3. 獣人の里
麻痺していた体の感覚が戻り、サシャは漸く意識を取り戻した。
(あれ? ここは……どこ?)
目を開くと、均等に組まれた木の天井が見える。横を向けば、小さなテーブルの上に水差しが。棚には同じサイズの小瓶がたくさん並んでいた。
サシャ自身、小綺麗なベッドに横になっている事から、どこかの家の中に居るのだと理解する。
ゆっくりと体を起こすがクラッと目眩に襲われ、またベッドに倒れてしまう。
(……体が重い)
起き上がるのは諦め、じっとしていることにした。傷の手当てがされていることから、安全な場所ではありそうだ。
暫くすると、コツコツと足音が聞こえた。全身に緊張が走る。
「ああ、やっと目が覚めたかい」
木のトレーを抱えた白髪のお婆さんが、ニコニコとやって来た。
「あ、あの……ここはどこですか?」
サシャは恐る恐る尋ねた。このお婆さんが誰で、看病してくれる理由がわからない。
「先ずは、スープを飲みな。見た目は悪いが、毒じゃない。化膿止めの薬草入りだよ」
水差しの横にトレーを置くと、椅子に座ってスープをかき混ぜ少し冷ます。
お婆さんは、トロッとしたスープを掬うと、サシャの口元まで運んでくれる。サシャは、程よく冷めたスープをゆっくり嚥下した。
少し苦いが不味くない。
久しぶりに食べ物が入ったお腹は、もっと欲しいのかグ〜っと鳴った。「あっ」とサシャは、顔を赤らめる。
「何日も固形物を口にしてなかったみたいだね。少しずつ胃を慣らしていくしかないよ」
コクリとサシャは頷いた。
「ここは、私の家だ。まあ、家って言っても色んな者がやって来る場でもある。あんたは、森の泉の周辺で倒れていたのさ」
「……森の泉? お婆さんが助けてくれたのですか?」
「おや。覚えてないのかね?……こりゃ、どうしたものか」
お婆さんは少し目を泳がせ、扉の方を見た。
「あんた、名前は?」
「……名前」
サシャは思い出そうと考えを巡らせた。
『ーーサシャ、逃げろ!』そんな声が脳裏に響いてハッとする。
けれど、声の主が誰なのか思い出せない。とても大切な人の様な気がするが、思い出そうとすると頭の奥が痛くなる。
取り敢えず、自分に向けて言われた名前は分かった。
「たぶん、サシャです」
「……たぶん、て。まさか、あんた」
お婆さんが目を見開くと、ドカドカと扉の向こうから大きな足音が近付いてくる。
ビクッとしたサシャに、「まったく!……大丈夫、心配はないさね」と言った。
お婆さんは溜め息を吐きながら、椅子から立つ。
「2人とも! もっと静かに歩かんかいっ。病人がいるだろうが!」
バッと扉を開けると同時に、お婆さんは文句を言う。
「すまんっ、オババ」
頭を掻きながらやってきた大男。ダークブラウンの髪に琥珀色の瞳。体格に反して、柔らかい雰囲気で叱られた子供みたいに笑っている。
「だからっ、俺はまだ早いって言ったんだ」
その大男の後ろからやってきたのは、少し細身の男。褐色の髪にグレーの瞳で、ニコリともしない。整っている顔立ちのせいか、冷たい印象だ。
「ちょうど起きていたから良かったものの。お主らは待てない子供かっ!」
呆れて小言を続けるお婆さん。それに困った顔の大の男が2人。
サシャが思わず「ぷっ」と吹き出すと、一斉に視線が注がれた。
「……あ、ごめんなさい」と慌てるサシャ。
「いい、いい。俺らが悪いんだからなっ、なあラウル?」
「ああ、騒がしくして悪い」
細身の方は、ラウルと言うらしい。
「俺は、ロラン。この里で、長をしている。で、お前を助けて来た、こいつがラウル。こっちの年寄りは、オババだ。名前で呼ぶと怒られるから気をつけろ。この里で一番の薬師だ。まあ、一番年もいっているがなっ」
とロランはガハハと笑う。
(オババさんの名前……知らないし)
失礼な紹介にオババはロランを一瞥するが、毎度の事なのか完全に話を流した。
「さて、サシャよ。ロランが言った通り、このラウルがお前さんを助けて此処へ連れてきた。サシャはこれからどうしたい?」
「いや、だからそれはな」と言いかけるロランを、オババは手で制した。
「サシャは記憶がない、そうだろう?」
オババの言葉にサシャは頷き、ロランとラウルは顔を見合わせた。
「……はい。名前は何となく、あとは分かりません。私は……どうしたらいいのですか?」
ロランは近くにあった椅子をベッドの横に置き、ドカッと跨ぐ様に座ってサシャと視線をあわせた。
「サシャといったか? お前は、ラウルに助けられて生き延びた。あのまま放置されたら、死んでいた筈だ」
さっきまでの軽い感じではなく、ロランは真剣にサシャと向き合う。その隣に立つラウルは黙っている。
「ラウルは、お前を自分の子供として里に入れてほしいと俺に訴えた。我々は獣人、つまりサシャと違って人間ではない」
「人間じゃ、ない?」
コテリと首を傾げた。サシャには、3人が人間とどう違うのかわからない。
「そうだ。怖いか?」
「……怖くありません」
寧ろ、自分を心配してくれる優しい人達にしか見えない。
「この里には、本来なら人間は入れられない。だが……もし、ラウルの子として生きていくことを望むなら、俺が民を説得しよう。どうする、サシャ?」
サシャは、顔を上げラウルに視線を向ける。無表情のラウルからは、何も感じ取れない。
(ここを追い出されたら、行く場所なんて無い。それに……)
視線をロランに戻すと、ハッキリとした口調で答えた。
「ラウル様の子供として、ここに居させて下さい」
サシャの返答に、ロランは満足そうに頷いた。
一瞬、ラウルのグレーの瞳に安堵の色が見えた気がしたが……。
(気のせい?)