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冥婚の少年  作者:
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三章 あやかし探し(4)

 茄子とピーマンとひき肉の炒め物に、おあげさんとわかめの味噌汁、トマトサラダとごはん。くたくたになった晴を迎えたのは、西宮のばあちゃんの用意した心づくしの夕飯だった。


「毎日ご苦労さんねえ。先にシャワー浴びておいで」

「すいません……」


 夏の京都は常野以上に蒸し暑い。汗で張り付いたTシャツを脱いで、頭からシャワーを浴びると、だいぶすっきりした。居間では、夜とばあちゃんがごはんを盛って待っていた。夕飯の席に、翅は絶対に姿を見せない。昼のようすが少し気になったものの、「いただきます!」と手を合わせたばあちゃんにならって、茶碗を手に取る。


「それで、どうなん。痕跡ってやつ、見つかったん?」


 ごはんの上に乗せた炒め物をかきこみながら、夜が尋ねた。夜と空はたぶん同い年くらいだ。食べながらしゃべっているところがまるで同じで、晴は思わず苦笑してしまった。


「ぜんぜん。まるで見当たらない」

「じゃあ、あやかしの仕業じゃない?」

「――そのことで相談なんですけど。西宮守に話をうかがうことってできますか」


 ばあちゃんのほうに尋ねると、「隆史たかしに?」と困惑気味の顔をされた。


「この土地を守ってきた西宮守なら、俺とは別のことに気付くかもしれないって思って……。体調がよければ、です。無理は言いません」

「ばあちゃん、連れていってやったら。おやじ、この間俺の持っていったプリンもりもり食うてはったろ」


 ばあちゃんの膝を叩いて、夜が促す。せやなあ、とばあちゃんがうなずいた。


「あんた、よう朝ごはんとか掃除とか、手伝ってくれはったもんな。隆史もあんたみたいな若いのは好きやろうし」


 ばあちゃんの判断基準が今ひとつ守役の話からずれている気もしたけれど、とりあえず話ができそうなのはよかった。あしたばあちゃんが病院へ着替えを持っていくついでに連れていってくれるという。


「ほんまわからんなら、うちの〈くだん〉さんに訊けばええのになあ」


 茶碗に残ったごはん粒を丁寧に箸で摘まんで口に運びながら、夜が言った。


「くだんさん? ああ、予言をするっていう」

「くだんさんの予言は百発百中なんやで。代わりに本当にやばい!って時にしか、生まれてくれへんけど。でも、きのう牛さん世話しとったら、なんや腹に孕んでおったで。たぶん、くだんさんや」

「あんたな。くだんさん現れるのは、やばいときだって言うただろ。そうぽんぽん、くだんさんが生まれてたまるか」


 ばあちゃんが呆れた風に肩をすくめる。そうかなあ、と呟く夜は不満げだ。人面に子牛の身体を持つ〈くだん〉は、戦前に信仰が流行したといわれているが、この予言獣を祀る神社は珍しいそうだ。西宮家の神棚には、墨で書かれた〈くだん〉の姿絵が貼られている。


「次の神隠しも、くだんさんが教えてくれたらいいんだけどな」


 晴はきれいに空にしたお皿の前で「ごちそうさまです」と手を合わせた。


「晴のとこは、山の女神さんなんやろ。見たことないん?」

「俺はないなあ」


 晴自身の問題もあるけれど、翅の目や耳をもってしても、常野女神の存在は透明なひかりのようなもので、捉えることは難しいらしい。守役によっては、対となる巫女に神を降ろして託宣を得る者もいるらしいけれど、常野の家にはそういった術は伝わっていない。


「でも信じとるの?」


 夜が不思議そうに尋ねてくる。


「晴は見たことないし、声聞いたこともないわけやろ?」

「そうだけど、ああ女神さん今そこにいたなあ、ってなんとなく感じることもあるし」

「嘘やあー」

「俺の願い、一個叶えてくれたしな」


 それは慈悲というには気まぐれで、ただ偶然起きただけなのかもしれないけれど。淡く笑むと、晴は空になった皿を重ねて立ち上がった。



 翌日、ばあちゃんと一緒に晴は隆志さんが入院する病院を訪ねた。きのうのうちにばあちゃんから話は通してあったらしい。備え付けのベッドのうえで半身を起こした隆志さんが「こんにちは」と穏やかな笑顔で迎え入れてくれた。


「君が常野守の……」

「常野晴です。宿のこととか、水元さんのこととか、いろいろありがとうございました」


 頭を下げた晴に、「こちらこそ」と隆志さんが手を振る。


「僕が不在のせいで、君には迷惑をかけてしもた。ああ、かあさん、近くの洋菓子屋にプリンを買いに行ってくれんか。生クリームブリュレ四つ」

「あんたはいつもそれやねえ」


 息をついて、ばあちゃんは鞄を腕にかける。ばあちゃんが病室からいなくなると、晴の背中からおずおずと、翅が警戒心いっぱいの顔を出した。


「君は――……」


 翅の「特性」にすぐに気付くのはさすが西宮守だ。軽く目を瞠らせてから、隆志さんは微笑んで、どうぞ、とパイプ椅子を出すように言った。


「晴くん。君らの話は、君が守役になる前から聞いとったよ。いろいろと訳ありみたいやね。君のその左手も」


 翅が握り締める晴の左手に目を向けて、隆志さんは息をついた。翅の表情がみるみる歪む。詮索をことのほか翅は嫌う。固く俯いた翅が何かを言い出す前に、晴は肩の後ろに押しやった。手だけは繋いだまま。


「今日は連続神隠し事件の件で相談に来ました。正直、調査が難航してて。あなたなら、何かわかるんじゃないかって」

「僕でわかることなら、何でも。もともと西宮守が動くべき案件だったのを君が受けてくれはったんや。協力は惜しまんよ」


 ひと月前の交通事故で、右脚を複雑骨折したと聞いた。隆志さんの顔色は悪くはなかったけれど、透き通った膚色が入院生活を物語っている。手短に済ませます、と言い置いて、晴は水元さんからもらった資料を隆志さんに差し出す。この数日で回った失踪場所での様子も話して聞かせた。


「結論としては、あやかしの痕跡は見当たらなかった……と」

「はい」

「ただ、ここに来はったいうんは、君も気になっていることがあるんやろ?」


 見透かすような隆志さんの目に、晴は素直に顎を引いた。


「引っかかっているのは翅が話をしたどのあやかしも、子どもたちを連れ去った人間を見ていないことです。四か所すべて回りましたけど、答えは『覚えていない』の一点張り。これって少し、おかしくないですか?」

「確かに」


 慎重に隆志さんがうなずいた。細い指先が紙をめくる。あやかしの前ではあんなに饒舌な翅も、今は晴の左手を握ったまま黙り込んでいる。静かな病室に紙の音だけがしばらく響いた。


「神隠しを起こすあやかしについては、調べはったんか?」


 尋ねた隆志さんに、「文献をあたったくらいですけど」と晴は言った。


「よく言われているのは山の眷属たち……、山姥とか天狗とか。狐もあったかな」

「けど、山の眷属なら山と里の境で神隠しも発生するはずや。条件からは抜けるな」

「なら、狐……?」

「お狐さんに罰当たりなことしはった言う話はあったか?」

「どう、だろう。そこまでは」


 一般人に過ぎない晴は、被害者の家族と直接話まではできていない。警察も専門ではないから、そういった聞き取りはしていないだろう。ふうむ、と唸って隆志さんは尖った顎をさすった。


「ようお稲荷さん言うやろ。お稲荷さんにはいくつかの神の系統があるんやけど、中には呪力の強い狐さんを祀っとる社もある。もとが祟り神やから、気性が激しい神さんでな。罰当たりなことすると、ひとに憑いて祟る」

「……におい」


 ふと翅が呟いた。


「そういえば、やぁなにおいがしました。どの場所でも、獣くさいやぁなにおい……。常野じゃない場所だからかなって思っていたんですけど……」

「おまえ、帰りに気持ち悪いって言ってたよな。もしかしてそれで?」


 いや。狐が直接残したにおいなら、この敏感な幼馴染が気付かないわけがない。それに、狐のあやかしが事件を起こしているなら、「あやかしは見ていない」という言はおかしい。つまり犯人はあやかしでも人間でもない……。


「憑きもの……?」


 思いついて呟いた晴に、「ありうるな」と隆志さんがうなずく。


「狐憑きにあった人間を前に一度診たことがある。僕にはわからなかったが、うちで飼っている神牛がにおいに反応しとった。なんや独特のにおいがあるらしい」


 それに、と隆志さんは続けた。


「お狐さんに憑かれた人間なら、『あやかしは見ていない』、『人間も覚えていない』というあやかしたちの言葉にも納得がいく。どちらでもないから、ようわからんのやろ」

「じゃあ――」

「隆史!」


 続けようとした言葉は病室に駆け込んできたばあちゃんの金切り声でかき消された。腕にプリンの入った包みを下げたばあちゃんはひどく憔悴した様子で、隆志さんにすがりつく。


「どうしよう。さっきご近所さんから連絡入ってん。夜がいなくなってしもた!」

「夜が?」

「友だちと遊んでいる最中にいなくなってしもうたって。今、警察も探しとる。きっと例の神隠しや。神隠しが起きたんや!」


 声に驚いて駆けつけた看護師さんが、くずおれかけたばあちゃんの肩を支えた。


「どこに行ってしまいはったんやろ……。ちゃんと戻ってくるやろか……」

「落ち着いて、かあさん」


 ほろほろと咽び始めたばあちゃんの背を蒼白な面持ちで隆志さんがさする。


「はるちゃん」


 状況に未だついていけずにいる晴の手を翅が引っ張った。翅に促される間もなく、看護師さんたちによって、部外者の晴は病室から追い出されてしまった。

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