第10話:命を語る者たち──封じられた記録と答えの在り処
ご覧いただきありがとうございます。
今回の話では、癒術院からの正式な“通達”により、リクトと村人たちは厳しい決断を迫られます。
「癒術では救えなかった命」「封じられた記録」「科学的医療の成果」──
真実を示すのは、言葉ではなく命の経過。
村という共同体が、“何を信じ、何を選ぶのか”を描く大切な回となっております。
ぜひ最後まで読んでいただければ幸いです。
その報せは、王立医療局の執務室にて静かに告げられた。
>「王政勅令に基づき、現・宮廷医師長ヒュベリオン=グランデルを解任する。
> 後任は当面空席とし、制度改革の一環として診療権の一時凍結を行う」
──通達書には、そう記されていた。
「……とうとう、来たか」
俺のつぶやきに、セリアが思わず振り返る。
「ヒュベリオンって……あの、“先生を追放した人たちの頂点”にいた人?」
「ああ。ロズワルが動けなくなってからは、実質彼が制度の最高実力者だった」
王族の命を“魔法でのみ救う”と主張し、
癒術こそが唯一無二の正義と掲げてきた男──
その末路は、あまりにも静かで、皮肉だった。
王女アメリアの手術成功が公となり、制度の信頼が揺らぎ、
民の支持が“選択肢”に向き始めた今──
彼の“誤った選別”は、制度側からも“切り捨てる材料”となった。
「処分理由は“管理不行き届き”と“診断における重大な誤判断”。
まあ、形だけの説明だが、実質は“見限られた”ということだ」
ライナが報告書を差し出しながら言う。
「王女の症例についても、“不適切な診断”だったことが正式に認められています。
さらに、他にも複数の“癒術無効”患者の記録改ざんが発覚しているようです」
それを聞いたセリアが、怒りを抑えた声で言う。
「……つまり、助かるはずの人を、“制度の都合”で見捨ててたってこと……?」
「事実が証明されれば、彼はもう戻れない。──だが、それで終わりじゃない」
ヒュベリオンの失脚は、確かに制度にとっての転機だ。
だが、それを“スケープゴート”として済まそうとする動きもある。
“彼だけが悪かった”とすれば、他の制度側は“傷つかずに済む”。
──それを許してはならない。
数日後。
処分通達が公表され、王都中の噂となった。
「宮廷医師長が解任……本当に、“追放されたあの医者”の方が正しかったってことか……?」
「癒術院の中で何が起きてたんだ? 記録が改ざん? それって……」
民衆の声が、制度の正義を問うようになっていた。
俺はその中心に立つつもりはない。
だが、“命を選べるようにする場”が崩されないように、前に立ち続ける覚悟はある。
その夜、王立診療所の扉を閉めながら、セリアが聞いてきた。
「先生……ざまぁって、こういうこと?」
「違うな。“ざまぁ”は相手を下げる言葉だ。
でもこれは、“命の価値が上がった”ってことだ。俺にとっては、それで十分だ」
誰かを倒すためにここに来たわけじゃない。
ただ、“見捨てられた命を拾う医療”を、当たり前にしたいだけだ。
それでも──
誰かの“選別”によって踏みにじられていた命が、
ようやく“光の下”に出られたことは、確かだった。
王都の制度中枢に亀裂が走った。
──ヒュベリオンの失脚。
それは、癒術を“絶対の標準”と信じてきた医療構造にとって、決して小さくない崩れだった。
だが、制度はすぐには壊れない。
それどころか、今──内部で“新たな分裂”が始まっていた。
「聞いたか? 癒術院内で、“次代医療融合案”が通ったそうだ」
「非公開資料の開示が進んでる。いよいよ、“科学医療との併用”が本格的に……」
一方で──
「癒術は神聖不可侵だ! 異端と手を組むなど、正気の沙汰じゃない!」
「あいつらは“誤診と事故”を正当化してるだけだ!」
改革派と保守派の主張がぶつかり、
癒術院そのものが、“価値の再定義”を迫られていた。
「……内部分裂、始まったな」
研究塔で報告を聞いた俺は、静かに呟いた。
「反対派は、制度を守るために“声を荒げる”。でも改革派は、事実と希望を積むだけだ。
いずれ“揺れる声”ではなく、“重なる証拠”が勝つ」
そう──こちらは“命を救った”という、
取り消せない事実を持っている。
王都第二診療区の科学医療部門にも、
新たな流れが入り込み始めていた。
「こちら、今日から研修に加わる王都医術学舎の卒業生三名です」
セリアが案内する扉の先にいたのは、緊張した面持ちの若者たち。
「癒術師として学んできましたが……“救えなかった命”が忘れられなくて。
だから、ここで“違う方法”を学びたいと思いました」
その言葉に、俺はただ頷いた。
「魔力でも技術でもいい。“命を救いたい”という動機があるなら、ここで学べばいい。
それが、“未来の医療”になる」
セリアが、ふと横で呟いた。
「……変わったね、先生。最初は二人だけだったのに。今は、仲間も、学びたいって人も、増えてる」
「ああ。俺は医療を“選ばれた者のもの”にはしない。
“誰でも学べて、誰でも救える場所”にしていく。それが、この場所の意味だ」
かつて、命は“診られるかどうか”を他人に選ばれていた。
けれど今──
命を診る側も、
診られる側も、“選べる時代”へと動き始めている。
制度は揺れ、癒術派は分裂した。
だが、その崩れの中で──確かに“希望の芽”は広がっていた。
その日は、制度にとっても、そして俺にとっても――歴史的な転換点となる一日だった。
王立医療議会。
かつて俺が追放を告げられたその円卓の間に、再び足を踏み入れる。
「本日の議題──科学医療部門の制度的昇格、および医術二系統併存の是非について」
議長の言葉が、重く空間に響く。
傍聴席には、セリア、ライナ、アメリア王女の姿もある。
かつて命を救った者たちの“証人”として。
議題が読み上げられたあと、慎重な空気の中、
まず立ち上がったのは、癒術院副総監ルミエルだった。
「我々は長年、癒術こそが正統と信じてきました。
だが、それに救えなかった命があったという事実を、今や誰も否定できません」
彼女の言葉に、一部の癒術保守派が眉をひそめる。
「だからこそ、癒術は誇りを保ったまま、
新しい医療と共に歩むべき時代に来たのです」
その瞬間、議場の空気がわずかに変わった。
続いて立ち上がったのは、科学医療部門を統括することになる行政官、クレイド=バークス。
「制度の下に“選択肢”が整うこと。それは、混乱ではなく、安定だ。
癒術と科学医療、どちらが上かではない。“共に補い、共に進む”。その枠組みを、我々は形にしなければならない」
そして──俺が立ち上がる。
「俺は、癒術を否定するためにここに来たわけじゃない。
癒術に救えなかった命の前に、“何もできなかった過去”を、変えたくて来た」
俺の言葉に、議場の視線が集中する。
「制度は、“過ちを認められるかどうか”で、生まれ変われるかが決まる。
今こそ、“命の可能性”を正しく拾える制度を作るときだ」
長い沈黙のあと、議長が宣言した。
>「賛成多数につき、科学医療部門は制度上“正式医療体系の一翼”として認定される。
> 以後、癒術との並立と融合のための共同研究と人材育成が義務付けられるものとする」
……瞬間、議場内に小さな拍手が起こった。
最初は遠慮がちだったその音が、やがて徐々に広がっていく。
セリアの目に、涙が浮かんでいた。
「先生……ついに、“制度が認めた”んだね」
「ああ。“命のための制度”が、一歩進んだ」
俺の中で、何かが確かに変わったのを感じた。
追放された“外側”から、
今、自らの手で“内側”に風穴を開けた。
この瞬間を、きっと未来の医療者たちは“始まり”と呼ぶだろう。
癒術と科学。
光と知恵。
信仰と技術。
それらが対立ではなく、“並び立つこと”を選んだ日。
制度は、変わった。
そして俺たちは、次の問いへと進む。
その日、診療所の扉が重く、静かに開いた。
中へ入ってきたのは、見覚えのある女だった。
高位貴族の紋章が刺繍された薄青の外套。気品を湛えた立ち姿。
だがその瞳には、かつて見た“自信”はなかった。
「……久しぶりね、リクト」
俺の手が、診療記録の上で止まった。
「……レイナ=フェルドリア」
彼女は、俺の“元婚約者”だった。
癒術至上主義の名家に育ち、制度の恩恵を当然のように信じていた女。
かつて俺が制度批判を口にしたとき、
“あなたと一緒には歩けない”と、冷ややかに言い放った相手だ。
「いったい、どういう風の吹き回しだ?」
声は冷静だったが、自分でもわかっていた。
何か──良くない理由で、彼女がここに来たことを。
レイナは、深く息を吐いたあと、言葉を吐き出すように言った。
「……助けてほしいの。私の“夫”を」
その言葉に、セリアが小さく目を見開いた。
「貴族院での政略結婚。……相手は、あの医師長ヒュベリオンの甥よ。
でも、彼が“癒術無効”の病に倒れて……癒術院は“助からない”と判断した」
皮肉だと思った。
癒術だけを正義と信じ、異端を拒んできた一族の男が──
その癒術に見放され、命の綱を“異端の医療”に頼ろうとしている。
「……診断書は?」
「……これが、癒術院の診断書。それと、私が記録してきた症状の日誌……」
彼女の声は震えていた。
差し出された書類には、確かに“不可逆性魔素崩壊症候群”の文字。
だが、それは誤診の可能性が高い。
数値と記録を照らし合わせれば、治療可能な症例に思えた。
「リクト……お願い。あなたにしか、できないの」
かつて俺を捨てた者が、今こうして頭を下げている。
だがその姿に、憐れみも復讐心も湧かなかった。
「……診るかどうかは、俺が決める。患者の症状を見てからだ。
“懇願されたから治す”なんてことは、俺はしない」
レイナの肩が、わずかに震えた。
セリアが、戸惑ったように俺の袖を引いた。
「……先生、あの人、かつての……?」
「……ああ。俺を見捨てた人間だ。けど、今ここにいるのは──“助けを求めた患者の家族”だ」
誰が、どんな過去を持とうと。
命の前では、すべて等しく、今が“始まり”になる。
ただし──俺は、過去の感情では動かない。
“医師として、診るべきか”。
それだけを判断する。
レイナは何も言わず、深く頭を下げたまま、
静かに涙をこぼしていた。
診療所を出て、馬車で半刻。
王都北区の高台に広がる貴族街。その奥まった敷地に、“彼の屋敷”はあった。
「ここが……フェルドリア家の本邸……」
セリアが息を呑む。
癒術派の象徴として君臨してきた名家──
だが今、その門は重く沈み、屋敷の中に気配は乏しかった。
「案内します。……このままでは、彼は三日と保たないと医師団に言われたわ」
レイナの声はか細く、屋敷内の静寂にすら負けそうだった。
通された寝室には、蒼白な青年が横たわっていた。
ヒュベリオンの甥、そしてレイナの夫──
エドワルド=グランデル。
顔は若いが、呼吸は浅く、脈も不規則。
皮膚の下に紫斑が浮かび、熱はあるのに発汗が止まっていた。
「典型的な“神経性自律機能崩壊症”。癒術では分類不能の範囲だ」
「……助かるの?」
「正直、微妙だ。だが──まだ“望みがある”」
俺はセリアに簡易診療具を手渡しながら、処置を始めた。
血圧測定、喉奥の観察、反射検査。
細かな“人体の答え”を拾いながら、少しずつ、真実に近づいていく。
──この男は、確かに“俺を排除した側”の象徴だった。
だが今、彼はただの一人の患者。
制度に見捨てられ、命の淵に横たわる存在に過ぎない。
「先生……どうするの? 助けるの?」
セリアがそっと尋ねる。
その目には、怒りも哀れみも入り混じっていた。
「治療はする。だが、“情け”ではない。これは“責任”だ。
どんな命にも、差をつけずに向き合う。それが、医者のすることだ」
俺は、冷却処置と神経安定剤の調合に入った。
命に対する“覚悟”は、過去の憎しみより重い。
それを選ばずして、俺は“医者”ではいられない。
「……なぜ、ここまでしてくれる?」
微かに開いた唇から、エドワルドの声が漏れた。
「俺は、あんたの命に借りがあるわけじゃない。
だが──命は、誰かの過去ではなく、“これから”のためにある」
彼は、うつろな目をわずかに動かし、天井を見つめた。
「……レイナが、泣いてた。あんな顔、初めて見た」
──今さら何を思おうと、それで過去は変わらない。
だが、今ここで“選び直す”ことはできる。
俺は処置を終え、深く息をついた。
「あと数日、症状が安定すれば回復の見込みはある。
それまで、命にしがみつけ」
部屋を出ると、レイナが廊下で立ち尽くしていた。
「……助けてくれるのね」
「俺が助けたのは“患者”だ。お前のためじゃない」
そう告げて、俺はそのまま屋敷を後にした。
だが背後で、小さく聞こえた彼女の言葉は、
ほんのわずかに胸をざわつかせた。
「それでも……ありがとう」
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
癒術院の通達によって、リクトたちが公然と“命を守る行為”を否定されるという、重くも避けられない対立が描かれました。
ですが同時に、患者の命を救った“事実”が、村人たちの心に確かな影響を与えていきます。
また、封印されていた“記録”──かつて科学的治療が認められかけていた過去も浮かび上がりました。
次回、第11話では、いよいよ王都からの“審問官”が村に到着します。
言葉ではなく、実績と行動で示すしかない時。ご期待ください。




