あなたを好きになってはじめて(嘉門視点)
今日は丸井さんと、はじめて休日に2人で出かける。異性とは言え、別に先輩と後輩の普通の外出なのだが、丸井さんは俺にとって憧れの存在だからか、なんだか妙にソワソワしてしまった。服もいつもならパッと決められるのに、今日に限ってやけにどれを着たものか迷ってしまう。
でも丸井さんの姿を目にしたら、自分の恰好を気にするどころじゃなくなった。丸井さんは俺のファンに気を遣ってくれたようで、わざわざ男装して来てくれた。丸井さんの友人の言うとおり、ぱっと見は男子中学生のようだ。
けれどよくよく見れば、ちゃんと丸井さんで、珍しくノーメイクで、あどけない素顔がとても可愛かった。丸井さんはオシャレが好きで、髪や爪やメイクをいつも楽しみながら工夫しているようだった。もちろん綺麗に着飾った姿も素敵だけど、丸井さんの素顔は多分ごく身近な人しか知らない。そんな貴重な素顔を見られて、朝からとても感動してしまった。
親とさえ会話が盛り上がったことのない俺だけど、丸井さんが話上手なおかげで道中も話題に困らずに済んだ。
道の駅に到着し、車から降りると丸井さんはテンションマックスで俺を振り返り
「車を出してもらった代わりに、今日は私がなんでも奢っちゃうよ! 好きなものを頼んでね!」
まさかの申し出に俺は少し驚きながら
「いや、そんな。俺から誘ったのに、丸井さんに払ってもらうなんて悪いです」
単にマナー的な意味ではなく今日は丸井さんと会ってから、ずっと「こんなに楽しいのにタダでいいのか?」と自問していた。特に丸井さんは一般女性ではなく芸能人だ。正直、情弱の俺は他の芸能人に会っても、あまり何も思わないのだが、丸井さんだけは本当にキラキラと輝いて見える。
俺もいちおう芸能人なのだが、丸井さんの前では一ファンのような気持ちになり、思わず課金したくなる。
けれど真のスターである丸井さんは、少しも偉ぶることなく
「ううん、気にしないで。むしろ嘉門君は私の後輩なんだから、奢られなくちゃダメ。後輩は大人しく先輩に可愛がられるのだ」
ニコニコしながら世にも優しい先輩風を吹かせた。丸井さんに笑顔を向けられると、普段は強張っている顔が自然とほころんで
「じゃあ今日は、お言葉に甘えてご馳走になります」
それから俺は丸井さんと道の駅を見て回った。牛肉の串焼きやタコのから揚げや揚げたてのポテトの他にも、新鮮な野菜のスティックサラダなど、丸井さんはなんでも美味しそうに食べる。
俺は今まで食べ物も、健康維持や肉体作りのために必要な栄養素としか考えていなかった。味覚は普通にあるが、舌を喜ばせるために食事をすることはほとんどない。でも丸井さんと「美味しいね」と言い合いながら食べる食事は、どれも美味しかった。
中でも丸井さんが気に入ったのが
「すごいね、このメロンパン! 北海道産ミルクを贅沢に使ったソフトクリームをメロンパンでサンドするなんて! 甘くて冷たくて美味しい! まさに夢のメロンパンだよ!」
飲食スペースに座った丸井さんは「美味しい~」とメロメロになりながら『夢のメロンパン』を頬張った。俺はいよいよ我慢できなくなって
「あの、動画を撮ってもいいですか?」
自分はプライベートで撮影を求められるのがあまり好きではない癖に、ついねだってしまった。しかし丸井さんは慣れているのか、ただ首を傾げて
「動画? 写真じゃなくて?」
「動画のほうが丸井さんの表情の変化とか、声も残せるからいいなって」
俺の返事に、丸井さんは「ファンみたいなことを言うね?」と目を丸くした。
丸井さんは俺をただの後輩だと思っている。それなのに、こんなことを言ったら気持ち悪いかもしれないが
「……俺、もうすっかり丸井さんのファンですよ。丸井さんと話すようになってから、あなたの出る番組は全部見るようになったし、マイチューブもSNSもフォローしています」
芸能人としては珍しいらしいが、俺自身はマイチューブもSNSもやっていない。だから誰かのフォロワーになることも無かった。けれど、このたび丸井さんの投稿見たさに、はじめてアカウントを作ってフォロワーになった。
ツブヤイターでよく見かける「どこに行って何を食べた」などの報告。誰が喜ぶのだろうと今までは疑問だった。でも丸井さんの「どこに行って何を食べた」を知れるのは、なぜか嬉しい。
マイチューブの『一緒にご飯を食べる動画』も『着ぐるみパジャマで踊り狂う動画』も。他の人なら「なんだこれ?」と思うようなものでも、丸井さんがやってくれると心底ありがたい。心に光や栄養が行き渡るように感じる。
これが誰かのファンになるってことなんだ。誰かにとっては無価値な人やものが、他の誰かには光や癒やしになっていることがあるんだと、丸井さんのおかげで日々知っていく。
それによって俺も自分のファンへの意識が少し変わった。今まではいくら好意的なコメントを見ても、どうせたくさんある好きの1つ。俺が居なくなっても誰も困らないと思っていた。
でも自分が丸井さんのファンになったことで、俺の姿や声が本当に誰かの心の支えになっていることがあり得ると分かった。今までは技術にばかり囚われていたけど、上手い下手だけじゃなくて、見る人の心に光や力を与える。それだけで、とても価値があると知った。
だから以前は気になっていた無口無表情をからかうようなコメントも、今は気にならなくなった。無感情だ。ロボットだと笑われても、それを楽しんでくれている人が居るならそれでいいと。
ただ画面を挟んだ向こう側ならともかく、顔見知りの相手にそこまでの関心を持たれるのは、やはり気持ちが悪いかもしれない。特別なんだと知って欲しくて打ち明けたものの、丸井さんの反応が怖かった。
けれど俺の懸念とは裏腹に、丸井さんはただ嬉しそうに笑って
「すごいね、嘉門君。私だって友だちの仕事、全部は追えてないよ。そんなに私の動向を気にしてくれるなんて先輩冥利に尽きるよ」
何やら感動したようで「たくさん見てくれて、ありがとう」と握手してくれた。
丸井さんの手、小さくてプニプニで温かい。握手だけで人を幸せにできるなんて、本当にすごい人だ。
しかし丸井さんのファンサは留まることを知らず
「じゃあ、いい後輩かつファンの嘉門君には、特別に私の撮影を許そう!」
ちょっと威張った態度で許可を出すと、コロッと気安い笑顔に戻って
「でもせっかくだから、あとで2人の写真も撮ろうね。そのほうが記念になるし」
女性タレント好感度ナンバー1の丸井さんは、プライベートでも非の打ちどころ無く天使だった。丸井さんが裏表なく可愛くていい人であることを全世界に宣伝したくなった。人はこういう時に発信をするのかもしれない。
道の駅から丸井さんのマンション周辺に戻る頃には、すでに夜になっていた。丸井さんのマンションから少し離れたところに停車する。彼女は車から降りる前に
「今日はすごく楽しかった。ありがとう、嘉門君」
「いえ、俺のほうこそ。丸井さんと出かけられて、すごく楽しかったです」
「すごく楽しかった」なんて簡単な形容では足りないほどの感動と発見があったのだが、俺はいつも言葉も表情も足りない。もっと特別に嬉しくて楽しかったのだと、どうしたら伝えられるだろう?
頭で考えるより先に、車から降りようとする丸井さんを見たら自然と
「……また今度、休みが一緒の時があったら、2人で出かけませんか? また俺が運転しますから」
言った後で馴れ馴れしくなかったかと不安になった。けれど丸井さんは、すぐにパッと顔を輝かせて
「わぁ、いいの? 嬉しいな。嘉門君となら遠くまで行けるね」
「はい。今度はもっと遠出しましょう」
丸井さんと別れて自宅に戻ってからも、胸が弾むような心地よい感覚がずっと続いていた。いま別れたばかりなのに、もう彼女の姿や声が恋しくなる。幸い丸井さんは芸能人なので出演したテレビ番組だけじゃなく、マイチューブの動画配信も見切れないほどある。
(好きな人が可愛い衣装を着て、歌ったり踊ったりしてくれるの、本当にありがたい。芸能人を好きになるって、こんなに幸せなことなんだな)
と、また丸井さんを通して自分が芸能活動をしていく意義を再確認できた。




