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 父親が起きてきたのは三姉妹の朝食が終わる頃だった。姿を表すなり、


「想子がこんなことになっちゃったのよ」


「もう困っちゃう」


「どうしたらいいかしら」


と、急き立てる母親を無視し、ニンジンになった想子をじっと見つめた。頭から伸びる艷やかな緑色の葉っぱにオレンジ色の肌、フォルムもニンジンよりになった娘に対し、父ならきっと冷静な判断をしてくれるはずだと想子は信じていた。


「ほっといても別にいいんじゃないか?」


 期待に反し、父の第一声はあまりに他人事で楽観的で、想子は思わず下を向いて、使い古した赤い猫柄の箸を見つめることしかできなかった。


「やっぱりそうよね」


 母親の嬉々とした声が追い打ちをかける。おそらく自分の予定を狂わされたくないのだろう。放置できることに露骨に安堵している。


「私、もとに戻れるかな」


 声を絞り出すと父親は、「まあまあ」と言いながら自分の椅子に座った。


「そのうちに治るよ。大丈夫」


 想子を見つめ、笑顔を浮かべつつ、もう俺は無関係だとでも言いたげな言葉が返ってくる。投げやりなくせにちゃんと温もり付きの優しさはあるからこの父親は厄介なのだ。


「そうかしら」


 そんな父親と想子を見比べて母親が声を漏らした。


「本当に大丈夫かしら」


 いかにも不安げな声で突っかかってくる。


「ニンジンになるなんて聞いたことないし、ご近所で噂になるだろうし。病院にいって確かめたほうがいいのかしら」


「寝れば治るんじゃない?」


 今更不安をぶつけてくる母に対し、父は即座に答える。


「いつもお母さんがいっているじゃないか。寝れば治るって」


 その声色に想子の背中が凍りついた。父親の言葉の端々から責任を押し付ける母への苛立ちが否応なしに伝わってくるから、想子は恐怖で黙ることしかできない。

 しかし、幸いにも想子には姉が二人いた。


「寝ればニンジンって治るの?」


 空気を引き裂くように長女の瑠子は父親に問いかけた。


「このまま外に出るの大変じゃない?」


 口を出さずにはいられなかったのだろう。誰もニンジンになったことはない。正解なんてわかるはずもないのに放っておかれる妹が不憫だったし、自分だってニンジン人間の姉なんかになりたくはない。大人ならもっと手立てを考えてもいいじゃないか。しかし、父親は暢気にスマホを見ている。


「青い缶のクリームを塗ると治るらしいよ」


 父以外の全員が口を閉ざした。呆れ果てて返す言葉がみつからない。


「何を根拠に……」


 瑠子は頭を抱えた。


「今、ネットで調べたよ」


「クリームで保湿してどうしてニンジンが治るの?」


「この知恵袋で言っている」


「どうやって調べたらニンジンになった人間をもとに戻す方法を検索できるの?」


 さあねと、父親が冷めた笑いを落とした。どうにもできないことでガタガタ騒ぐなと跳ね返されてしまったのだ。想子は唇を噛み、涙が零れそうになるのをこらえることしかできなかった。


「月曜日治らなかったらどうするの?」


 低い声で瑠子が言う。


「このままいくのはやめてよね。妹がニンジン人間なんて嫌だよ。明日は休んでよね」


 瑠子の怒りの矛先が想子に変わった時、


「何言ってるの!」


 母親が突然叫んだ。


「月曜日の仕事を休めっていうの?」


 キッと想子を睨みつけたあと、父親に視線を向ける。


「お父さん、どう思う? わたし休まないとダメかしら」


「さあ。様子を見ればいいんじゃない?」


 父は早々に席を立ち、自分の部屋へと消えてしまった。鼻息荒いまま母親は勝ち誇ったように想子を見下ろした。


「そうよ。明日には治っているかもしれないじゃない。だいたい瑠子は無責任なのよ」


 瑠子の顔から目をそらしたまま、父がテーブルに残していった食器を片付け始めた。


「病院に連れていけないくせに病院に行けとか、面倒見ないくせに休めとか。偉そうなことばかりじゃない」


「そんな言い方しなくていいでしょ!」


 瑠子がバンッテーブルを叩いた。何でこうなるのだろう。ピリついた空気は針になって突き刺さり、想子をなじった。お前のせいだ。お前のせいでまた家族が喧嘩した。お前は悪者だ。ニンジンだ。


(私以外の家族はみんなニンジンが嫌い)


 でも、想子は野菜の中で一番ニンジンが好きだった。


(私は邪魔者だ)


 泣きたくないのに感情は押し寄せて、苦しくて喉がヒリヒリと痛い。

 そして、母親が特大のため息を吐き出す。


「どうせお母さんが悪いわよ」


 母親の決め台詞だった。


「私は運転できないからお父さんみたいに病院に連れていけないからね」


 瑠子は立ち上がる。


「馬鹿みたい。テスト期間中なのに心配して損した」


 瑠子は勢いよく椅子をテーブルに戻し、

 

「妹は得でいいね」


 吐き捨てると、大股に歩いて自分の部屋へと戻っていった。階段を登る足音は明らかに怒っている。食器を母親もわざとガチャガチャと音を立てて、スポンジを動かしている。


「月曜日までに治らなかったらどうするの?」


 しばらくして、次女璃子が見計らったように想子に訊ねた。できるだけ小さな声で。


「わかんない」


 この空気は休めそうにもない。それだけは確かだ。


「隠して登校する?」


「うん。隠すよ」


「マスクして。前髪を下ろして。首まである服を着る?」


「そんな服、持ってないよ」


「貸してあげる」


 璃子は少しだけ笑って、最後に残しておいた林檎を食べると「ごちそうさま」と言って立ち上がった。璃子はこのあと学校だ。文化祭の準備の手伝いに行くらしい。


「早く治ると良いね」


「うん」


 想子もさっさと食べ終えて食器を流しに運んだ。不機嫌な母が無言で受け取り、胸にもやもやを残したまま部屋へと逃げ込んだ。

 部屋に入ると無意識に上着を着て、出かける準備をしていた。

 両親が出かけるのを想子はずっと待った。ニンジンのまま待った。


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