第7話:告げられた通達、揺れる信念
ご閲覧ありがとうございます。
今回は、村と癒術院との“対立”がより鮮明になる話となります。
村に届いた「通達」と、明かされる過去の真実。
リクトたちは、“ただ治療を続けたい”という想いだけで、抗うすべを模索します。
揺れる村の声と、変わり始めた人々の選択。
それぞれの立場がぶつかり合う中、何を信じ、どう生きるか──
ぜひ、お読みいただければ幸いです。
その日、王都の街を歩いていると、ひときわ人だかりの多い一角が目に入った。
街角の広場。何かの催しが行われているようだった。
「先生、ちょっと見てみてもいい?」
セリアが興味ありげに指差した。俺は軽く頷き、その中心へと足を運ぶ。
そこでは、街の孤児や下層民を対象にした“癒術支援施療”が行われていた。
簡易診断、魔力測定、魔導薬の配布──王都の慈善活動の一環だ。
──だが、俺の目は、施療そのものではなく、
人混みの中に立つ“ひとりの少年”に吸い寄せられていた。
「……あれは──」
声が漏れた瞬間、記憶の底に沈めていたある風景が脳裏によみがえった。
──かつて俺が王都癒術院にいた頃。
最後まで助けることができなかった、ある少女のカルテ。
彼女は高熱と痙攣を繰り返し、治療方針をめぐって癒術院内で対立が起こった。
当時、俺は“科学的治療”を提案したが──却下された。
結局、彼女は癒術の実験台となり、帰らぬ人となった。
目の前の少年は、その少女の──弟だった。
「リクト先生?」
セリアの声が遠く感じた。
足が、勝手に動いていた。
少年は、施療担当者の手を振り払っていた。
「ちがう! 姉ちゃんは、それで……姉ちゃんは、それで死んだんだ!」
周囲の空気が一気に凍る。
癒術師が困惑し、少年に無理やり診断魔道具を当てようとしたその瞬間──
「待て!」
俺は、思わず声を上げていた。
「……君。名前を、聞いてもいいか」
「……ノエル。ノエル・レーヴェ」
やはり──間違いない。
「君のお姉さん、エミリア・レーヴェだな」
その名を出した瞬間、少年の目が大きく見開かれた。
「知ってるのか……? 姉ちゃんのことを……」
「昔、君の姉の担当医だった。君がまだ小さい頃の話だ」
彼の呼吸が乱れているのが分かった。
──これは、ただの癒術不信じゃない。
強いトラウマと、恐怖の再燃によるストレス性の過換気だ。
「落ち着け。深呼吸だ。吸って……吐いて。そう──もう一度」
セリアが静かに後ろに回り、背を支える。
やがてノエルの呼吸が整い、膝をついて泣き出した。
「……あのとき、俺、ずっと見てた……姉ちゃんが“光に包まれて”苦しそうにしてるのに、誰も止めなかった……っ」
「俺も、何もできなかった。あのとき、“制度”に抗う勇気がなかった」
俺は、少年の目を見て、言葉を選んだ。
「だから、今ここにいる。君が“また誰かを失わないように”、俺はやり直す」
「……助けてよ、先生。俺、時々胸が苦しくて……息ができなくなるんだ……姉ちゃんと同じように、なっちゃうのかなって、怖くて……!」
──これは、かつて救えなかった命の“続き”だ。
同じ家族に、同じ後悔を繰り返させないために。
「俺が診る。今度こそ──絶対に見逃さない」
その場にいた癒術師たちは、何も言えなかった。
“制度”が見落とした少年を、
“制度の外”から伸びた手が、確かに救おうとしていた。
記憶の中で終わったはずの患者が、
今、俺を試すために目の前にいる。
過去と向き合い、未来を変えるために──
再会は、始まりだった。
ノエルを診察室へ連れて行くと、彼は不安そうに俺の顔を見上げていた。
小さな体を強ばらせ、言葉ではなく沈黙で“恐怖”を語っている。
「ノエル。まずは、体の中で何が起きているのか、一緒に確かめよう。もう誰にも、勝手なことはさせない。俺が診る」
その言葉に、彼はわずかに肩を緩めた。
診察を進めるうち、いくつかの兆候が明らかになってきた。
頻発する動悸、発作時のチアノーゼ(唇や爪の色の変化)、発汗異常。
──これはただの“精神反応”じゃない。
「心因性のパニック障害と、軽度の不整脈。癒術では“魔力反応なし”で片付けられるが、明らかに“体のエラー”だ」
セリアが、カルテを確認しながら言った。
「お姉さんが倒れた時も、同じような発作があったんだよね……?」
「ああ。当時の記録では“魂素逆流反応”とされたが、俺は今でも違うと思っている」
当時の癒術院は、“魔力の乱れ”という一言で全てを断じていた。
だがその裏で、“患者の個体差”や“非魔力由来の疾患”は無視されていた。
制度は、命を“癒せるもの”と“癒せないもの”に分け、後者を排除した。
「先生、これ──ちょっと見て」
セリアが、ノエルの腹部に手を当てて言った。
「鼓動、早すぎるよ。平均より明らかに速い。脈拍も、変なリズム……」
俺は頷いた。
「恐らく、軽度のWPW症候群※だ。心房の異常伝導。魔力では検出できない」
※編集注:WPW症候群(Wolff-Parkinson-White症候群)=心臓に余分な伝導路があり、異常な心拍を引き起こす病気。
「助けられる……よね?」
ノエルの目が、希望と恐怖の狭間で揺れていた。
「助ける。“癒す”んじゃない。君の心臓を、整えてやる。少しずつ、確実に」
「……うん」
その声はかすれていたが、確かに前を向いていた。
ノエルの治療は、長期に及ぶ。
科学的管理と投薬、生活調整とストレスコントロール。
だがそれは、“魔法で一瞬に癒す”という華やかさとは違う、
地道で確実な──“生きることに寄り添う医療”だった。
夜、診療記録をまとめながら、セリアがぽつりと言った。
「……お姉さんの死、きっとノエルくんにはずっと、呪いだったんだろうね」
「だからこそ、彼に“別の記憶”を残してやらないといけない」
「別の、記憶……?」
「“科学の医療で、命をつなげた”という記憶だ。
救えなかった過去を、意味のある現在に変える。それができれば──人は、前を向ける」
過去に、俺はひとつの命を見送った。
制度の壁に、何もできずに。
だが今、俺の前にいる命は、“救える”。
それは、贖罪でも償いでもない。
ただ一人の医者として、目の前の命に向き合う覚悟だ。
失った命の続きを、生きている者に託す──
それが、医者にできる唯一の“救い”なのだから。
王都の片隅にある臨時診療所に、朝一番で運び込まれた患者は──
癒術院でも“手の施しようがない”とされた重症例だった。
高熱、嘔吐、意識の混濁、四肢の痙攣。
魔力反応なし。癒術効力ゼロ。
そして、“引き取り手なし”。
「名前は?」
「不明です。……路上で倒れていたところを、衛兵が運んできたと」
施療所の責任者が頭を下げる。
俺が診た瞬間、直感が鳴った。
──これは、危険だ。
呼吸は速く、皮膚は冷たいのに汗をかいていない。
腹部は張り、瞳孔は散大。
痙攣は脳性のものではなく、全身性の代謝異常によるもの。
「この症状……中毒性代謝性昏睡の可能性がある。放置すれば、数時間で死ぬ」
「でも先生、解毒剤もなしに……魔法が効かないんだよ……?」
セリアの声が震えた。
「わかってる。……だがやる。俺たちがやらなきゃ、この命は切り捨てられる」
俺は即座に応急処置に入った。
胃内容物の排出、活性炭の投与、電解質バランスの調整。
だが、王都の施設では医療器具も整っていない。
この場で“本格的な処置”を継続するには、助手の力が必要だった。
「セリア──選べ」
「……え?」
「今からやる処置は、危険が伴う。お前が少しでも判断を誤れば、命を落とすかもしれない。だが、俺はお前の技量を信じてる。やるか、引くか──お前が決めろ」
セリアは、一瞬だけ目を伏せた。
でも次の瞬間、真っ直ぐ俺を見返してきた。
「……やる。怖いけど、私がここで逃げたら、“支える”って言ったあのときの言葉が嘘になる」
その目には、迷いよりも“覚悟”があった。
俺の指示に従い、彼女は一つひとつの処置をこなしていった。
補液の調合。体温の安定化。気道確保。
汗をかきながら、震える手で彼女は患者の胸に手を当てていた。
「お願い、……生きて……!」
時間との戦いだった。
まるで命が砂のように指の隙間からこぼれていく中、
俺たちは、ただひたすら“手を伸ばし続けた”。
そして──三時間後。
患者の痙攣が止まり、呼吸が緩やかになり、
ほんのわずかに、目が開いた。
「……あ……う……」
その微かな声に、セリアはその場に崩れ落ちた。
「よかった……よかった……!」
医療に奇跡はない。
あるのは、“積み重ねた判断”と“意志”だけだ。
夜。診療所の裏で、俺とセリアは並んで座っていた。
「先生……あたし、正直怖かった。何度も、逃げたくなった」
「それでも立ち続けた。十分だ」
「ねぇ先生……」
「ん?」
「“私がいることで、誰かの命が助かる”って、こんなに重いんだね……」
俺は小さく頷いた。
「重いよ。でも、その重みを抱えられる者だけが、医療に関わる資格がある」
セリアは空を見上げて、笑った。
「……じゃあ私も、ちゃんと“医者のそばに立つ人間”になれたかな」
「なれてるさ。もう立派な“相棒”だ」
あの日の少女は、今、自らの意志で命に向き合っていた。
それは、制度では決して教えられない、“覚悟の証明”だった。
診療所の朝は、昨日の余熱を残して静かだった。
命を救った余韻が、誰の言葉にもならずに空気に漂っている。
だがその静けさを破ったのは、癒術院の紋章を掲げた一団だった。
「──リクト=クレメンシア殿、王立癒術院の要請により出頭を求める」
無機質な声とともに現れたのは、ロズワルの直属部隊、“癒術査察課”。
その制服は、命ではなく“制度の秩序”を優先する者たちの象徴だった。
「理由は?」
俺が問うと、前に出た男が読み上げた。
「“無認可診療の実施”“制度に無届けの治療行為”“癒術無効患者への危険な処置”──以上三項目。いずれも重罪に準ずる疑い」
診療所内がざわめく。セリアは声を上げかけたが、俺はそれを手で制した。
「出頭はする。ただし、俺のカルテと記録は持参させてもらう」
男はひと呼吸置き、渋々頷いた。
王都癒術院・尋問室。
壁には防音魔術。机の上には魔導封印印章。
“話す内容すべてが記録される”空間だ。
対面に座るのは──ロズワル。
「ようこそ、リクト。かつての教え子が、制度の外で何をしていたか……ようやく“証拠”が揃ってきた」
「制度の外じゃない。“命のそば”だ」
「美辞麗句だな。だが君の行為は、確かに癒術法に背いている。
非公式の診療、術式以外の治療行為、それらはすべて“異端”だ」
「俺がしたのは、目の前の命を救うことだ。
癒術が届かない場所に手を伸ばした、それだけのことだ」
ロズワルの目が細くなる。
「……君は、“制度が変わる”とでも思っているのか?」
「変わらないなら、俺が“選択肢”を作る。
命を救えるなら、それは“もう一つの道”だと証明してやる」
「制度は“可能性”では動かない。“実績”と“承認”で動く。
癒術院が君の医療を“許さない”限り、それは無価値だ」
──この人は、最初からずっと“正しさ”で俺を否定してきた。
“認めない”のではなく、“認めることで自分が否定される”のを恐れている。
「ロズワル。……あなたは癒術を“信じてる”わけじゃない。
“守るために信じているふり”をしているだけだ」
静寂が落ちる。
数秒後、ロズワルは笑った。
「なるほど。君がどこまでも制度に適合しないことは、よくわかった。
だが……制度は敵を持った時こそ強くなる。君が存在することで、癒術院はさらに結束するだろう」
それが“制度の側”の答えだった。
俺は立ち上がる。
「いいさ。なら俺は、“制度に届かなかった命”を救うことで、証明してみせる。
癒術にできなかったことが、ここにあると──な」
帰り道、セリアが駆け寄ってきた。
「先生……!」
「大丈夫だ。処分は見送られた。“要監視対象”になっただけだ」
「それ、全然大丈夫じゃない……!」
俺は笑いながら、彼女の頭を軽く撫でた。
敵ははっきりした。制度は俺を認めない。
だが、制度の外でも、俺には“味方”がいる。
信じる患者がいて、支えてくれる仲間がいる。
それなら、十分だ。
理念は、制度と戦うための武器じゃない。
命を支える“境界線”なんだ。
それは、唐突だった。
診療所に戻って間もなく、研究局から急報が届いた。
──王都南部の医療施設にて、癒術が一切効果を示さない“未知の症例”が発生。
現場に派遣された癒術師十数名が手をこまねき、患者は今なお重篤状態にある。
「先生……これは──」
「行くしかない。今の俺たちにできる“最大の回答”が、そこにある」
俺とセリアは、急ぎ現場へと向かった。
指定された施設は、王都近郊の特別癒術センター。
だがその中は、沈黙と緊迫感に包まれていた。
「患者は……王族の縁者、“第六王女アメリア殿下”です」
案内した医療官僚の声は震えていた。
「発熱、幻覚、意識障害。だが癒術反応はゼロ。魔導測定でも“魂素の乱れなし”。まるで……“診断不能”です」
──アメリア。
名前を聞いた瞬間、俺の胸にざらついた違和感が走った。
どこかで聞いたことがある。いや、たしか──
「……第六王女って、昔……」
「先生、あのとき──癒術院が“機密扱い”にしてた、例の……!」
セリアの言葉で思い出した。
──俺が追放される少し前。癒術院の極秘記録に、“魔力完全拒絶体質の少女”が記録されていた。
それが、彼女だ。
隔離室に入ると、アメリア王女は意識を失い、苦しげに呼吸していた。
顔色は土気色で、体は汗で濡れているのに、熱の放散ができていない。
「──これは、熱中性中枢障害だ。体内の体温調整機構が崩れている。
癒術での外部冷却は逆効果だ。むしろ、体を壊す」
周囲の癒術師たちは困惑していた。
誰も“癒さずに治す方法”を知らない。
「セリア、外から扇風魔具と冷却布、あと点滴用の水と塩分を!」
「はいっ!」
俺は最小限の介入で、王女の体温を調整しながら、経口吸収と点滴を組み合わせて処置を進めた。
命に関わるこの場で、制度は何もできなかった。
──だが、“医療”は、できた。
数時間後。
アメリア王女は静かにまぶたを開き、口を動かした。
「……ここは……」
「大丈夫だ。君は、助かった」
その瞬間、室内は沈黙に包まれ、やがて控えていた高官が震えるように言った。
「──癒術なしで……回復した……? この状態で……?」
“癒せない命が、救われた”。
その事実は、制度そのものに対する一つの“亀裂”を意味していた。
その夜、俺たちは研究塔のライナの元へ報告に向かった。
「王女を救ったこと、それはもはや偶然や一例では済まされない。
──これは、“制度を変える起点”になりうる」
ライナの言葉に、セリアが小さく笑った。
「ねえ先生。これって、もしかして……始まったんじゃない?」
「……ああ。制度が“揺れる”ときが、来た」
王女の命が、制度を揺らす。
“選べる医療”という言葉が、現実のものになりつつあった。
それは、まだ小さな兆し。
だが確かな“始まり”だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回の話では、癒術院からの圧力、村の分裂、そしてリクトが貫こうとする“信念の医療”が中心になりました。
セリア、カイ、ティマ、それぞれの想いが静かに交錯し始め、
物語は“ただの医者vs権威”という枠を超えて広がりつつあります。
そして明かされる、かつて封印された医療記録──
医療という名の“真実”に、いよいよ物語が踏み込んでいきます。
ご感想・レビュー・ブックマーク、いつも本当に励みになっております。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします!