15. 移り行く感情
やはり、泉の水には凄い力が宿っているのだと、サシャは実感させられた。
ラウルが獣人で、回復力が並ではないと理解しているつもりだったが。こんなに早く完治できるとは、嬉しい誤算だ。
(これを飲み終えたら、治療は終了だって!)
サシャは、オババから飲み薬を受け取ると、軽い足取りで真っ直ぐ家に向かう。当のラウルは、もう大丈夫だからと仕事と訓練に戻っているため、家には誰も居ない。
お天気がいいので、今日はこれから川に行くつもりだ。
薬をテーブルに置くと、窓に映った自分を見た。
何気なしに手を頭に乗せると、あの日のことを思い出す。ぎこちなく、ぽんぽんと頭を撫でてくれた、ラウルの姿を。
(お父さん、耳が赤かったわ。ふふっ……変なの)
そもそも。
あの家の庭先で再会したラウルは、しっかりとサシャを抱きしめていたのだ。心配のあまり、衝動的なものだったのだろう。
ラウル自身、酷い怪我のせいでほとんど覚えていないのかもしれない。
(でも……)
サシャにはそれが、父親としての愛情を感じられたからなのか、ラウルだったから嬉しいのか、そこは判らない。
もう一度、頭をポンポンとさわると、サシャは頬を赤く染めた。
「さてと! 今日は、いいお天気ねっ。洗濯日和だわ」
サシャは晴れ晴れとした表情で、爽やかな青空を見上げた。
◇◇◇◇◇
「おい。まだ、無理は禁物だぞ」
「もう大丈夫だ。治っている」
「お前って奴は……」
里の中でも発言力のある者達と、水路に関する修繕の話し合いを終えたラウルは、訓練場に向かう支度を始めた。
それを、2人になったタイミングでロランが嗜めたのだ。
ラウルは、ロランと2人の時だけ友人の口調に戻る。第三者が居る時は、長であるロランを立てるよう立場を割り切って接していた。
だが、ラウルの機嫌が悪い時は、たとえ誰もいなくても敬語を使ってくる。本人に自覚があるのかは、首を傾げるところだが。
「そういえば、サシャがな」とロランは話し出す。
「サシャがどうかしましたか?」
手を止めたラウルは振り返る。
ほらきた……とロランは苦笑した。
「お前に頭を撫でてもらったって、凄く喜んでいたみたいだぞ」
「そうサシャが言ったのですか?」
「いいや、ナディアが教えてくれた」
「……そうなのか」
と分かりやすい態度のラウルに、ロランは吹き出したいのを堪える。もっと上手くスキンシップを取ればいいのにと思うが、ラウルの性格上難しいのだろう。
「ところで、ラウル。あの時の結界についてだが……」
ラウルの報告から、ロランは色々な伝手を使い、どこの誰が張ったものか突き止めていた。
「わかったのか?」とラウルは表情を硬くした。
「ああ。例の、急激に領地を広げている帝国だ」
「確か……あの場所自体が帝国の土地だったな」
人間同士の争い。自分達、獣人の領域にはまだ手をだしていない。だから静観しているが、向こうから関わってくるなら話は変わってくる。
「そうだ。だが、末端の人間に張れる結界じゃあない。これを見てみろ。手に入れるのに苦労したぞ」
ロランが取り出したのは、1枚の姿絵だった。ラウルは手に取ると、黙って凝視し眉根を寄せる。
「まさか、サシャは──」
「そういう事だ」
姿絵は、その国の皇帝が描かれているものだった。
どう見ても、サシャの髪と瞳は彼譲りなのだと認めざるを得ない。人間のこの見た目なら、年齢的にもちょうど親子くらいだろう。
「こいつに仕えている、側近の魔術師が得意とする結界が、報告されたものと酷似していたそうだ。つまり、あの場にいたのは、この男かその手の者だろうな」
「サシャは、たまたま騎士と会ったと言っていたが。そうか……」
サシャは、何かを思い出していたのかもしれない。
けれど彼女の性格なら、ラウルに心配かけまいと隠すのではないか……ラウルは薄々そんな予感がしていた。
「サシャに見せるかは、お前が決めろ」
「…………」
「そんな顔、サシャに見せるなよ。こっちに戻って来たってことは、それが彼女の意思なんだぞ」
「うるさい。わかっている」
ロランは溜め息を吐く。
「それよりも。もし、こいつらがサシャを諦めていなければ厄介だ。里の警備を強化しておくつもりだが、サシャとアドルフの訓練も少し増やしていくか?」
「そうだな……頼む。サシャにも話を聞く」
万が一を考えておく必要があった。帝国とやり合えば、大きな被害が出るのは避けられないだろう。
そうならない為にも、策を練る必要がある。
「それがいいだろう。……だが、ラウル。お前自身のことも、そろそろ話したらどうだ? 今のサシャなら、きっと受け止められる」
ラウルは、姿絵を眺めながら「ああ」とだけ答えた。
◇◇◇◇◇
「あ、お帰りなさい!」
サシャは、ラウルが帰ってくると薬を持ち、パタパタとやって来た。
手に隠し持った姿絵をそっと後ろへやる。
「これで、治療はおしまいですって」
薬を手渡し嬉しそうに言ったサシャは、夕飯の準備に台所へ戻る。
そんなサシャの後ろ姿に、ラウルは愛おしそうに目を細めた。
夕食の席に着くと、ラウルは話を切り出した。
「サシャ、話がある」
「はい、何ですか?」
「近いうち、一緒に行ってほいしい場所がある」と。
サシャは、ドキリとしてラウルを見詰めると、居住まいを正した。




