困った時に頼れる人が居ません
アクション俳優である嘉門君には、一流芸能人としての名声とは裏腹に、若手芸人さん並にハードな撮影が多い。格闘やカーアクションはもちろんとして、特に大変なのが水責めだ。
土砂降りの雨に打たれる。激流に飲み込まれる。ヤバい組織に捕まって文字どおりの水責めに遭うなんてことも、アクション映画の世界ではよくあることだ。
並の役者ならCG処理するか代役を立てるところ、リアリティを重視する嘉門君は全て自分で引き受ける。そんな骨太な役者だからこそ、一流の監督に見込まれて抜擢されるし、ファンにも実力派俳優として注目される。
だけど日常生活ではあり得ない肉体の酷使をすれば、当然体調を崩すこともある。某サスペンス映画で猛吹雪の中、撮影を行った嘉門君は過酷なロケをなんとかやり終えたものの、高熱を出して寝込んでしまった。
そろそろロケから戻った頃かなと電話をかけてみたら
『……すみません。いま体調が悪くて』
と、すごくしんどそうな声で応答されたことで、嘉門君のダウンに気付いた私は
「すみません。こんな遅くに来てもらって」
「ううん。私が来たいって言ったんだから、いいんだよ。本当に具合が悪そうだね。私のことは気にしないで、ベッドに戻って」
嘉門君は遠慮していたけど、すごく心配だったので、彼の家にお見舞いに来させてもらった。本当に余計なお世話なんだけど、風邪の時は自分で買い物に行くのが大変になる。宅配を頼んでも応対すら面倒だろう。だから薬や飲食物など、最低限の差し入れをしてあげたかった。
嘉門君は都内の高級マンションに1人暮らししている。本人も黒系統のスタイリッシュなファッションをしているけど、部屋もモノトーンで統一されていた。日々の細かな家事は自分でするけど、週1で業者さんにハウスクリーニングを頼んでいるという部屋はモデルルームのように綺麗だ。
友人とは言え、男の人の部屋を1人で訪ねるのは初めてなので、ちょっとソワソワしながら
「具合が悪い時の水分補給は、常温のスポーツ飲料がいいんだって。飲める?」
さっそくドラックストアで買って来た常温のスポーツドリンクを飲ませてあげると
「ずいぶん具合が悪そうだけど、食欲はある? あるならおかゆか雑炊を作るけど」
「今は……食べても戻してしまいそうなので」
「そっか。じゃあ無理に食べないで、寝ていたほうがいいね」
人が居るとかえって気疲れするかもしれない。だけど嘉門君は今39度以上も熱があるそうだ。しかも嘉門君は1人暮らしで、ご両親はアメリカで暮らしている。友だちも私以外には居ないと聞いた。
他に頼れる人の居ない嘉門君を、1人にしておくのは心配で
「あの、邪魔かもしれないけど、嘉門君の熱が下がるまで、ここに居ていい? 嘉門君が困った時、すぐに助けてあげたいから」
「それって、ここに泊まるってことですか? でも丸井さんだって仕事があるでしょうに、ご迷惑じゃ?」
「明日は午後からだから大丈夫。だから嘉門君が楽なほうを選んで? 1人のほうが楽なら、そうするから」
「……丸井さんがいいなら、ここに居て欲しいです」
やっぱり1人じゃ心細いみたいだ。私も普段は1人暮らしだが、風邪や体調不良でしんどい時は実家に戻ってお母さんを頼っている。子どもの頃は大人になれば、なんでも1人で大丈夫なのだと思っていたけど、心や体が弱った時は人の助けが必要だ。
だから家族でもないのに図々しいかなと思いつつ、嘉門君のお世話をさせてもらうことにした。
夜。寝る前に、氷枕を取り替えに嘉門君のもとを訪れると
「私ももう寝るけど、何かあったら遠慮なく起こしてね」
「あの」
「ん?」
私を呼び止めた嘉門君は、躊躇うように目を伏せながらも
「……寝る前に少しだけ、手を繋いでもらえませんか?」
予期せぬお願いに目を丸くする。否定的な反応に見えたのか嘉門君は
「……すみません。いい歳して、子どもみたいなことを言って」
合わせる顔が無いとばかりに、布団を目の上まで引き上げた。
「私も具合が悪くなると、人に甘えたくなるから分かるよ」
そう言いながら、私は布団から少し出ていた嘉門君の手を取った。嘉門君の大きな手は、熱のせいで燃えるように熱い。こんなに熱が出たら、しんどくて心細いだろうなと思いながら
「嘉門君が眠るまで、こうしているから。安心して休んでね」
嘉門君は熱で潤んだ目で私を見ると、無言でコクンと頷いた。熱のせいか、それとも別の理由か、静かに閉じた瞼の淵には涙が滲んでいた。
嘉門君が眠ったのを確認すると、私は静かに寝室を出た。ブランケットを借りて、リビングのソファで寝させてもらう。嘉門君の部屋は必要最低限の家具や家電が置いてあるだけで、趣味のものはほとんど無い。いわゆる生活感の無い部屋だったが、1つだけ例外として
(前に私のファンだと言っていたけど、本当だったんだ)
モノトーンのカッコいい部屋には不似合いなヌイグルミやカレンダーは、ファンの人のリクエストで販売している私のファングッズだった。私のファン層は子どもからお年寄りまで幅広いので、カレンダーは『マルちゃんと四季の食べ物』というコンセプトで、かき氷やら焼き芋やら美味しく食べている写真で作ってある。
何せ食いしん坊なので楽しい撮影だったが
(どんな人がこれを買うんだろう?)
と疑問だったファングッズ。まさかの嘉門君が購入してくれていたようだ。
よく漫画で見るような壁一面に推しのポスターとか、祭壇を作ってあるみたいな過剰な置き方じゃないけど、他には全く趣味の窺えないモノクロの部屋に、やたらカラフルな私のグッズがあると、すごく目立っていて、なんだか照れてしまった。




