第8話:揺れる村、貫く信念
ご閲覧ありがとうございます。
今回の話では、癒術院からの“通達”を受けて、村とリクトたちが大きな決断を迫られます。
信仰か医療か、従順か信念か──
外からの圧力と内なる葛藤が重なり合い、物語は新たな段階に進みます。
リクトたちが選ぶ「治すことの意味」とは何か。
どうぞ最後までお付き合いください。
王女アメリアを救った一件は、瞬く間に王都中へと広がっていた。
“癒術を用いず命を救った”という事実は、制度の中枢にとっても無視できない“事件”だった。
そして──
俺の元に、王立医療会議から正式な通知が届いた。
>《公的学術講義開催のお知らせ》
>講師:リクト=クレメンシア
>演題:「癒術と科学的医療の並立可能性」
>場所:王立医療議事堂第一ホール
これは、制度が俺を“語る価値のある存在”と認めた証。
同時に、“公然と叩く場を設けた”という意味でもある。
「先生……やっぱり、これって“試されてる”んだよね」
「そうだな。だが、俺はもう証明してきた。“命を救う手段”として、科学は選ばれるに足ると」
講義当日。
会場には、癒術院の幹部たち、王族の代理人、各国の医療使節──
まさに“制度の目”が一堂に集まっていた。
壇上に立つと、空気は張りつめていたが──俺はゆっくりと語り始めた。
「私は“魔力を使わない医療”によって、多くの命を救ってきました。
それは、癒術の否定ではありません。“補完”です」
スクリーンには、ノエルの症例、王女アメリアの経過、村での統計。
すべては事実に基づく“救命の記録”だった。
「魔力で測れない症状がある。
癒術が届かない患者がいる。
ならば、我々は──“届く手段”を持つべきです」
その言葉に、会場は静まり返った。
そして、ひとりの高官が立ち上がった。
「リクト=クレメンシア。君の方法は、癒術にとって“異質”だ。だが、我々が今目にしているのは、“結果”だ」
「王族の命すら、癒せなかった我々にとって──君のやり方は、もはや“排除すべき異端”ではない」
会場の空気が、ゆっくりと、だが確実に変わっていく。
続いて立ち上がったのは、クレイド=バークス。
王立医療会議・制度側の改革派だ。
「提案します。新設予定だった《科学医療部門》に、正式にリクト氏を顧問として迎え、
癒術と非魔力医療の“併用研究”を進めるべきだと──」
拍手は起きなかった。
だが誰も否定しなかった。
──風向きが、変わった。
制度の中で、確かに“融合”の芽が育ち始めている。
講義を終え、控室に戻ると、セリアが満面の笑みで飛び込んできた。
「先生! すごかったよ……! ちゃんと、みんな聞いてた!」
「……ああ。やっと、“対話”が始まったな」
この国の医療が変わるには、まだ時間がかかるだろう。
だが、癒術と科学。
“命を救いたい”という想いだけが、唯一ふたつをつなぐ糸になる。
その糸を、絶やさない限り──この国に、希望は残る。
講義から数日後、王立医療会議の廊下には、張り詰めた空気が漂っていた。
王女の回復、科学医療部門設立の提案──
それらは一部で“新時代の兆し”と歓迎された一方、
制度内の強硬派たちには“許されざる越境”として受け取られていた。
「──君は、やりすぎたのだよ、リクト=クレメンシア」
冷たい声とともに現れたのは、癒術院本部監査官・ゾルダン。
表には出てこなかったが、制度の“監視者”として恐れられる存在だ。
「王族の命を救った? だからといって制度を脅かす存在を、我々が許すと思ったか?」
「俺は、命を救った。それ以上でも以下でもない」
「制度とは“秩序”だ。たとえ結果があっても、そこに“違反”があれば潰す。それが法の均衡だ」
言い換えれば──“命より秩序”。
それが、この国の医療制度の最も深い“病巣”だった。
その夜、研究塔の一室で、俺たちは重大な通達を受けた。
>《癒術院の正式提議により、科学医療部門の設立は保留。
>また、リクト=クレメンシア氏の医療活動に対し、
>“全患者記録の提出と監督者の常駐”を義務づける審査処分が決定。》
「……事実上の“締め付け”だな」
ライナは歯噛みしながら言った。
「制度は“否定”しきれなくなったら、“囲い込み”に出る……これは、完全な防衛本能です」
セリアが声を上げた。
「ひどい……先生はずっと、命を救ってきただけなのに……!」
「だからだよ、セリア。
“救った命の数”が制度にとって都合が悪い。
癒術で救えなかった命があることが、何より制度を脅かすからな」
そのとき、施設に使者が駆け込んできた。
「リクト先生! 至急来てください! 急患です!」
搬送されてきたのは、貴族階級の少年。
全身に紫斑、意識混濁、発作的な痙攣──
「癒術の診断では“魔素消失性末期症候群”、つまり“回復不能”と分類されていた」
「……いや、これは違う」
俺は少年の眼球と腹部を診て、即断した。
「これは敗血症だ。“体内感染”による急性ショック状態。処置が早ければ……助かる」
だが、その場にいた癒術師が言った。
「癒術では“助からない”と記録されている。非魔力の処置を行えば、正式な記録上“医療事故”として……」
「選べというのか?」
俺は問いかけた。
目の前の命を救えば、制度は“処分”を進めるだろう。
だが──
「俺は、命を選ぶ。制度じゃない」
答えは、決まっていた。
俺は処置に取りかかった。
血液の流れを保ち、抗菌薬を用い、体内の毒素を排出させる。
セリアとライナが必死に補助する中──少年の痙攣は収まり、脈が安定し始めた。
──助かった。
その場にいた癒術師は、呆然と立ち尽くしていた。
「……制度で“見放された命”が、救われた……」
その一言が、部屋の空気を変えた。
誰も、もう否定できなかった。
俺は振り返らず、ただ少年の胸に手を当て、確かにそこにある鼓動を聞いた。
命は、制度より先にある。
それを証明したこの瞬間──
制度は、初めて“問われる側”へと変わった。
敗血症の少年が助かった翌日──
王都医療局の廊下を、走る足音が響いた。
使者の手には、制度の印を押された封書が握られていた。
>《王立医療会議決定》
>“王都第二診療区内における科学医療部門の暫定設置を認可す”
>“リクト=クレメンシアを初代技術顧問として任命”
>“非癒術的手段による診療記録と研究を正式保護対象とする”
──それは、制度側がついに“黙認”から“容認”へと姿勢を変えた証だった。
研究塔の講義室で、俺は静かに書状を読み終えた。
「……ついに、ここまで来たか」
ライナが嬉しさを噛みしめるように、椅子に腰を下ろす。
「制度の中で、“もうひとつの医療”が正式に動き始める……これは、歴史的な転換点です」
だが、その一方で──“敵”の姿が見えなくなっていた。
ロズワルは講義以降、表舞台に姿を現さなくなった。
あれほど強硬だった査察官ゾルダンも、通達以降、音沙汰がない。
「……制度の“内圧”が上がってるな」
俺の言葉に、ライナは苦笑を浮かべた。
「“正面から否定できない異端”ほど、組織にとって扱いづらいものはありませんからね」
セリアも、手に持った記録ファイルを見つめながらぽつりと呟いた。
「でも、黙るってことは……“動けない”ってことなんだよね」
科学医療部門──
それは王都の医療制度における“最も小さな部屋”だった。
だが、その小部屋には、“癒術で拾えなかった命”が集まり始めていた。
「先生、患者さんが来てます──あの、昨日も来てた女の子」
セリアの声で扉を開くと、小さな少女が不安げに立っていた。
「お母さん、咳が止まらなくて……魔法の薬、効かなかったの……」
「連れておいで。うちには“魔法以外のやり方”がある」
少女の顔が少しほころんだ。
制度が静かに“道を譲った”今──
俺たちは、その道を少しずつ踏みしめていく。
恐れる必要はない。
黙る者たちの向こうで、
俺たちは“声”を上げて、命に手を伸ばせばいい。
これは、勝利ではない。
だが、“希望が制度に居場所を得た”初めての瞬間だった。
科学医療部門が正式に稼働し始めて、数日。
癒術院からの圧力も抗議も──驚くほど、ない。
“制度の沈黙”が意味するのは、敗北か、次なる策か。
そのどちらともつかない不気味さを感じていた、そんな矢先。
研究塔に、ひとりの老人が訪れた。
灰色のローブ。深く刻まれた皺。そして、かつての鋭さは影を潜めた瞳。
──ロズワルだった。
「……驚いたかね。私が来たことに」
「正直にな。だが、来た理由は見当がつく」
室内には、俺とロズワルだけ。
誰の目も、耳もない。
だが、それでも彼の口は慎重だった。
「癒術院は……“崩れる”よ、リクト。外圧ではなく、内側から」
その言葉に、俺はわずかに眉をひそめた。
「どういう意味だ」
「私は、かつて“癒術こそが絶対”と信じた。いや、信じることで、
この世界の命を“統制”できると錯覚していたんだ」
彼の声に、いつもの傲慢さはなかった。
代わりにあったのは──“疲れた人間の素顔”だった。
「君を追放したとき、私は確かに“正しい”と思っていた。
制度を守るため、癒術の威信を保つため。だが、王女の件で、私は完全に敗北した。
──いや、“君が正しかった”と認めたくなかっただけだ」
ロズワルは、胸元からひとつの封書を取り出した。
「これは、癒術院内部の意見書。改革案だ。“非魔力医療の統合的検証機関”を正式設置する案に、既に幹部の過半数が署名している」
「……あんたが?」
「いや。“私は署名していない”。……できなかったんだよ、最後まで。
だが、“私を捨てることで制度が前に進むなら、それでいい”と今は思う」
「リクト。君が医者としてこの国に遺すものは、もう十分だ。
だが──私のような人間にも、“遺せるもの”があると信じさせてくれ」
そのとき、初めて、俺は彼が“敗者”ではなく、“譲る者”に見えた。
制度に殉じ、制度に取り残された男が、
その手で“次代への遺言”を渡そうとしている。
「……受け取るよ。だが、制度が動くかどうかは、俺じゃなく“救われた命”が決めることだ」
「それで、いい。……それが、“医療”だ」
帰り際、ロズワルは足を止めた。
「……リクト。君の言葉を、今さらだが記憶しておく」
「“医術は、選ぶことではない。信じる者を増やすことだ”」
その背中は、かつての巨人の威圧を失っていた。
だが、そこには確かに──人間の矜持があった。
制度を信じ抜いた男が、制度の中で“未来を託す”という選択をした夜。
それは、過去と未来の交差点だった。
夜明け前の王都は、まだ静かだった。
けれど、その静寂の中に、確かな“胎動”があることを俺は知っていた。
制度に穴が空き、そこから光が差し込んだ。
それはまだ細く、脆い光だ。
だが、確かに“未来へ続く”光でもある。
「先生、準備できたよ。今日から“あたしたちの診療所”が、正式稼働だもんね!」
セリアが笑う。
もう彼女は、“助手”じゃない。
命の重みに耐える力と、誰かの不安に寄り添う心を持った──医療者のひとりだ。
科学医療部門の診療所は、王都第二診療区の一角に設けられた。
“癒術を受けられなかった人々”のための、“選べる医療”の拠点。
魔力が効かなくても。
制度に弾かれても。
それでも、生きるために“診てもらえる場所”。
診療所の扉を開けると、すでに数人の患者が列を作っていた。
昨日までは癒術院の門前で途方に暮れていた人々だ。
「先生、順番札、ちゃんと配ってるよ。ほら、この子、昨日の女の子だよ」
セリアに手を引かれて入ってきた少女は、小さな咳をしながらも笑っていた。
「おかあさん、寝てられるようになった。ありがとう、せんせい!」
その言葉が、胸にしみた。
褒章でも、地位でもない。
この一言のために、俺は戦ってきたのだ。
研究塔のライナも、すでに診療協力に加わっていた。
「ここは、王都で最も小さく、最も意義深い医療の場所ですね。
癒術が届かなかった命が、“手を伸ばす権利”を取り戻せる場所です」
扉の外から、貴族の少年とその母親がやってきた。
敗血症から救ったあの少年だ。
「母が言っていました。ここに“本当に診てくれる人”がいるって」
そして、ひとりの少女──王女アメリアが、護衛を連れて静かに現れた。
「お医者さま。わたし、あなたのこと、もっと知りたいです。
……魔法が使えない人も、ちゃんと生きていけるって、先生が教えてくれたから」
「……こちらこそ。君が生きていることが、俺の医療の“証明”だよ」
扉の向こうから、次々に患者たちが訪れる。
癒術が効かなかった者。
制度に見捨てられた者。
それでも、“生きようとする者”。
それを、俺は診る。
魔力に頼らず。制度に媚びず。
ただ、“命と向き合う者”として。
王都にひとつ、
小さな診療所ができた。
そこに集うのは、“信じた者”たち。
制度が見落とした光に、手を伸ばした人々だ。
これは、終わりではない。
むしろここからが始まりだ。
理念を掲げ、命と向き合う──本当の“医療の時代”の、夜明けが。
医術とは、選ぶことではない。
信じる者を“増やすこと”だ。
その言葉を胸に、
俺は、今日も扉を開ける。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回の第8話では、いよいよ癒術院の介入が本格化し、リクトの立場が大きく揺らぎ始めます。
それに呼応するように、セリアやカイ、ティマたちも自分たちの「選択」と「覚悟」を見せ始めました。
誰かに“従う”のではなく、“どう在りたいか”で行動する登場人物たち。
その姿を通して、“治す”ということの本質に少しずつ近づいていければと思います。
次回、第9話ではさらなる変化と、癒術院側からの新たな一手が描かれます。どうぞご期待ください。
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