第2話:医術を疑う村と、過去の影
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『魔法が信仰とされた世界で、“医学”を信じた追放外科医』第2話です。
今回は、リクトが辺境の村で診療を始めた直後に直面する、“医学”への強い偏見と、彼自身の過去の傷に触れる章となります。
魔法を“信仰”として生きる人々にとって、彼のやり方は異物であり、時に恐怖でもある。
それでも、命の前では言い訳も嘘も意味を失う――
医療が本当に“受け入れられる”瞬間とは何か、じっくり描いていきます。
数日のうちに、診療所には毎日誰かしらの姿があった。
切り傷、腹痛、発熱、子どもの咳。俺にとってはどれも簡単な対応だったが、村人たちにとっては「癒術を使わず治る」こと自体がまだ信じがたいようだった。
それでも、セリアがそばで説明し、患者自身が治っていくのを見れば、さすがに疑う者も減っていく。
──だが、変化は静かに忍び寄る。
その日、午後の診療が終わり、裏庭で乾燥薬草の仕分けをしていた時だった。
「……先生。村の酒場で、変な話が出てるって」
いつも明るいセリアの声に、不穏な色が混じっていた。
「“王都を追放された魔術師もどきが村にいる”って」
手が止まる。
「ああ。とうとう来たか」
驚きはなかった。むしろ、今まで誰も詳しく詮索してこなかったのが不思議なくらいだ。
セリアは唇を噛んでいた。
「でも、それって……追放された理由、やっぱり……」
「俺が“魔法を使えないのに医者をやってた”からさ。科学の話をしたら、異端って言われた。助けた患者は何人もいたけど、権威のある人間にはそれが気に入らなかったんだ」
「そんなの、間違ってる……!」
セリアはぎゅっと拳を握った。小さな体に、感情が詰まっているのが伝わってきた。
「でも、そう言ってくれるお前がいるなら、それだけで十分だ」
その夜。
診療所の前に、数人の男が現れた。村の長老格や、自警団のような立場の連中だった。
「リクト殿。少し、お話を」
誰もが表情を硬くしていた。まるで、裁判をするかのような雰囲気。
俺は静かに頷いた。
「なんでも、どうぞ」
「王都での件……追放されたというのは事実ですか?」
「ええ。堂々と追い出されましたよ。俺の“治し方”が魔法じゃなかったから」
「では、今まで村で行ってきた治療も……?」
「すべて、魔力を一切使わない。だが、結果として患者は治っている。それが問題ですか?」
一瞬、沈黙が落ちた。
俺は続けた。
「このまま信じるか、それとも“よそ者”として追い出すか。あなたたちが決めていい。俺は、助けを求めてくる者がいる限り、ここにいる」
その言葉に、男たちの顔が揺れた。
「……信じたい。だが、村の“掟”もある。我々だけでは決められん」
そう言い残して、彼らは診療所を去っていった。
セリアは、扉の陰でそれをずっと聞いていた。
「先生……信じてる人も、いるよ。私だけじゃない。だから……」
その言葉は、どこか自分に言い聞かせるようだった。
──さて。
試されるのは、ここからだ。
過去が引きずり出される中で、俺は“今の結果”だけで勝負するしかない。
何度だって、証明する。
たとえ何を言われようと、俺は命を救い続ける。それが、俺の選んだ医者としての生き方だ。
翌朝、診療所の前に見知らぬ男が立っていた。
長身痩躯、金の縁取りのローブを羽織り、杖を携えた姿。その所作ひとつひとつに、「王都育ち」の匂いが濃厚に漂っている。
「リクト=クレメンシア殿。王都中央癒術院より、特使として参った“アルゼ=ネヴァル”だ」
宣言するような口調で名乗った彼は、目を細めて俺を見下ろす。
「この村で、魔力を用いずに“診療行為”を行っているという報告が入った。よって、調査および是正のために来訪した次第だ」
要するに──俺を潰しに来た、ということだ。
セリアがそばで身をすくませる。
「アルゼさんって、王都でもすごい人なんですか……?」
「“儀式型回復術”の正統後継者……だったはずだ。実力もあるが、派閥の後ろ盾も強い。面倒な相手だな」
俺は声を潜めて答えると、正面から彼を見据えた。
「調査はどうぞご自由に。ただし、俺の治療を“止めさせる”理由にはならない」
「ふむ……強気だな。ならば、こうしよう」
アルゼは微笑み、手元の杖をくるりと回す。
「この村で診た患者を一人、私の癒術で“再評価”させてもらいたい。君の治療が不完全なら、それを正す」
挑発だ。
だが、これはむしろ好機だった。
数時間後、広場に集まった村人たちの前で、“再診”は行われた。
選ばれたのは、先日の高熱の少年・ルーク。
アルゼは彼の額に手をかざし、長々と詠唱を唱え始めた。魔術陣が浮かび上がり、光がゆっくりと少年の身体を包む。
「……やはり。熱の痕跡が残っている。“魔力の濁り”もある。完全な回復とは言えんな」
そう告げると、振り返り俺を見る。
「魔力を使わぬ治療など、所詮は“物理的な応急処置”にすぎん。根本的な癒しには至らない。……否定するか?」
俺は答えず、ルークに近づいた。
「ルーク、最近どこか痛いところはあるか? だるさは?」
「えっと……昨日、遊びすぎて足がちょっと筋肉痛……でも、熱とかはないよ? 元気」
ルークはきょとんとしながら、元気な声でそう答えた。
それを聞いていた村人たちの中で、ざわめきが起こった。
「え……熱、ないのか?」
「でも癒術じゃ“まだ治ってない”って……」
俺はそこで口を開いた。
「“魔力の濁り”など、俺には見えない。だが、現実にこの少年は元気だ。苦しみもなく、生活に支障もない。それ以上、何を癒やす必要がある?」
アルゼの顔が険しくなる。
「魔術は、見えざる異常を正す術だ」
「異常は、あっても問題がなければ“治療対象”にはならない。大切なのは、患者が“生きやすいかどうか”だ」
静かに告げた俺の言葉に、周囲の空気が変わった。
その場は、一触即発のような空気のまま解散となった。
アルゼは黙って去ったが、その目には明らかな敵意が宿っていた。
その夜、セリアがぽつりと呟いた。
「……先生は、“癒し”ってなんだと思う?」
俺は少し考えてから、答えた。
「“明日も生きてみよう”って思えること。たとえ体に病が残っていても、そう思えるなら、それが癒しだ」
彼女は静かに、目を見開いたまま頷いた。
アルゼが村を去ってから三日。
しかし、残していった“影”はじわじわと広がっていた。
「癒術で診てもらったほうが“本当に”安心なんじゃないか?」
「でも、リクト先生の治療で治ったのも確かだよ……」
広場で交わされる会話、井戸端での囁き。どれもが小さく、だが確実に診療所を包囲し始めているようだった。
誤解ではない。恐れだ。
──目に見えない“正しさ”を信じることが、彼らにとっての拠り所だった。
癒術という“信仰”が揺らぎ、その代わりに現れたのが、俺の“知らない医療”。
変化を歓迎する者もいれば、否定することで安心を得たい者もいる。
「今日、患者は一人だけだったね……」
セリアの言葉が、やけに重たく感じた。
「まあ、これが“揺り戻し”ってやつだよ。最初に信じすぎると、反動が来るのも早い」
「でも、先生は何も悪いことしてないのに……!」
「してない。でも、“正しいこと”が“歓迎されること”とは限らない。それが人間ってやつさ」
俺は言いながら、自分の声に少し苦味を感じていた。
その日の夕方。
診療所にゴルドがやってきた。
「リクト殿、少し話をしたい。村の有志が集まる。議題は……“今後、診療をどうするか”だ」
直球だった。
「拒否するなら、村の掟に従って退去を求められる可能性もある」
俺は静かに頷いた。
「わかりました。行きます」
夜。広場の中央に火が焚かれ、十数人の村人が集まっていた。
男たち、女たち。幼い子を連れた者もいれば、手に杖を持つ老人もいた。
そこには、俺の治療を受けた者の顔も、まだ信じきれない者の顔もあった。
ゴルドが前に出る。
「リクト殿の治療は、癒術とは異なる。それは皆、知っている。問題は──今後、それを“村の治療”として認めるべきかどうか、だ」
沈黙。
「私は、先生を信じてる」
最初に声を上げたのは、セリアだった。
「私を助けてくれたのも、ルークを救ったのも先生だよ! “魔法じゃない”からって、それを拒絶するの……変だよ!」
続いて、ルークの母親も前に出た。
「私も……この子が今、生きて笑ってるのは、あの人のおかげです」
賛同の声がいくつか上がった。
だが──
「だが、癒術は我々の誇りだ! 村の伝統だぞ! それを否定する者に未来を託せるのか?」
声を荒らげる老人もいた。
視線が、俺に集まった。
「リクト殿。あなた自身の言葉で語ってくれ。“癒術を否定する者”としてではなく、“この村の命を預かる者”として──」
俺はゆっくりと口を開いた。
「俺は、癒術を否定するつもりはありません」
ざわめきが走る。
「癒術も、薬草も、信仰も、全部“人を助ける手段”です。方法が違っても、目指す場所は一緒のはずだ」
俺は言葉を噛みしめながら、続けた。
「ただ、俺が使っている方法は“魔法が使えない人間”でも命を救える手段です。魔力に恵まれなくても、誰かを助けられる。そんな医療を、俺は信じてる」
沈黙が落ちた。
それでも──誰かの目が、揺れていた。
信仰と実利の間で揺れる、村の空気。
次の決断は、まだ先に委ねられた。
診療所の朝は早い。
薬草の仕分け、水の煮沸、器具の消毒──今ではそれらの作業を、セリアが手際よくこなしてくれている。
「ふふん。これくらい、もう慣れたもんです」
鼻を鳴らすセリアに、俺は笑いながら答える。
「次は処方記録の整理も頼む。診た人数が増えてきたからな」
「やります! 助手セリア、がんばります!」
その言葉に、ほんの少しだけ背中が伸びた気がする。嬉しいのだろう。
だが、その日の午後。
俺の前に現れた一人の患者が、空気を変えた。
少年──いや、もう青年に近い年齢だった。頬がこけ、肩は怒ったように固まっている。
「名前は?」
「……言う必要、あるか?」
尖った言葉。だが、声にはかすかな震えが混ざっていた。
「ある。診療記録に残すからな」
「……カイ」
「で、症状は?」
「……胸が……時々、苦しくなる。息が吸えなくなる時がある」
俺は頷き、脈と呼吸、胸の音を確認する。
不整脈。時折、過呼吸に近い兆候も出ている。
「ストレスが原因の可能性が高い。体は正常だけど、心が悲鳴を上げてるな」
「心、だと……? 俺の気のせいだって言いたいのか」
「いや。体と心は、どっちも“体の一部”だ」
横で控えていたセリアが、恐る恐る声をかけた。
「無理しなくていいよ……あたしも、前は誰にも信じてもらえなかった。でも、先生はちゃんと話を聞いてくれるから」
カイは、セリアを一瞥した。
その視線は鋭かったが──わずかに、何かが揺れた気がした。
「……次の診察、いつだ?」
「明日も来い。体に異常がなくても、通って話すことが一番の薬だ」
「……変な医者だな、お前は」
ぼそりとそう呟いて、カイは去っていった。
診療所に再び静けさが戻る。
セリアがぽつりと呟いた。
「……治せない病も、あるんだね」
「治せないわけじゃない。時間がかかるだけさ。でも、話してくれるようになった。それだけで十分な“前進”だ」
「そっか……あたしも、もうちょっと話を聞けるようになりたいな」
「じゃあ、まずは今日のカルテをまとめてみろ。書くことで“見る目”も養われる」
「うん!」
この村には、目に見えない傷を抱えた者が多い。
それは癒術では見つけられないもの。だが、手を伸ばすことなら、誰にでもできる。
そして──それができる助手が、今、俺の隣にいる。
ありがとうございます。
それでは、第10話「“助けられる側”の誇り」をお届けします。
この話では、セリアとカイ、それぞれが“弱さ”と向き合い、自らの立ち位置を見つけるきっかけとなります。
カイは、毎日診療所に来るようになった。
最初のうちは無言でベッドに座り、短い診察を受けて帰るだけだったが、三日目を過ぎた頃から、ほんの少しずつ言葉が増えてきた。
「……夢を見るんだ」
「どんな夢だ?」
「村が燃えてる。誰も助けてくれない」
「その“誰も”に、自分も入ってるか?」
カイは何も言わず、目をそらした。
その様子を見ていたセリアは、診療後、ぽつりと漏らした。
「カイさんって、ずっと一人で苦しんでたんだね……」
「誰だって、痛みは他人に見せたくないもんだ。とくに、“助けられる側”だって自覚があるとな」
「助けられる側、か……」
セリアは少しだけ沈黙し、それから、ぽつりと続けた。
「あたしも、そうだったよ。呪いだって言われて、誰にも必要とされてないって思ってた。誰かに助けられてばっかりで、情けなかった」
俺は返す。
「でも今、お前は人を助けてる」
「……うん。でも、それでも時々思うんだ。“自分はただ生かされてるだけ”なんじゃないかって」
セリアの声は、かすかに震えていた。
その夜、カイが診療所の裏にぽつんと立っていた。
話しかけると、意外にも彼から口を開いた。
「……あの子、あんたの助手っていうには、まだ未熟だな」
「それでも、俺の患者であり、最初の理解者でもある」
「……そうか」
カイは、月を見上げながら呟いた。
「……妹がいたんだ。小さい頃に病気で死んだ。何もできなかった。あの時、俺がもっと強ければって、今でも思う」
初めて見る、彼の“素の顔”だった。
「助けられる側だった俺は、誰かを助けられる人間になれるのか……ずっと、それを問うてきた」
「“なりたい”って思ってる時点で、もう半分なってるよ」
俺がそう言うと、カイは口の端をわずかに上げた。
「……あの子、いい顔してるな。俺より、よっぽど“支える側”に近いのかもな」
翌朝。
セリアは、白衣を一枚追加で用意していた。
「先生。あたし、もう“助けられる側”じゃなくなりたい。ちゃんと、患者さんの顔を見て、声を聞いて、手伝いたい」
彼女の表情は、もう以前の“呪われた少女”のものではなかった。
「じゃあ、まずは今日から“問診”を任せる」
「えっ、いきなり!?」
「逃げるなよ、セリア助手」
「……が、がんばりますっ!」
“助けられるだけ”だった者が、自らの手で誰かの明日を支えようとする。
その誇りは、何よりも尊いと──俺は思う。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
第2話では、医学を信じようとしない村人たちと向き合うリクトの姿、そして彼の過去に関わる“ある罪”がにじみ出始めます。
魔法のない世界で、信じるものすら持てない人々に何ができるのか――
リクトはただ技術を振るうのではなく、命と信頼、その両方と戦っていることが徐々に明らかになってきました。
次回はいよいよ「命を救った結果」が彼をどう変えるかが描かれます。引き続きお楽しみください。