嘉門君の密かな悩み
あれから私は嘉門君の『役者辞めたい』発言が、ずっと頭から離れなかった。どんな仕事でもそうかもしれないけど、芸能界は特に周りからは問題なさそうに見える人が、実は密かに心を病んでいて、急に居なくなってしまうことが多い。
単に芸能界を離れるだけならいいけど、取り返しのつかない消え方をする人も居る。嘉門君がそうとは限らないけど、もしこのサインを見逃して後で何かあったら。
私の考えすぎなら「ちょっと恥をかいた」で済むことだしと、お節介を承知で嘉門君に直接聞いてみることにした。
休憩中。また人を避けて非常階段で休んでいた嘉門君に話を聞きに行くと
「……それ、聞こえていたんですか」
無表情ながらも、どことなく嫌そうな雰囲気だ。そりゃ心の中に踏み込まれたくないよねと、私は小さくなりながら
「ゴメンね、プライベートなことを聞いちゃって。しかもたいして仲良くないのに、グイグイ突っ込んじゃって。お節介かもしれないとは思ったんだけど、どうして役者をやめたいのか気になって」
興味本位で聞いているわけじゃないと伝わったのか、嘉門君は意外と素直に
「単に役者に向いてないので」
「えっ、そんなことないよ。私たちの中で嘉門君がいちばん人気なのに、向いてないはずがないよ」
「親が有名だから興味を持ってくれる人が多いだけです。俺の実力ではありません」
嘉門君がそんな風に思っているとは知らず、私はビックリしながら
「そんなことないよ。親が有名だからって言うだけで人気が出るなら、芸能界は全員世襲制になっちゃうよ。本人に魅力が無かったら、やっぱりファンはついて来ないよ」
もちろん私は、嘉門君のご両親も知っている。けれど私のように若い世代の人は、最近の話題作に出演している嘉門君を見て「へぇ、あの人たちの子どもなんだ~」と後で親子関係を知るほうが多い気がする。
それに嘉門君は『世界の美形100選・男性部門』で、なんと3位に輝いている。日本だけでなく世界から見ても真の美形と認められているのだ。そのうえでハリウッド映画バリのアクションをスタント無しでこなす運動神経と、ネイティブレベルの英語力を持っている。
嘉門君はクールでミステリアスで綺麗で強そうで、私を含めて常人は望んでも得られないスター性を持っている。愛嬌と食欲だけでここまで来てしまった私からすれば、実力が無いどころか魅力しか無い人なのだが
「だとしても役者を名乗る資格は無いと思うんです。俺なんて泣く演技どころか笑うこともできないのに」
「……ん? しないんじゃなくて、できないの? 泣きだけじゃなくて、ただ笑うことも?」
私の問いに、嘉門君は機械のように頷いた。
「嘉門君が泣いたり笑ったりしないのは、できないんじゃなくてしないんだと思っていた。はじめて出た映画の役が人型殺人兵器だったし、クールと言うか無感情と言うか、そういう路線で売っているのかなって」
最近のタレントは自分を含めて愛想のいい人が多いので、無口無表情の嘉門君は逆に新鮮でカッコよかった。
「事務所の方針とかではなく、単に俺が本当に表情を変えるのが苦手なだけです」
嘉門君によれば演技の時だけでなく、私生活でも、ほぼ表情を変えることができないそうだ。
嘉門君は子どもの頃から、将来は一流の俳優になるべく、ご両親から厳しい英才教育を受けた。しかし嘉門君はもともと表情を含めて、リアクションが控えめなタイプだったと言う。
ちょっと泣く。ちょっと笑うくらいはあっても、大泣きや大笑いをすることは全く無かった。そこにストイックなご両親たちから
『違う! その表情じゃない!』
『何度やったらできるんだ!?』
『どうして普通に笑えないの!?』
「お前の演技には感情が無い」と厳しくダメ出しされるうちに、顏も声もドンドン硬く強張っていった。それ以来ちょっと泣く、ちょっと笑う程度の感情表現も、自然にはできなくなってしまったのだと言う。
嘉門君は顔色も変えずに淡々と語っていたけど、それは平気なのではなく、それこそ表情にも声にも感情が出ないだけなのかもしれない。
それにしても子どもが泣いたり笑ったりできなくなるまで、厳しく演技指導するなんて
「せ、凄絶な親子関係だね……」
けれど嘉門君は両親を憎んではいないようで
「俺が不器用すぎるんです。両親とも役者なのに、ろくに演技ができなくて、指示どおりに動いて台詞を読むだけで「何やっても嘉門」って言われながら、役者を名乗り続けているのがいい加減恥ずかしくて」
『何やっても嘉門』とは、嘉門君のアンチが言う定番の悪口だ。的外れならいいのだけど、豊かな感情表現を必要とするキャラを嘉門君は演じられない。大雑把に言えば、悲惨な過去により心を無くした人間か、そもそも心を持たないロボットみたいな役しかできない。結果『何やっても嘉門』状態であることは否定できない。




