第11話:通達と証明──命が語る反証の記録
ご閲覧ありがとうございます。
今回の話では、リクトたちが癒術院からの“通達”に直面しながらも、それに対する“証拠”を集め、命を救いながら声なき叫びに応えようとします。
過去に封印された記録、科学と魔法の融合、そして治癒不能とされた少女の命──
村の人々と共に、一つひとつ証明していく戦いが始まります。
どうぞ最後までお楽しみください。
邸宅から診療所へ戻る馬車の中、
セリアは珍しく、言葉少なだった。
「……疲れたか?」
「……ううん。先生のこと、考えてた」
曖昧な答えに、俺は視線を向ける。
「昔の話だけど……先生、あの人を、すごく好きだった?」
突然の問いに、一瞬だけ沈黙が生まれる。
「……そうだったかもしれない。
ただ、好きだったというより、“信じたかった”んだと思う」
レイナは、“制度の内側”にいた人間だった。
力も、立場も、正しさも持っていた。
だからこそ、信じたかった。
──自分が信じる医療の正しさを、誰かに肯定してもらえると。
「でも、信じたその人間が──俺の“存在そのもの”を否定した。
だから、あのとき……俺はすべてを捨てるしかなかった」
セリアはしばらく黙っていたが、
やがて小さく口を開いた。
「それでも、先生は……その人の、大事な人を助けた」
「助けたのは患者だ。レイナじゃない」
「でも、あの人、“誰かを想って泣いてた”よ。……先生と同じ目で」
思い返す。
レイナの瞳。あの頃の強さも、冷たさもなく、ただ“命を繋ぎたい”という願いがそこにあった。
あれが偽りでないなら──
きっと、あの数年間のどこかで、彼女自身も“制度の中で傷ついた”のだろう。
翌朝、邸宅から使いが来た。
エドワルドの容態が安定し、意識が戻ったとのことだった。
「……よかった、ほんとに」
セリアの声には、ほっとした色が滲む。
俺はただ、深く息を吐いた。
その日の午後。
レイナが、ひとりで診療所を訪れた。
「……お礼を言いたくて。……そして、謝りたくて来たの」
彼女はまっすぐ俺を見ていた。
「昔の私は、先生の言葉が怖かった。“癒せない命にも希望がある”なんて、そんな言葉を信じたら……
自分の“正しさ”が崩れる気がしてた」
そのときの感情が、今、ようやく言葉になったのだろう。
何年もかかった謝罪だった。
「今さら何を言っても、過去は戻らない。だが──変わろうとしているお前を、俺は否定しない」
レイナの肩が小さく震え、ほんのわずかに涙が滲んだ。
その背中を見送りながら、セリアがぽつりとつぶやいた。
「ねぇ、先生……“想いが遅れて届く”って、ありなんだね」
俺は静かに答えた。
「遅れても届くなら、それは“意味のある声”だ。
命も、想いも、間に合うなら──やり直す価値はある」
かつて信じた人が、
ようやく、“同じ医療の言葉”を話し始めた。
それは、過去が許されることではなく、
未来を“選び直す”という、新たな始まりだった。
夕暮れの研究塔。
日が傾き、診療所の窓にオレンジ色の光が差し込む中、
レイナが、ひとり、訪れた。
「……これで、本当に最後にするわ。今度は“頼みに来た”んじゃない」
静かに口を開いた彼女の手には、小さな封筒が握られていた。
「彼の容態は安定した。回復の見込みもある。……その感謝と、報告。
そして……あの日、あなたと“別れることを選んだ理由”」
俺は封筒を受け取らず、ただ席に座るように促した。
「聞こう。今なら、俺も聞く資格がある気がする」
レイナは目を伏せ、深く息を吐いた。
「あなたを否定したのは、私自身のためだった。……癒術の家に生まれ、
魔力を使えない者は“欠陥”とまで言われてきた中で、私は“正しい側にいたかった”」
“正しい側”。
制度の中、庇護の中、安全圏にいることで、自分を守ってきた。
だが──その正しさは、
リクトという一人の人間を、“制度の敵”と見なすことで成り立っていた。
「私は、あなたを“信じる勇気”がなかった。
あなたの言う、“癒せない命にも価値がある”って言葉が怖くて、
自分の価値が崩れる気がした」
それは、制度に守られていた者にとっての“最大の罪”だった。
正義ではなく、恐れによって、誰かを切り捨てること。
「……だから、今さら謝っても、きっと無意味だと思う。でも、それでも私は──
今のあなたを見て、“もう一度、向き合ってみたかった”」
俺はしばらく黙っていた。
思い返す。
あの日、制度から追われた直後、彼女が最後に告げた言葉。
『私には、あなたの医療は理解できない』
──そして、背を向けた。
「理解できないままでも、いい。
でも、お前が“理解しようと歩いた距離”は、届いたよ」
レイナは目を見開いたあと、ゆっくりと微笑んだ。
それは、昔の彼女が決して見せなかった、柔らかく、無防備な笑顔だった。
「これからどうする?」
俺がそう問うと、彼女は窓の外に目をやった。
「私は、あの屋敷を出るつもり。
“制度の後ろ”ではなく、ちゃんと“命の前”に立つ場所を探したい」
「それが、贖罪か?」
「……違う。選び直しよ。私自身の人生を。
そして、あなたが今いるこの場所が、それを教えてくれた」
沈黙が訪れる。
だが、それは過去を責めるものでも、未来を縛るものでもなかった。
レイナは立ち上がり、最後にひとつだけ言った。
「リクト。……あのとき、もし私があなたの手を取っていたら、
どうなっていたと思う?」
「きっと、どこかで“命を救えていた”。でも──今とは違うやり方だっただろうな」
「……そうね。
でも私は、今のあなたのやり方のほうが──ずっと好きよ」
それが、二人の過去を締めくくる言葉だった。
ドアが閉まり、彼女の足音が遠ざかる。
俺はそっと、椅子にもたれて呟いた。
「過去は、変えられない。
だが、“決別”の先にある未来だけは、自分で選べる」
今日の光は、どこか優しかった。
深夜の研究塔。診療記録の整理をしていると、ふいに窓の外から声が聞こえた。
「……先生、まだ起きてると思った」
セリアだった。
外套のフードを外すと、わずかに湿った髪が光に揺れる。
「雨、降ってたのか?」
「うん。けど……なんとなく、歩きたくて」
彼女は少し間を置いてから、ぽつりと口を開いた。
「……あの人、レイナさん。すごく綺麗な人だったね」
俺は答えず、視線を記録に戻した。
「先生は、あの人のこと、もう……完全に、吹っ切れてる?」
直球だった。
ああ、やっぱり気になっていたのか。
だが、その問いには、簡単な答えが存在しなかった。
「過去は……俺にとって、捨てたものじゃない。
ただ、“選ばなかったもの”なんだ。医師としての選択を重ねた結果、あの関係は続かなかった」
セリアが少し俯く。
「そっか。……先生は、ずっと変わらないね。
人を診る時、いつだって“私情より命”を優先する。
それって、かっこいいけど、すごく寂しいことでもあるんだよ」
その言葉に、俺は初めて手を止めた。
「……たしかに。医者として生きるってことは、“何かを後回しにする”ことかもしれない。
恋愛も、過去も、時には怒りさえも──命の前では、全部脇に置く」
「でもね、先生……それでも、誰かが先生を“人として”好きになってもいいでしょ?」
セリアの声は、揺れていた。
戸惑い、迷い、でも確かな感情を押し出すように。
「私は……先生が“人間として冷たい”って思ったこと、一度もないよ。
誰よりも人の痛みに寄り添ってきたの、見てきたもん」
その言葉が、胸の奥に静かに刺さった。
俺は椅子から立ち上がり、窓の雨音を聞きながら、口を開く。
「……ありがとう、セリア。
俺が“医者として正しい”ことばかり選んできたせいで、
誰かの感情を傷つけてきたことは、たしかにあったかもしれない」
「でも、あの人を助けたのも、あの人から離れたのも、
俺なりの“答え”だった。……今も、そう思ってる」
「うん、わかってるよ。
ただ……少しだけ、そういう先生の“選ばれなかったもの”の中に、
私がいなければいいなって思っただけ」
そう言って、彼女は微笑み、くるりと背を向けた。
その背中を見ながら、俺は思った。
医療は、時に“感情の犠牲”の上に成り立つ。
だが、感情があるからこそ、命の重みもわかるのだ。
選んだこと。
選ばなかったこと。
それぞれの代償は、俺が背負う。
けれど──それでも、誰かが“寄り添いたい”と思ってくれる限り、
俺は“人間としての自分”を、否定せずにいたい。
朝の診療準備が整った頃、扉をノックする音が響いた。
セリアが出ようとしたそのとき、俺はその足音の気配で誰かを察していた。
──レイナだ。
静かに開いた扉の向こうにいた彼女は、以前よりもどこか柔らかくなった顔をしていた。
だがその目には、もう“過去”の色はなかった。
「……これで本当に、最後。会いに来たのは、挨拶のため」
彼女はそう言いながら、診療所の中へと入った。
「彼──エドワルドは快方に向かってる。医療補佐の人たちが来て、
リハビリの準備も進んでる。……全部、あなたのおかげ」
俺は黙って聞いていた。
彼女がこの場所に来た意味が、“礼”以上のものだと分かっていたからだ。
「癒術しか信じてなかった私が、あなたの言葉を否定していた。
あのとき、あなたに手を伸ばす勇気があれば、きっと違う道があった。……でも、もう悔いてばかりじゃ前に進めないから」
彼女は封筒を差し出した。
「これ、私が王族関連の医療記録から独自に調べた、“癒術が効かなかった症例”のリスト。
今後、科学医療の手が届くべき命だと思う。あなたなら、ちゃんと届く」
思わず息を呑んだ。
彼女が“制度の側”にいた立場から、自ら情報を持ち出してきたということは──
それは、彼女が“線を引いた”ということでもあった。
「……お前は、どうするつもりだ?」
レイナは、笑った。
どこか安堵に満ちた、別れの覚悟を含んだ笑顔だった。
「私は、貴族という立場も、家の後ろ盾も手放して、しばらく国外に出るつもり。
外の医療を見て回る。今度は、“正しいこと”じゃなく、“信じたいこと”を自分で探してみたいから」
彼女はセリアの方へも、ふっと視線を向けた。
「あなたは、きっと……この人のそばにいてくれる人ね。
その優しさで、ちゃんと“医者じゃない彼”のことも支えてあげて」
セリアは驚きつつも、きちんと一礼した。
「ありがとう。私は、まだ未熟だけど……この人の隣にいられるように、ずっと頑張る」
それにレイナは頷き、俺に最後の一言を残した。
「──リクト。私、やっと“間違いを選んだ自分”を赦せた気がする。
それは、あなたが許してくれたからじゃない。あなたが“私に背を向けなかったから”」
彼女は一礼し、そして振り返らずに、扉の向こうへ消えていった。
静寂が訪れる。
俺はそっと、封筒を机に置いた。
中に詰まっているのは、“制度が見逃した命の記録”だ。
そしてそれは、彼女なりの──“命への責任”だったのだろう。
セリアが、ぽつりと呟いた。
「……なんか、すごく寂しい別れだったけど、
それでも、“ちゃんと終われた”って感じがした」
「ああ。俺たちは、“別の道”を選んだ。
でも、どちらも間違ってなかったんだと思うよ」
選ばなかった過去。
でも、その先で“誰かを救う選択”ができるのなら、
その分かれ道に、意味はあった。
そして今、俺の隣にいるのは──
選び続けてきた命の重みを、共に背負ってくれる存在だった。
診療所の夕方。
患者たちの波が落ち着き、ほんの束の間、穏やかな時間が流れていた。
「先生、今日もすごかったね。あの男の子、ずっと熱が下がらなかったのに……」
「体温調整の機能が未熟なうえに、癒術では誤反応を起こす体質だった。
……正しく診断できてさえいれば、助けるのは難しくなかった」
淡々と返しながら、俺は手元のカルテにペンを走らせる。
その書き方を、セリアは黙って見つめていた。
「先生ってさ、たまに……すごく冷たく見えるよね」
「そうか?」
「うん。でも、それが逆に安心するんだよね。
どんなに大変でも、“取り乱さずに命に向き合ってる”って思えるから」
その言葉に、俺は少し手を止め、窓の外を見やった。
「……セリア。命を救うってのは、優しさでできるものじゃない。
時に“突き放すこと”が、命を繋ぐ鍵になる」
たとえば、情に流されて処置を遅らせれば、それだけで手遅れになることもある。
たとえば、希望を与えすぎれば、結果的に“信じる力”さえ奪うこともある。
「俺があの男を治療したのは、医師としてそうすべきだったからだ。
たとえ、彼が俺の命を否定した一族の人間でも、
今、命を前にして助けるべきだった──それだけだ」
「でも、先生が診なければ、その人は助からなかった」
「そうだな。……だが、あのとき俺が選んだのは“感情”じゃない。
冷徹に、“命を助ける責任”を果たしただけだ」
セリアは、ゆっくりと頷いた。
「それが、先生の“強さ”なんだね。
でも、私は……先生が時々見せる“人間らしさ”も、大事にしてほしいって思うよ」
俺は思わず、ふっと笑ってしまった。
「……たまには、そういう日が来るかもな。
だが、今はまだ──この冷徹さを手放すわけにはいかない」
命の現場は、常に緊張の綱渡りだ。
だからこそ、“判断と感情”は分けなければならない。
“医師として”助ける。
その選択は、時に“人として”冷たく見える。
けれどそれでも──
生き延びた命は、いつか“人の温かさ”を知る日が来る。
俺の手は、今日も冷静に、命を記録していく。
けれど心の奥で、その命が未来で笑えることを願いながら。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この第11話では、「癒術が効かない患者をどう救うか」、そして「封印された真実」をめぐる攻防を中心に描きました。
特に少女・エルナの救命は、癒術では成し得なかった医療の力を証明するものであり、
リクトたちの医療がただの“異端”ではないことを物語る出来事だったと思います。
次回、第12話では、ついに“癒術院の特別審問官”が登場。
公の場での審問、リクトの“言葉と結果による証明”が始まります。
感想・ブックマーク・レビューなど、いつも本当に励みになっております。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします!




