第1話:追放された外科医 ― 魔法の国で異端とされた“医学”
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『魔法が信仰とされた世界で、“医学”を信じた追放外科医』は、
魔法が癒しとされる世界において、科学と手術で命を救おうとする異端の外科医の物語です。
本話は、王都癒術院から追放された主人公・リクトが、
辺境の村へと向かうまでのプロローグとなります。
魔法では救えない命に、医学は何を届けられるのか――
その問いの始まりを、どうぞ見届けてください。
「──リクト=クレメンシア。お前を王都癒術院より追放する」
その宣告を聞いた瞬間、俺は「ああ、やっぱりな」とため息をついた。
昼下がりの診療会議室。壮麗な大理石の床、魔法陣の刻まれた長机。ここで働くようになってもう三年になるが、今なおこの場所に馴染んだ気がしなかった。
「異端の学問に固執し、魔法を軽視し続けた愚行。癒術院の名を貶める行為に他ならない」
語気を強めるのは、院長モルディス。魔法至上主義の象徴とも言える老人だ。彼は俺の“科学による医療”を徹底的に嫌っていた。
「体内のエネルギー流を整えれば治る病などない。あれは単なる糖尿病だ。インスリン注射で──」
「黙れ! 科学? 化学物質? そんなものに命を任せるなど、狂気の沙汰だ!」
わかっていた。理解されることは、最初から諦めていた。
ただ──
「患者が助かったことに変わりはない。それが癒術師の役目じゃないのか?」
静かに言い返した俺に、会議室は一瞬、静まり返った。
だが、返ってきたのは、乾いた嘲笑だった。
「結果オーライで倫理を逸脱する者など、医師とは呼べんよ」
その言葉を最後に、俺は身一つで癒術院を追い出された。
白衣すら返せと言われた俺は、私物を詰めた鞄ひとつを肩にかけ、癒術院の門をあとにした。春の陽気が皮肉なほど心地よかった。
人々は噂しているだろう。「あの男、ついに追われたか」と。俺の名は、王都ではすでに異端者として知られていた。
それでも、悔しさはなかった。
──次に助ける患者が、いる限り。
そう、俺はただ、人の命を救いたかっただけだ。
たとえこの世界が、魔法こそが正義だと信じていても。
俺の知る医学は、必ず誰かの命を繋ぐ。
だからこそ、俺は行く。王都を離れ、誰にも邪魔されない場所で、もう一度──医者としての道を歩むために。
次の患者は、どこにいる?
その問いを胸に、俺は辺境の村を目指し、旅立った。
王都を離れて三日、俺は辺境の村「アルトレーネ」へ向かう街道を歩いていた。
地図にすら曖昧にしか載っていない小さな集落。王都からの馬車路も途切れ、俺は徒歩で山道を登っていた。もはや旅人ともすれ違わない。空気は澄んでいるが、文明の匂いはない。
「……ま、医者ってのは、どこにでも必要とされるもんさ」
自分にそう言い聞かせながら、獣道を踏みしめる。
だがそのとき、道の脇からかすかな呻き声が聞こえた。
「……ぅ、あ……っ……」
反射的に足を止め、茂みに目を凝らす。
いた。少女だ。十歳くらいだろうか。ぼろぼろの服に身を包み、地面にうずくまっている。
「おい、どうした。大丈夫か?」
声をかけて近づくと、彼女はびくりと体を震わせた。
「……来ないで……呪われる……私に近づくと、死ぬって……!」
ガタガタと震える身体。目は見開き、虚ろな光を湛えている。顔色は青白く、唇は乾いてひび割れていた。
──熱中症か脱水症状、それに極度の衰弱。迷信なんかじゃない、これはただの病だ。
俺は迷いなく鞄を開き、水筒と塩入りの手作り電解水を取り出す。
「いいか、これは“呪い”なんかじゃない。ただの体調不良だ。飲めば治る」
スプーンに水をすくい、ゆっくりと少女の唇に当てる。
最初は怯えていたが、口に含ませるとわずかに喉が動いた。
「……あ、あまい……?」
「塩と砂糖が入ってる。水だけじゃ吸収できないからな」
俺は少女の手を取り、脈を測る。早いが、不整脈はない。重症化すれば命を落とすレベルだが、まだ間に合う。
「もうちょっと頑張れ。あと30分もすれば、頭のぼんやりもおさまるはずだ」
少女はぽろりと涙をこぼした。
「……ほんとに、私、死なないの?」
「当たり前だ。俺が診た患者で、見捨てたやつなんていない」
そう言って頭を撫でると、少女は声を殺して泣き出した。
それは、長い間“呪われた子”として村で恐れられ、誰にも近づかれなかった子供の、ようやく届いた救いの涙だった。
この出会いが、やがて辺境の村に医療革命をもたらすきっかけになるとは──
この時の俺も、彼女も、まだ知らなかった。
少女の名はセリア。村の外れに捨てられるように暮らしていたという。
その理由は、彼女の家系に“呪われた血”が流れていると、村で信じられていたからだった。
「この子の母親も、原因不明の熱で亡くなったんだそうだ。村では“呪いの血”って……」
事情を話してくれたのは、村長代理を名乗る初老の男、ゴルドだった。俺がセリアを背負って村に入り、応急処置を施したことで話を聞くことができた。
「だが、熱中症と栄養失調なら“呪い”じゃない。手当てすれば回復する」
俺は静かに反論した。
彼らの目には、明らかな困惑と警戒の色が浮かんでいた。
当然だ。魔法が常識のこの世界で、俺の知識は異質すぎる。道具も、言葉も、理屈も──すべてが“怪しい”と映るだろう。
だが俺は、セリアの体調がみるみる良くなる様子を見せることにした。
「……起き上がれるか?」
俺が問いかけると、セリアはおずおずと体を起こした。顔色は戻り、手も震えていない。
「だ、大丈夫……お腹はまだ空いてるけど」
「それは良い兆候だ。食欲が戻ったなら、もう大丈夫だよ」
俺は微笑んだ。
村人たちがざわつく。
「あの子、立ってる……!?」
「何もしてないのに──いや、薬を飲ませてただけ……?」
その中で、ゴルドだけがじっと俺を見ていた。そして、深いため息をひとつ吐くと、言った。
「……リクト殿。そなた、本当に“癒術”を使っていないのか?」
「魔力なんて、一滴も使っていないよ。これは、俺の世界で“医学”と呼ばれていた技術だ」
「……なるほど。だが、村の者がすぐに理解するとは思えん」
俺は肩をすくめた。
「いいさ。理解なんて、急がなくていい。俺はただ、助けを求めてる人を治したいだけだ」
その瞬間、ゴルドの目が、わずかに和らいだ気がした。
──ここから始まるのだ。
偏見と無知、そして迷信に縛られたこの村で、俺の“医療”という名の戦いが。
その瞬間、ゴルドの目が、わずかに和らいだ気がした。
──セリアの回復。それは、ここで俺が“何者か”を示すための、最初の一歩だった。
この村に、そしてこの世界に、俺の“医療”が受け入れられるかどうか。
それは、これから少しずつ──信頼を積み重ねていくしかない。
セリアが回復してから二日が経った。
村の空気は、少しずつ変わり始めていた。表立って敵意を向ける者はいないが、背後からの視線には未だ警戒と疑念が混ざっている。
俺は村の広場近くにある、かつての倉庫小屋を間借りして仮の診療所として使っていた。木造で、風通しは最悪だが、屋根があるだけありがたい。
今日もまた、誰も来ない一日が始まる……そう思っていたその時だった。
「だ、誰かいませんかっ! リクト先生っ!!」
悲鳴にも近い声が外から響いた。扉を開けると、若い女性が涙目で立っていた。後ろには、ぐったりとした少年を背負った男がいる。
「村長代理の孫です! 突然高熱を出して……っ、身体が熱くて冷たくて、どうしたら……!」
「すぐ中へ。寝かせて!」
俺は簡易ベッドの布を払って、少年を横たえた。顔は真っ赤、だが指先は冷たい。呼吸も浅く、目は焦点を結んでいない。
「脱水とショック症状が出てる。高熱が急に出たときの典型だ」
「呪いじゃ……ないんですか……?」
女性の震える声に、俺ははっきりと首を振った。
「違う。これは病気だ。ちゃんと処置すれば助かる」
水分を口から摂らせるのは危険な状態だった。俺は鞄から自作の点滴セットを取り出す。ゴムチューブと針、精製済みの生理食塩水。異世界では異物としか思われないだろうが、これが命を繋ぐ。
「こ、これは……魔具ですか?」
「違う。ただの道具だ。魔力は一切使わない」
俺は静かに針を刺し、輸液を始めた。
村人たちは固唾を飲んで見守っていた。誰もが疑っているのが分かった。だが、手を出そうとする者はいない。
時間が経つにつれて、少年の呼吸が整い、額の汗が滲み始める。
「……ふぅ……」
微かに吐息が漏れた。
「息、した……!? ルークが……!」
女性が泣き崩れた。付き添っていた男が、帽子を脱いで俺に向かって深く頭を下げる。
「……助けて、くれて……ありがとうございました……!」
言葉は震えていたが、確かに感謝が込められていた。
その瞬間だった。診療所の外で、ざわめきが起こる。
「リクトって奴、本当に癒術を使わずに治したらしいぞ」
「なんだって……? じゃあ“呪い”って……」
村の空気が、確かに少し変わり始めたのを感じた。
疑念はまだ消えていない。だが、希望が混ざった視線が、確かにそこにあった。
──これでようやく、最初の一歩を踏み出せた。
ルーク少年の容体は安定し、翌朝には自分で水を飲めるようになっていた。
彼を抱きしめて泣き崩れた母親の姿が、昨日から何度も頭に浮かぶ。
──感謝は、素直に嬉しい。
だが、それ以上に、今日の広場には「変化」があった。
人々の視線が、明らかに違っていた。
「おはようございます、先生……」
「昨日のこと、村中の噂になってますよ」
あれほど距離を取られていたのが嘘のように、声をかけてくる人間が増えた。
けれど、口調の中にはまだ「ためらい」がある。完全に信用されたわけではない。何かあればすぐにまた“異物”扱いされる、そんな危うい均衡の上に立っている感覚だ。
その証拠に、午前の診療中──
「先生、うちの娘が熱っぽくて……診てもらえませんか?」
「いいですよ。様子を見せてください」
俺は優しく答えた。
だが、娘を連れてきたその母親は、俺の背中越しに誰かへ視線を向けながら、こう付け加えた。
「……その……診てもらって、もし“呪い”だったら……村長様に、相談しても?」
──なるほどな。
“呪い”と“病気”の区別すらついていないのだ。
無理もない。彼らにとって、死ぬような病に魔法が効かない時、それは「呪い」だ。説明がつかないことを“異質な力”のせいにするのは、古今東西変わらない反応だろう。
「大丈夫ですよ。呪いじゃありません。ただの扁桃腺の腫れです」
「へ、へん……なに?」
「喉の奥が腫れてるってことです。水分と休養、あとは少し熱を下げる草を煎じれば治ります」
「そ、そうですか……」
どこか釈然としない顔で帰っていく母親の背中を見送りながら、俺は小さく息を吐いた。
その日の夕方、セリアが診療所にやって来た。
「先生、みんな少しずつだけど、優しくなってる。ルークのことも、“あれは魔法じゃない”って話してた」
彼女の笑顔は、光のように素直だった。
「ああ。けどな、セリア……本当の信頼ってのは、奇跡を一回起こすだけじゃ足りないんだ」
「え?」
「“当たり前のことを、当たり前に続ける”。そうして初めて、“あの人なら大丈夫だ”って思ってもらえる」
セリアは少し考えるように眉を寄せてから、ゆっくりと頷いた。
「じゃあ、私……先生のお手伝い、続けてもいい?」
「もちろん。お前が最初の“患者”だったからな。誰よりも、信じてくれてる」
少し照れたようにうつむいた彼女の頬が、夕焼けに染まっていた。
その夜、俺は日誌にこう書いた。
“呪い”とは、知らないことの名前である。
そして“信頼”とは、説明する努力の積み重ねでしか築けないものだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
本作の第1話は、リクトが追放されるまでと、彼の「覚悟」の始まりを描いています。
魔法という“信仰”に逆らい、医学という“証明”を信じた男が、
どんな命と出会い、どんな選択をしていくのか――
次回から、いよいよ彼の医術が本格的に“現場”で試されていきます。
引き続き、ご期待いただけたら嬉しいです。