもないが、逃げ出してしまったものは無理だねえ……。――ああ、だがしかし」


 別のことに気付いたそぶりで、女が唇のあたりに指をあてる。異形めいたたたずまいであるのに、どこか乙女のような仕草だった。


「子どもの魂は女神のかいなにあるようだ。あれは女神がいっとう目をかけた子どもでね……、蝶まがいに食されるのを厭うたらしい」

「翅はどこにいるんだ?」

「女神のかいな……魂たちのかえる場所さ。女神に抱かれた魂はゆっくりほどけて、いずれは女神の一部になる」

「一部……」

「おまえたちで言うところの『死』に近いかもね。おまえたちは個に執着するし、個の消滅をやたらに恐れるだろう?」


 そんな、と晴は呟く。女神の眷属の言い回しは独特だけど、このままでは翅が消えてしまうと言っているのはわかった。


「しかし、あたしは眷属のなかでもいっとう変わり者でね」


 白布の下で女は薄く笑ったようだ。瞬きをした晴の頤を女の五指がつかむ。長く伸ばした爪が、つ、つ、と晴の顎から咽喉にかけてをなぞった。


「久方ぶりの〈まろうど〉だもの。饗応をしてやらねば。少年。おまえが子どもを返してほしいというなら、力を貸してやらんこともない」

「ほんとうに?」

「ここに千の糸がある」


 女が千早の袖を振ると、無数のこまやかな糸が現れた。糸の端は女の手に握られている。反対の先がどこにつながっているかは、晴には見えなかった。


「〈とこのこのはなめがみ〉は縁結びの女神。特別におまえの縁をあたしが結んでやろう。あちらとこちらに分かたれても、離れることがない強力な縁。一度は女神のかいなにかえった魂をおまえのもとに引き寄せる『つながり』さ」

「……翅とまた会えるということ?」

「会えるかどうかはおまえ次第。覚悟ができたら、選べ。おまえの〈妻〉となる女を。機会は一度きりだぞ」


 女の手の中でゆらゆらと無数の糸が漂っている。どれが翅につながっているのか、晴にはとてもわからなかった。迷う晴を女神の眷属はにやにやと見つめている。


「怖いなら、やめてもよいのだぞ。少年」


 誘うように女神の眷属が囁いた。


「たとえ、おまえが望むものを選べても。蝶まがいが盗んだ身体を取り返さねば、おまえは〈妻〉に触れることができない。その歳で女の柔肌も知らずに終わるとは、なんと虚しき人生だろう?」

「――これにする」


 揺らめく糸の一本をつかんだ晴に、女神の眷属はおや、という風に首を傾げた。


「ずいぶん早かったではないか。よいのか、それで?」

「うん。翅はこれだ」


 黄色と緑がほのめく糸は触れると少しあたたかい。これは愉快、とおどけて肩をすくめ、女神の眷属は晴の左手と糸を取り上げる。絹のようにすべらかな糸が晴の手に絡んだ。


「女神の気性は一途で苛烈。一度結んだ縁はそうそう断ち切れない。呪いとなるか祝福とするかはすべておまえ次第」


 歌うように言って、女は晴の左手に糸を結んだ。


「これでおまえと〈妻〉との縁は結ばれた」

「ありがとう。女神の眷属」


 糸を結ばれた左手を右手で包む。すぐには変わったところがわからなかったけれど、どことなく左手があたたかい気がした。女は何故か少し居心地が悪そうに首をすくめる。


「礼には及ばんよ。こちらに迷い込んだ〈まろうど〉は丁重にもてなすのがきまりだからね」

「また会うことはある?」

「いいや。あたしが縁を結ぶのはひとりにつき一度きり。もう二度とおまえがこちらにやってくることもあるまい。〈まろうど〉は稀なる客人ゆえに〈まろうど〉なのさ」

「そう……。なら、あなたから女神に伝えて」


 左手に結ばれた糸をつかみ、晴は女を見上げた。


「いつか俺、必ず翅のなくしてしまった身体を取り返す。そうしたら離縁状に判を押してくださいって」

「不敬な。女神の結んだ縁ぞ?」

「うん。だけど、」


 ゆびきりげんまん、と小指を差し出してきた女の子を思い出す。俺のお嫁さんになりたいって言ってくれた。大好きな女の子。


「翅の手はちゃんと自分の力でつなげるようになりたいから。ごめん、女神の眷属」 


 気持ちをこめて詫びると、一拍の沈黙ののち、くつくつと女が咽喉を鳴らして笑い出す。


「まったく人間というのはこれだから……。見飽きぬわ。すべておまえ次第と言ったろう。やってみたまえ、常野の少年」


 そして光る糸の端をちょきん、と切った。



「う……」


 ずきずきと疼くこめかみに手をあてて、晴は目を開く。見慣れない白い天井が視界に広がり、鋭い薬臭が鼻腔を刺した。何気なく掲げた手のひらが記憶より大きくなっていることに気付く。


「ゆめ……」


 十七歳。今の晴だ。

 寝かせられているのは病院のベッドか何からしい。落とされたブラインドから射し込む外の光が、かたわらで淡く透け入るようにうずくまる少女を照らしている。目を閉ざした少女へ晴は左手を伸ばした。あの日以来、「あちらのもの」に触れられるようになってしまった左手。起こさないようにそっと少女の髪に触れる。ほんのわずかな仕草であったのに、翅は睫毛を震わせ、ほうと相好を崩した。


「はるちゃん」


 甘く澄んだ呼声が響く。


「よかった、起きたね」

「俺、どうして……」

「転んだはずみに、頭をぶつけちゃったんだって。もうどこも痛くない?」

「……頭の横、ずきずきする」

「おっきなたんこぶがあるからねえ」


 のんびりと言って翅は晴の手をにぎにぎした。


「はるちゃんがなかなか起きないから、みんな心配してたよ」

「みんな?」

「空ちゃんとか……、照さんとか。それから夜ちゃんたちも」

「そ、っか」


 何気なく時計を探すと、枕元に置かれた腕時計が午前二時を指していた。電話は明日の朝入れることにして枕に頭を置き直す。


「……てふてふは」


 まるで忌み名に触れたかのように、翅は小さく肩を揺らして俯いた。


「知らない。翅が目を開けたときには、もう何もいなくなっていたから。でも、神隠しにあった子どもたちは、みんな見つかったって。狐憑きのひとのマンションに閉じ込められていたみたい」

「狐憑きのほうは?」


 尋ねた晴に翅は首を振った。見つかっていない、ということだろう。膝元に視線を落とす翅を晴は見やった。ふるえていたな、と思う。翅はあのとき、あやかしの前で珍しく震えていた。寝起きでぼんやりしていたのかもしれない。あちら側に繋がっている左手で翅の頬に触れた。いつもはこんなことしない。晴にあわせて、十七歳の姿でふるまっている翅には決して。たぶん今は昔の夢を見ていたせいで、子どもの頃に戻ったみたいな気分になっていたんだ。

 灰色の眸からぽろりと一粒涙が落ちる。それは見る間に溢れて、とどまることがなくなった。


「……はるちゃん、」


 消え入りそうな声が青闇にささめく。


「はるちゃん、はるちゃん、はるちゃん、」


 こわかったよう、と翅がとうとう泣き声を上げる。こわかった。はるちゃんがもう目を覚まさないんじゃないかって。とってもとってもこわかった。


 背をこごめて泣き出した少女はいつもよりずっと脆い生き物になってしまったように見える。翅はいつもマイペースで、晴の前ではころころ笑ってばかりいる。だけど。だから。この幼馴染の抱える脆さや弱さを垣間見るとき、晴はどうしたらいいかわからなくなる。とても、晴には癒せない気がする。翅の抱えているものなど。何かを言ってやらなくちゃと思うのに、咽喉がくっついたみたいに言葉が出てこない。涙をぬぐってやることもうまくできなかった。ただ手を繋いでいることしか。晴にできるのはいつもただ、それだけなのだった。

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