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第18話:目に見えぬ命と、届かぬ想い──医が交わす対話の在り方

ご覧いただきありがとうございます。

今回の話では、王都にて“魔族の医師”と出会ったリクトが、

医療に対する価値観の違いと、“目に見えない命”の存在を通して深く衝突し、そして共鳴する姿が描かれます。


さらに後半では、リクトの過去に深く関わる人物──“アメリア”からの手紙が届き、

彼の医療の原点と再び向き合う機会が訪れます。


命に対する理解も、想いの伝え方も一つではない。

そんな多様な“医の対話”が重なる章を、どうぞ最後までお楽しみください。

 王立医療学総合病院の東棟、第二診療室。

 そこに今日から、新たな医師が常駐することになった。

 

 ──魔族の薬理師、ラーミナ=サール。

 魔素感応を使った診断や、独自の薬草調合術に長けた専門家。

 だが、“人間社会”の医療現場に立つのはこれが初めてだった。

 

 「診察、お願いします……この子、昨日から熱があって」

 母親に連れられてきたのは、五歳の人間の女の子。

 顔は火照っているが、呼吸は整っている。癒術官の初期判断は「軽い風邪」とされた。

 

 だが、ラーミナは診察に入るなり、眉をひそめた。

 

 「……おかしい。この子、身体に“魔素の揺らぎ”が出ている。

  魔素の流れが異常に低下しているのに、熱があるのはおかしい」

 

 助手を務めていた人間の医師が即座に反応する。

 「魔素反応? いや、一般患者にそこまでの感応は意味が──」

 「意味がない? “見えていないから無視する”のは医療じゃないわ。

  この子の中で、“何か”が炎症とは別に動いている」

 

 ラーミナは魔族独自の手法──感応術を用いて、微細な皮膚振動と呼吸間隔を計測する。

 

 そして、はっきりと診断を下した。

 

 「この子、“魔素枯渇性自己炎症症候群”よ。

  普通の風邪じゃない。“体内魔素の低下”によって免疫制御が狂ってる。癒術では悪化するわ」

 

 助手の医師が戸惑う。

 「それって……本当に人間でも起きるんですか? 記録上、確認された例は……」

 

 「記録がないからといって、症状まで“なかったこと”にするの?

  私は“命の揺らぎ”を診ているのよ。あなたは何を診てるの?」

 

 その言葉に、助手は何も言い返せなかった。

 

 その日の夕方──

 診療報告を受けたリクトは、診療室で静かにラーミナと向き合っていた。

 

 「よく見抜いた。……人間の医師の多くは、“魔素の存在”を診断基準に入れていない。

  だが、それは“理解できない”からであって、“起きていない”わけじゃない」

 

 ラーミナは疲れたように言う。

 「正直……怒鳴りたくもなるわ。

  “目に見えない命の一部”を、知識がないだけで切り捨てるのは、私には耐えられない」

 

 俺は頷いた。

 

 「わかる。“科学”だって同じ道を辿ってきた。

  数値で測れないものは“感情”とされ、

  人の痛みは“主観”として軽んじられた」

 

 沈黙のあと、俺は続けた。

 

 「だからこそ、今は“どちらも見よう”としてる。

  科学と魔法の境界線に、目を凝らす。

  ……その橋渡しをできる人間が、今ここに必要なんだ」

 

 ラーミナは小さく笑った。

 

 「それが私? ……荷が重いわね」

 

 「背負えとは言わない。

  ただ、“診てくれ”。目に見えるものも、見えないものも。

  “命の総体”を診られる者が、本当の医者だ」

 

 その翌日、ラーミナは再び第二診療室に立ち、

 患者の“揺らぎ”を丁寧に診る医師として、王都での信頼を少しずつ積み上げていった。

 

 > 医療とは、“共通言語”ではなく“共通の姿勢”で成り立つもの。

 > 方法が違っても、命に正面から向き合うならば、きっと交わる。

 

 この日、魔族の医師と王都の医療は、初めて“同じ命”を診た。



 東棟第七診療室。

 そこは今日から、東方教国アグ=セラムより派遣された“神癒師”──スヴァイ師が担当することになっていた。

 彼の役目は「信仰医療の立場から、王都の医療体系を観察・報告する」こと。

 だが──初日から、空気は重かった。

 

 「この薬液、何に使うものかご存じですか?」

 人間の研修医が尋ねる。

 「“神の加護”があれば、薬は不要だ。“苦しみ”は罪の洗浄である。

  それを消す行為は、“神意への冒涜”にもなりうる」

 

 その言葉に、研修医は完全に黙り込んだ。

 

 やがて、ある患者の家族がスヴァイに尋ねた。

 「この子、熱が下がらないんです。祈っていただけますか……?」

 

 スヴァイは静かに頷き、患者の頭上に手をかざした。

 彼の祈りは静かで、美しかった。

 唱えられた言葉は、古の言語で紡がれ、まるで風が吹き抜けるような優しさに満ちていた。

 

 ──そして翌朝。

 その子どもの熱は、下がっていた。

 

 医療スタッフの間にざわめきが走った。

 

 「まさか……祈りだけで?」

 

 しかし、ラーミナが冷静に分析する。

 「前夜、彼女には“鎮静効果のある魔素清涼水”を飲ませたはず。

  おそらく作用時間と偶然が重なっただけよ」

 

 セリアが口を開く。

 「……でも、あの子のお母さん、“先生の祈りが届いた”って、すごく嬉しそうだった」

 

 リクトはその報告を受け、スヴァイのもとを訪れた。

 

 「祈りで命が助かったと、あなたは信じているか?」

 

 スヴァイは静かに答える。

 「信じています。祈りは“神の意志”を引き寄せ、

  人の心と肉体を整える。だから、それは癒しなのです」

 

 「なるほど。……なら、こう考えてはどうか?」

 

 リクトは、患者用の椅子に座りながら続ける。

 

 「“祈り”には、“医療的価値”がある。

  だがそれは、神の力によるものじゃない。“人が人に寄り添った”ことによる、生理的な反応だ」

 

 「つまり……あなたは“科学”で説明できると?」

 

 「部分的には、ああ。祈りの声が安心感を与え、副交感神経を優位にする。

  不安が減れば、呼吸は整い、痛みも緩和される──これは、医療として意味がある」

 

 しばらく沈黙が流れた。

 

 「しかし、それは“神の力ではない”と断じることにもなりませんか?」

 

 リクトは首を横に振る。

 

 「断じない。ただ、“両方を認める”。

  人が“神の祈り”を信じ、そのことで体が楽になるのなら──それはもう、“治療効果”だ。

  祈りも、薬も、道具も──“患者を救う”という一点でなら、並列に扱える」

 

 スヴァイは目を伏せる。

 その奥で、何かが崩れ、別の何かが築かれていく音がした。

 

 「……あなたは、信じていないのですね。神を」

 

 「信じていない。けれど、“信じている人の命”は、信じて守る」

 

 > 医者は、自分の信じる手段だけで命を測ってはいけない。

 > “患者が望む癒し”に、寄り添うだけの余白が必要だ。

 

 その夜、スヴァイは一人で礼拝室に座り、長い時間、静かに祈っていた。

 

 翌朝──彼は、自ら第七診療室に白衣を着て現れた。

 

 「私は……祈る。そして、学ぶ。

  “癒し”の形を、もう一度、自分の手で見つけるために」

 

 その姿に、誰も異を唱える者はいなかった。



 総合病院西棟・第一講義室。

 この日、そこに集まったのは、まるで“世界の縮図”だった。

 人間、魔族、獣人、東方教国の司祭医、そして村から来た研修生たち──

 それぞれが異なる文化、技術、信仰、そして“命への向き合い方”を持っていた。

 

 講義の目的はただひとつ。

 「医療とは何か」を、もう一度、全員で問うこと。

 

 講師席に立つのは、俺──リクト。

 

 「二週間前、この講義室で、皆に“医療とは何か”を問うた。

  それぞれが自分の言葉で語り、ぶつかり、学び、揺れ、そして──いま、ここにいる」

 

 静かな空気が、教室全体に張りつめる。

 

 「今日は“同じ問い”を、もう一度、やる。

  今度は、“一人ではなく、誰かと向き合った後”の言葉としてだ」

 

 黒板に再び現れる問い。

 『医療とは、何か』

 

 最初に立ち上がったのは──魔族のラーミナ。

 

 「以前の私は、“魔素を整えること”だけが医療だと思っていた。

  でも今は、“相手の見ている命”を、否定しないこと──それも医療だと知った」

 

 続いて、獣人のチュク。

 

 「俺にとっちゃ今でも、“痛みを止める”のが医療だ。

  でもそれは、“痛みを分かち合う”って意味もあるんだって、最近ようやくわかった」

 

 司祭医スヴァイは、静かに立って言った。

 

 「神の加護は確かにある。だが、その加護が届く場所には、“人の手”が先に触れていた。

  ……だから私は、“祈りと技術”の両方を持ちたいと思った」

 

 そして──セリアが最後に立つ。

 

 「“助けたい”と思ったとき、方法があるのが医療。

  でも“助けられなかったとき”に、その手を離さずにいられるのが……医者だと、私は思います」

 

 教室は静まり返っていた。

 

 それぞれが違う答えを出した。

 だが、それを否定する者は誰もいなかった。

 

 「これが、交差点だ」

 俺は黒板の下に一文を記す。

 

 > 医療とは、“違う想いが同じ命を見つめる場”である。

 

 「俺たちは、正しさを揃える必要はない。

  だが、“命を前にして誠実である”ことだけは、誰にとっても同じ責任だ」

 

 セリアがそっとノートを閉じた。

 ラーミナが頷き、チュクが照れくさそうに腕を組み、スヴァイが胸元の聖印に指を当てた。

 

 > 人種も、種族も、信仰も、技術も──

 > すべて違って、すべて正しくて、

 > それでも“命を助けたい”という一点で、交わる。

 

 その日、王立医療学総合病院は“ただの施設”ではなく、

 新しい医療の交差点として、確かに息を吹き込まれた。

 

 そしてリクトは、この交差点から再び歩き出す。

 今度は、医者としてだけでなく──人としての決断へと向かって。



 夕暮れの王都。

 総合病院の広大な庭に、セリアと俺は並んで立っていた。

 木々が赤く染まり、患者も弟子たちも診療室を離れ、街に灯がともりはじめる時間。

 この一日の終わりの“隙間”だけが、ようやく自分たちを取り戻せる時間だった。

 

 「今日、病院で十人目の分院申請が通ったよ。北東の山村。名前は……なんだったかな」

 「クレス村だな。昔、魔物に囲まれても逃げなかった“鉄壁の村”。

  まさかそこが、“医療の砦”になるとはな」

 

 俺たちの会話は、まるで昔の診療所で交わしたように自然だった。

 言葉のテンポも、目を合わせるタイミングも、息を合わせるように。

 

 「先生……私、ふと、思ったんです」

 

 セリアの声が、ほんの少しだけ震えていた。

 

 「わたし、ずっと先生の隣にいるのが“当たり前”だった。

  診療所でも、王都に来てからも。気づいたら、背中を見てた。

  それって、どうしてだと思います?」

 

 俺は答えなかった。

 否、答えられなかった。

 

 「憧れ……じゃ、たぶんない。尊敬、だけでもない。

  もっと……なんというか、“安心する場所”だったんです」

 

 彼女はそっと、自分の胸に手を当てた。

 

 「わたし、昔は病気で弱くて、人の足手まといで、泣いてばかりで。

  でも先生の診療所で、“立っていい”って思えたんです。

  歩いても、間違っても、“もう一度治せる”って……そう思えたから」

 

 俺の中で、何かが静かに軋んだ。

 医療者としての矜持。

 命を救う責任。

 そのすべての奥に──ただ、彼女とここまで歩んできた時間があった。

 

 「先生。いまは“王都の院長”だけど……わたしにとっては、

  “いつもの先生”なんです。怒って、笑って、悩んで、それでも“命の前に立ち続ける人”」

 

 言葉が静かに降り積もるように、胸に染みていく。

 

 「だから、わたしはもう一つ、自分に問いかけました。

  ──“このまま隣にいてもいいのか”って」

 

 セリアは顔を上げた。

 夕暮れの光に照らされたその瞳には、誤魔化しのない意志があった。

 

 「支えることはできても、“選ばれること”は違う。

  だから先生──いつか、ちゃんと選んでください」

 

 俺は小さく頷いた。

 

 > 支えるということは、与えるだけじゃない。

 > 隣に立ち続ける人を、いつか“見つめ直す”責任がある。

 

 セリアは少し笑って、小さくつぶやいた。

 「……でも今日は、答えはいらないですよ」

 

 そして彼女は、少しだけ俺の隣に寄り添って立った。

 まるで、昔の診療所のときと同じように。

 

 ──その距離が、いままででいちばん近く、

 それでもどこまでも静かで、やさしかった。



 王都に春の風が吹いた。

 病院の庭の花がひとつ、ふたつと咲き始めるなか、

 俺のもとに、一通の封筒が届けられた。

 差出人は──アメリア=ルーシェ。

 かつて、深い傷を負って運び込まれ、診療所で命をつないだ、あの貴族の娘だった。

 

 封は王都の外、彼女が外交使節として任じられている国境の街から届いたものだった。

 

 封筒を開くと、薄桃色の便箋に、整った優しい筆跡でこう綴られていた。

 

________________________________________

拝啓 リクト先生へ

王都でのご活躍、風の噂で耳にしております。

総合病院の院長となられたと聞いて、もう“あの診療所の先生”ではいらっしゃらないのかな、と少し寂しく思っています。

でも──変わらないものも、あると思って。

私が“死にかけていた私”だったとき、先生は、誰よりも強く、誰よりも優しかった。

私の体も、そして“誰にも触れられなかった心”も、

あのとき先生は、真正面から見てくれました。

あの瞬間から、私は“生きたい”と思えるようになったんです。

先生は、きっと覚えていないかもしれません。

でも、私にとっては一生の記憶であり、──一生の憧れです。

________________________________________

 

 手紙は、途中から少し言葉を選ぶようになる。

 

________________________________________

……先生。

私、いまでも、先生のことが好きです。

この気持ちは、“救ってくれた医者”としての尊敬かもしれないし、

“ひとりの人”として見ている恋かもしれません。

どちらも、間違いじゃないと思っています。

だから私は、“憧れのままでいい”とは、もう言いません。

もし、また会える日が来たら──

今度は、先生の隣に立てる私として、もう一度挨拶させてください。

________________________________________

 

 便箋の最後に、小さく「追伸」と添えられていた。

 

先生がかつて私に言ってくれた、“あなたは生きていていい”という言葉、

今、私が人に伝えています。

本当に、ありがとうございました。

 

 ──手紙を読み終えたあと、俺は長い時間、席を立てなかった。

 医者としての責務。

 人としての距離。

 そして、“救った命”に対して芽生える感情の重さ。

 

 セリアが隣にいた時間と違い、アメリアは“過去の自分を変えてくれた人”として俺を見ていた。

 それは、強くて、美しくて、……同時に、残酷なほどの想いだった。

 

 > 救われた者の感謝は、時に“愛”と重なる。

 > 医者はそれを、“患者との距離”として自制してきた。

 > だが、人として向き合ったとき──その線は曖昧になる。

 

 夜、俺は便箋を閉じ、そっとしまった。

 

 「……選ばなければならない日が、近いな」

 

 それは、命と向き合ってきた男が、

 “生き方”と“誰と歩むか”という問いに、

 真正面から向き合うときが来たということだった。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


今回の第18話では、「見えない病」「異なる医療観」「届かぬ想い」というテーマを通して、

リクトがさらなる“視点の広がり”を得ていく姿を描きました。


魔族の医師との邂逅は、まさに“衝突”と“共鳴”の象徴であり、

違いを理解しようとする対話の始まりでもありました。


そしてラストに届いたアメリアからの手紙──

言葉では語り尽くせなかった想いが、ようやくリクトに届き始める、そんな温かくも切ない余韻が残ります。


次回は、その“手紙”の内容を受け、リクトが再び歩むべき“信念の道”へと向き直る章となります。

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