第6話:火種と灯火 ──選ばれた希望たち
ご閲覧ありがとうございます。
今回の話では、村の空気が静かに変わっていく中、
リクトの周囲の人々がそれぞれの「覚悟」と向き合い始めます。
沈黙、失踪、不信、そして決意──
小さな村の中に、やがて大きなうねりが生まれていく様子を描いています。
それでは、本編をどうぞ。
再び王都の門をくぐるとき、空気は前より重たく感じた。
制度と思想の狭間に立った“異端者”として、すでに俺の存在は目立ってしまっている。
癒術院の上層部は沈黙を続ける一方、研究局の内部では“リクト=クレメンシアの再評価”という名の観察が進められていた。
──そしてその一環として、今回の“公開症例評価会”が開催される。
名目上は「技術交流」。だが、実際は“針のむしろ”だ。
「うわ、すっごい……人、多い……魔術師っぽい人ばっかり……」
セリアは緊張で顔がこわばっていた。
「平気だ。俺はただ、患者を治した記録を話すだけだ」
案内されたホールには、魔導灯の明かりが天井を照らしていた。
重厚な石壁には王立医療会議の紋章が刻まれている。
壇上に立つと、聴衆の視線が一斉に俺を射抜いた。
──そのほとんどが、“肯定ではない”。
「本日、王立技術評価会は、新設される“医療研究副部門”に向けた先進事例報告として、リクト=クレメンシア氏を招いています」
司会進行を務めるのは、ライナだった。
彼は可能な限り中立的に進行しようとしていたが、隣の席の男たちの苛立ちは隠せていない。
「……では、早速お願いします。リクト氏──まずは、“癒術を一切使わずに救命に至った”という症例から」
俺は深く息を吸い、村での記録を一枚一枚、魔導スライドに投影した。
「この少年は高熱によるショック症状を呈していたが、癒術診断では“魔素の異常なし”。治療対象外とされていた」
「……だが、俺は水分と電解質の補給、体温管理で症状を回復させた。術式は、一切使っていない」
ざわ……と、微かなざわめき。
「魔力が効かない病など、存在するはずが……」
「偶然回復しただけでは?」
「再現性に乏しい──それが“治療”と呼べるか?」
質問というより、“否定ありき”の声。
俺はゆっくりと返す。
「なら、試してみるといい。癒術で治らない患者に、水を与え、体温を調整し、必要な栄養を補給してみろ」
「魔術では拾いきれない命が、そこにある。それを“異端”と呼ぶなら──この制度の方が、命から逸れている」
沈黙。
誰かが言葉を挟もうとしたそのとき──
「……すみません。僕から質問をしてもいいでしょうか」
前列に座っていた若い研究員が手を挙げた。
「先生の言う“科学的治療”を、我々が体系的に学ぶには、どこから始めればいいんでしょうか?」
その言葉に、場がわずかに動いた。
──扉は、ほんのわずかに開いた。
制度の空気が澱んでいる場所で、そこに“興味”を抱く声が生まれた。
俺は、ゆっくりと答えた。
「まずは、“観察すること”からだ。患者を“魔力反応”ではなく、“目と耳と手”で診ろ。それだけでも、見えるものが変わる」
拍手はなかった。
だが、誰も俺の目を真正面から否定できなかった。
制度という巨大な壁に、確かに“ひとつ、ヒビが入った”。
講義後、控室に戻った俺を、セリアが待っていた。
「先生……すごかった……! 質問してた人たち、最初は疑ってたのに、最後は……」
「まあ、ひとつくらいは刺さったかな」
「“再現性”とか“データ”とか……難しい話ばっかだったけど、先生の話、わたしにはちゃんと伝わったよ」
彼女のその言葉が、なによりも救いだった。
制度に“気付き”が生まれた今、次は──“行動する者”を増やすことだ。
ただ戦うのではない。
ただ守るのでもない。
“選べる医療”という選択肢を、誰の手にも。
それが、俺の信じる“医術の未来”だ。
講義の翌日、研究塔の雰囲気は一変していた。
表面上は何も変わっていない──はずだった。
だが、すれ違う職員の目。すれ違ってから交わされる小声。俺に向けられる視線は、もはや“無関心”ではなかった。
「先生、……なんか、すごく注目されてない……?」
「注目されるのは悪くない。問題は、“誰が、どの理由で見てるか”だ」
それは“評価”か、“警戒”か、“排除の理由探し”か──。
セリアは、不安そうに肩をすぼめた。
そんな俺たちの前に、ライナが現れた。
「先生。少し、お時間をいただけますか。お見せしたいものがあります」
彼に案内された先は、研究塔の最上階──“癒術研究機密資料庫”。
魔術式で管理され、許可された者しか入れない封印空間だ。
「ここは……俺のような部外者を通すべき場所じゃないだろ」
「だからこそ、“お見せする”んです。これは──あなたの存在がもたらした波紋のひとつです」
資料庫の奥、厚い防護結界を抜けて提示されたのは──
年代不詳の、破れかけた古文書だった。
「“癒術以前の医療記録”……?」
「はい。魔術体系に統合される前、人間が行っていた“術式を用いない治療”の断片です。公式には“未確定資料”として棚ざらしにされていますが──」
ライナは言った。
「あなたのカルテと、これに記された方法が、酷似していると気付いた者がいる。
癒術院内にも、“記録を開き直すべきでは”という動きが、ごくわずかですが始まっています」
風が、動き出している──
制度の中枢に、長く閉ざされていたはずの扉が、わずかに軋んでいる。
「……なぜ、そこまでしてくれる」
俺の問いに、ライナは静かに答えた。
「私は、“新しい知”を否定する空気に、耐えられないんです。
癒術が正しいのはいい。でも、“それ以外を認めない”という態度が、命を見捨てているとしたら……それは、学者の傲慢です」
彼の言葉に、俺はひとつ、問いを重ねた。
「癒術と科学。どちらを選ぶべきかと聞かれたら、どう答える?」
「選ぶ必要はないと思います。
“命を救える手段があるなら、すべてを学ぶべきだ”──それが、私の答えです」
セリアがぽつりと呟いた。
「……こういう人が、もっと増えてくれたらいいのに」
「そうだな。制度はすぐには変わらない。でも、“人”は変われる」
封印された古文書の文字を見ながら、俺はひとつの確信を抱いた。
──科学の医療は、元々この世界にも“あった”。
忘れられ、封じられ、異端とされた“知識”が、再び目を開こうとしている。
敵ばかりじゃない。味方は、ちゃんといる。
その一人ひとりが、やがて“制度”を動かす波になる。
だから、進む。
癒術院の内部にさえ、火は灯りはじめているのだから。
古文書の記録は、確かに俺の知る医学に近い記述だった。
傷口を清め、煎じ薬を用い、脈や熱で病を診る──
それらは、魔術も癒術も使わない、けれど“確かに命を救ってきた方法”だった。
セリアは資料を見ながら、ぽつりと呟いた。
「ねぇ先生……この“昔の医療”って、どうして消されたの?」
「制度化される前は、治せるかどうかじゃなく、“力があるかどうか”が基準だった。
力がなければ“癒せない”とされた。だから、科学の医療は“力なき者のやり方”として葬られたんだ」
「それって……すごく、悔しい話だね」
ああ──俺もそう思う。
でも、悔しさだけでは戦えない。
研究塔を出たその夜、王都で有名な施療院に立ち寄る機会があった。
王家の後援を受ける癒術院系列の診療機関。その入り口には、列を成した患者がいた。
「魔力反応なし。次、癒術対象外──」
「発作は“魔素の逆流”と診断。精神安定処置にて経過観察──」
形式的な診断が続く。
それはまるで、“魔力基準の流れ作業”だった。
そして、その中で──俺の足が止まった。
「……あれは」
診察待ちの列の最後尾に、ひとりの少年がいた。
痩せて、青白い顔。何かをこらえるように胸を押さえている。
「セリア、ついてこい」
声をかけ、俺は少年に近づいた。
「君、どこが苦しい?」
「……せ、せなか……と、胸……息が吸えなくて……」
診た瞬間、わかった。
これは、癒術では分類されない“呼吸性アシドーシス”の兆候だ。
「癒術診断では……?」
「“魔素の乱れなし。緊張性障害の可能性”って……言われたけど……」
「診断、間違ってる」
俺はセリアに指示し、即席で呼吸補助の姿勢を取らせた。
「深く吸って、長く吐け。そう──もっと、ゆっくり……」
セリアは彼の背をさすりながら、脈を確認する。
やがて、少年の呼吸が落ち着き、目に光が戻った。
「……あれ? ちょっと……楽に……なった……」
その光景を見ていた施療院の関係者が、慌てて近づいてきた。
「そこの方、勝手な診察は困ります!」
俺は、静かに立ち上がった。
「放っておけば、呼吸困難で意識を失っていた。だが、これは魔素の問題ではない。“物理的な呼吸障害”だ」
「それは……あなたの主観だ」
「違う。“患者の状態”という、唯一の答えだ」
制度は、“正しさ”ではなく“枠”でしかの判断を許さない。
だが、その枠の外で、救える命がある。
その夜、セリアは静かに言った。
「王都の癒術って、こんなに“見落としてる”んだね……。先生がいたら、きっと、もっと救えるのに」
「俺ひとりじゃ限界がある。だからこそ、“仕組み”そのものを変える必要がある」
制度を責めるのではない。
命を見過ごす“しくみ”そのものに、問いを突きつけるんだ。
──この街には、“病”がある。
魔力の乱れではない。
制度と慢心に蝕まれた、“命への鈍さ”という名の病。
それを治すのは、俺たちの“医学”でしかできない。
初回講義から一週間。
俺の元に、再び王立医療研究局から招集の通知が届いた。
今度は──正式な形での“第二回講義”だ。
前回は非公開だった。今回は、“制度内”の承認を得た形での開催。
それはつまり、俺の医療が“少なくとも議論の俎上には上った”ということだ。
「……あれだけ否定的だったのに、なんで?」
セリアは眉をひそめながら、書状をのぞき込む。
「完全に認められたわけじゃない。
だが、癒術だけでは救えない症例が、王都でも増えてきたんだろう。……“使えるなら、利用したい”ってところだ」
「じゃあ……今度はもっとたくさんの人が、先生の話を聞くってこと?」
「ああ。今度こそ、“誰が敵で誰が味方か”がはっきりする」
王都医療議会ホール──
初回の講義室とは違い、広く、階段式の円形会場。
その中には、白衣とローブをまとった癒術師、役人、学者たちが並んでいた。
登壇を前にした俺に、ライナが声をかけてきた。
「前回の反応、実は思ったより肯定的でした。
否定意見は強いですが、それ以上に“興味を持った”という回答が多かった。
今回は、さらに踏み込んで“医療体系としてどう使えるか”を問われることになるでしょう」
つまり、“思想”から“制度の枠”へと議題が変わったわけだ。
……本番は、ここからだ。
壇上に立ち、俺はスライドを示した。
「──今回の講義では、“癒術で診断不可”とされた症例のうち、
科学的診療によって改善が見られた事例を三つ、紹介します」
一件目:神経性ショックによる昏倒。
二件目:脱水と代謝異常による高熱。
三件目:感染性腹膜炎の初期症状。
どれも、“魔力の反応なし”“治癒魔術不適応”と診断され、見逃されていた患者たちだ。
「私の方法は、癒術を否定するものではない。
魔力が効かない場面でも“命をつなぐ選択肢”として機能する」
俺は会場を見渡す。
全てを納得させるつもりはない。
だが、納得させる“隙”を作る。それで十分だ。
「──魔力で命を癒やすなら、それでいい。
だが、それで足りないなら、俺は他の道を示す。
“命は選べない。だが、医術は選べる”。それが、俺の信じる医療だ」
沈黙の後──ひとつ、拍手が起こった。
続いて、二つ、三つ。
やがてそれは、会場の半分を満たすまでに広がった。
講義後、控室に戻ると、見知らぬ男が立っていた。
「リクト=クレメンシア殿。私は王立医療会議・運営評議員、クレイド=バークス」
癒術院とは別系統の、行政官僚だ。
「率直に言おう。君のやり方は、“使える”と感じた。
癒術院の許可が出なくても──“制度の別系”として、我々が科学医療部門の開設を後押しできるかもしれない」
ロズワルが背を向けた制度の中で、別の道が“可能性”を示し始めている。
「君の医術が、真に“万人に開かれたもの”であるなら……一緒に“制度の隙間”を形にしていこうじゃないか」
俺は静かに頷いた。
「願ってもない。だが、そのためには“実例”をもっと積む必要がある。
──王都で、俺にできることがあるなら、やらせてくれ」
制度の影で動き出した、“別のライン”。
癒術と並ぶ“選択肢”を生み出すための、現実的な一歩。
──戦いは、着実に“成果”を生み始めていた。
講義を終えた夜、研究塔を出ると、王都の空には星が瞬いていた。
石畳を歩きながら、セリアは静かだった。
いつもなら講義の感想や、聴衆の反応に一喜一憂する彼女が、今夜は珍しく口を閉ざしている。
「……どうした。疲れたか?」
そう聞くと、セリアはふと足を止めて、俺を見上げた。
「……先生。私、今日の講義、最後まで見てて……思ったの」
「ん?」
「“伝える”って、すごく難しいことなんだなって」
俺は少し驚いて、彼女の顔を見返した。
その目は、真剣だった。
「先生はああやって、言葉で、記録で、実例で……伝えてた。だけど、たぶん“聞く人の心”まで届いたのは、その全部じゃなくて……先生が“覚悟して話してたこと”なんだなって、わかって……」
セリアは胸に手を当てた。
「私、ただ患者さんのそばで薬を渡すだけじゃなくて……誰かに、ちゃんと“言葉で伝えられる人”になりたい。先生のやってる医療の意味とか、あたし自身の経験とか……」
彼女は、確かに変わっていた。
“助手”として与えられた役割を超えて、自分の意志で歩き出そうとしていた。
「……じゃあ、やってみるか」
「え?」
「明日から、王都での“問診”と“診療記録の口頭報告”、お前に任せる」
「え、ま、待って、それはちょっと準備が……!」
「準備は、してきたはずだ。お前はもう、“患者に触れる力”を持ってる」
セリアは驚いた顔をしたあと、深く、深く息を吐いた。
「……わかった。やってみる。いや、やらせてください!」
その表情には、緊張と誇り、両方が宿っていた。
翌日。
王都郊外の貧民街に設けられた臨時診療所で、俺たちは“診療協力”として招かれた。
対象は、癒術の行き届かない生活困窮者層──“魔力の恩恵”から外れた者たち。
セリアは、震える声を抑えながら、ひとりの老女に話しかけていた。
「こんにちは、今日はどうされましたか?」
「咳が長くてねぇ……ほら、ずっと痰が絡んでる感じでさ……」
「うん……じゃあ、喉を見せてください。えっと……体は冷えてますか? 食事は……」
問診の声は、まだぎこちない。
けれど──その背筋は、まっすぐだった。
俺は、少し離れた位置からそれを見守りながら思った。
“救われた側”だった彼女が、今、自分の手で誰かを救おうとしている。
診察が終わった後、老女は手を握り返してこう言った。
「ありがとよ。あんたの声、あったかかったよ」
セリアは、その場で泣きそうになりながら、笑っていた。
その日の記録ノートには、彼女の文字でこう書かれていた。
>「話すことは、怖い。でも、伝えたい気持ちがあるから、私は声を出せる。」
王都という舞台で、俺たちはそれぞれの“一歩”を踏み出していた。
制度と戦うために。命を守るために。
そして、“伝える者”になるために。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
ひとつの話としては少し長めになりましたが、それぞれの登場人物の「選択」と「変化」を丁寧に描きたかったため、少し濃密な構成となりました。
セリアやカイの言葉が、読者の皆さまの心にも少しでも届いていたら嬉しいです。
次回は、再び“外の圧力”が村に影を落とす展開となります。
村としての決断、そしてリクトがどんな選択をするのか──ご期待ください。
感想・ブクマ・レビューなど、大変励みになります。ありがとうございます!