4. 2人目のお父さん
――それから、数日が経った。
日常生活に支障がない程度に回復したサシャは、オババの所からラウルの家へ向かう支度を始める。
お湯をもらい身綺麗にすると、くすんでいた肌や髪は本来の色を取り戻す。
「おやまぁ、サシャは綺麗な金髪だったんだねぇ。そういや、瞳も珍しい色だね」
オババは驚いたとばかりに、長いが斬バラのサシャの髪をしみじみと見て言う。当のサシャは、自分の外見がどうなったのか鏡を見ていないので、何とも返事に困ってしまう。
体型の近い里の民から譲ってもらった服を着て、髪を結いてもらうと支度は終わる。鏡の前に立たされると、可愛らしい少女がそこに居た。
「年の頃は……小柄で痩せているが十くらいかな?」
「……すみません、分かりません」
「まあ、そのうち思い出すだろうよ。気にしなさんな」
「はい」
「さて。そろそろラウルが来る頃だ」
オババの言葉に少し緊張する。
サシャはロランから「ラウルの子供になるのだから『お父さん』と呼んでやれ」と言われている。
(いきなり気安く呼んで、嫌がられたらどうしよう……)
ラウルの顔を思い出すが、まだ数回しか会っていない上、寡黙なのかろくに会話もしていない。
(でも、私を助けてくれたんだから、良い人……のはず)
サシャは、椅子に腰掛けて膝をギュッと掴むと、静かに迎えが来るのを待った。
◇◇◇◇◇
オババの家でサシャが緊張している頃、ラウルもまた緊張していた。
「おいおい、ラウル。そんな顔で迎えに行ったら泣かれるぞ」
「もとからこの顔だから仕方ない」
「いや、せめて眉間の皺くらい取れ」
表情の硬いラウルを見て、ロランは呆れるように言うとグイッと指で眉間を広げた。
明らかにラウルは不服そうだが、何故かロランにされるがままになっている。
ラウルとしてみれば、色々な感情が入り乱れ自分自身でも戸惑っているのだ。それを知るロランは、敢えて深くは突っ込まない。
自分の妻と、その腹に宿っていた子の命を人間に奪われたラウル。だから、どうしても人間が許せなかった。
(なんで、俺は人間の子供を……見捨てて来られなかったんだ。クソっ!)
その理由は、誰よりもラウル自身が分かっている。だが、それを認めたくない自分がいるのだ。
オババに頼まれた泉の水汲み。泉には特別な力が宿っていて、薬草と調合すると効果を引きあげてくれるらしい。
けれど、簡単には泉に辿り着けない。何せ気ままな妖精が、気に入った者しか近寄らせないのだから。
普通の人間なら先ず入れないのに、何故かサシャはそこに居た。
あの時、サシャの呟いた一言。産まれることが叶わなかった我が子の姿を、ラウルは重ねてしまったのだ。
結局。
脱水状態のサシャに泉の水を飲ませると、生い茂っていたツタを使って自分の体にくくりつけ、この里まで連れ帰って来たのだ。
そして、ロランにサシャを里に入れる事を頼んだ。
ラウルの毛にしがみつき、「お、とうさん……」と譫言のように繰り返すサシャを見たロランは、問い質す事もせず受け入れた。
ロランなりに、ラウルを思っての事だ。少しでも、過去の傷が癒えたらと。
見知らぬ人間の子供が、ラウルの希望になってくれるかもしれない……そんな期待を込めて。
「不安なら、ついて行ってやろうか?」
ラウルの不安は、サシャの記憶がない事だ。勝手に父と間違えたくせに、全く覚えていないのだから。接し方が分からないのだろう。
「……いや、いらん」と答え、ラウルはオババの家へ向かった。
「まあ、なるようになるか」
素直じゃないラウルに、ロランは肩をすくめた。
ラウルが到着すると、オババは意味深長な笑みを浮かべてやって来た。
「あれは、原石だ。ラウルよ、ちゃんと守ってやらんといかんぞ」と訳の分からない事を言いつつ、扉を開ける。
ちょこんと椅子に座って、こちらを見ていたサシャと目が合う。
ラウルは成る程と思う。見窄らしかった少女は、いいとこのお嬢様の様な風貌へと変わっていたのだ。
(だからといって、人間とどう接したものか)
考えに考えてラウルから出た言葉は……
「帰るぞ」の一言だった。
ロランが側に居たら、背後からどついたに違いない。オババは不器用過ぎるラウルに、小さく溜め息を吐いた。
「は、はい! あのっ……」
「何だ」
「お、お父さん、よろしくお願いします!」
「ああ」
照れたのか、プイッと素気ない返事をする。ラウルは、サシャへと届けられた服だの果物だのが入った荷物を担ぎ、部屋を出て行こうとした。慌ててオババは止めた。
「待たんかい! サシャは良くなってはいるが、まだ体力は全然無いんだ。少しは気遣わんかっ」
オババの怒声に、ピタッと足を止めて振り返る。
「そうなのか?」
「お主の目は節穴か?」
呆れるオババを尻目に、上から下までサシャを眺め……「来い」と、また一言。
「え?」
来いと言っておきながら、自分から近付いたラウルは片手でヒョイっとサシャを抱き上げた。
「ひゃっ!」
「しっかり掴まっていろ」
「は、はいっ」
サシャは、ラウルの首元にギュッとしがみつく。
褐色のサラッとした髪が頬に触れる。サシャは、初めてではないその感触に、ドキドキしながらも安心感を覚えた。
「オババ、世話になった」
「いやなに、それが私の仕事さね」
◇◇◇◇◇
オババは、担がれたサシャとラウルを見送った。その後ろ姿に自然と笑みがこぼれる。
すると、コンコンと窓を叩く音がした。
「どうだ、2人は?」
窓の外からロランが声を掛けてきた。
「なんだかんだ、上手くやれそうだよ。似た者同士って感じだね」
「ああ、俺もそう思った」
「だが、ラウルはあれでよく結婚できたもんだね」
「ははっ! 嫁が良く出来ていたからな」
「確かにそうだったな……」とオババは遠い目をした。
温かく見守られながら、サシャとラウルの不器用な親子生活は始まった。