12. 3人目、実父の存在
「無駄なことを考えるな」
浅はかなお前の考えなどお見通しだと言わんばかりに、男は短く告げる。
多分だが。サシャの足元に隠してあった、剣の存在にも気付いているのかもしれない。
(この人の目は……誤魔化せないってことね)
剣を引き寄せようとした足を止め、黙って男を見詰める。どこにも隙がない強者の風格。簡単には逃がしてくれないだろう。
「サシャ、お前の利になる取り引きをしようじゃないか」
男の薄い唇は、緩やかな弧を描く。
この場から離れるチャンスを見出すには、出来るだけ会話を続け時間を稼ぐ必要がある。
それに、この男の目的も気になった。指輪について首を縦に振らなかったサシャに、いったい何を求めているのだろうか。
小さな頃に聞いた母親の言葉から、ずっと想像してきた指輪の本来の持ち主。そう、それはサシャの実父だ。
「……私の利とは、何でしょうか?」
「俺と共に来い。そうすれば、地位も名誉も手に入れられるぞ。その上……この国さえ好きに動かせる」
まるで、サシャの反応を楽しむかのような言い方だ。
前の奴らは、サシャを殺そうとした完全なる敵だった。この男は、サシャの存在を利用するつもりなのか。取り方によっては味方になろうとも聞こえる。
(わからない……でも!)
顔を上げ、男の黒い瞳を見据える。
「そんな、大それたこと。私のような小娘には不要なものです。ですから、あなたとは行きません」
サシャはキッパリと言い切った。
「ほう。やはり、動じないな。では、これの意味するところを……何処まで理解している?」
「え……意味するところ? 何のことだか、わかりません」
それは、正直な答えだった。
男は、サシャとの会話の中で何を汲み取ったのか。手に持つ紙とサシャをじっと見比べた。
「サシャ、お前は偉大なる血を引く者だ。敵は多いが、お前を蹴落とした者に復讐し、のし上がるのも面白いぞ」
その瞬間、薄々感じていた事が明確になった。サシャの本当の父親は──この国の、皇帝だと。
「面白い? 何よ……それ」
ボソリと呟く。
サシャの境遇を知り尽くしているかの様な、男の口ぶりに怒りが込み上げる。今まで、自分がどんな気持ちで生きてきたと思っているのか。グッと拳を握る。
「お前達、母子は嵌められたんだ。だから、俺が手を貸してやると」
「そんな事、私は望みませんっ」
サシャは男の言葉を遮り、キッと睨んだ。
「私は今、幸せに暮らしています。それで充分なんです。余計な争いに巻き込まれたくありません」
「そんななりをして、幸せ……だと?」
信じられないと、男は目を見開いた。
「はい」とサシャは素直に答える。
「では、なぜ此処に戻ってきた?」
「それはっ……」
「その剣は復讐の為の物だろう?」
「違います。ただの護身用です。何度も襲われ、殺されかけたら……用心するに越したことありませんから」
この家での出来事を思い出すだけで、目頭が熱くなる。
「ああ。確かにな」と、男は上から下までサシャを眺めた。
「それと、お父さんに……」
「は?」
男は怪訝そうな顔をする。
サシャの言う『お父さん』は、この男にとっては皇帝を意味するのかもしれないと察した。
だから言い直す。
「この家で、私を守ってくれた人に……お礼を伝えたかったんです。私はもう大丈夫だよって」
何でこんな事を、この男に話しているのかサシャ自身も分からなかった。
けれど、男の手にある絵と文字はあの父が書いた物で、確かにここに居たのだ。一緒に過ごした時間は夢ではない。偽りだけど、大切なものだった。
「その指輪が誰の物でも関係ありません。私は……自分の生きたい道を選びます!」
サシャの気迫ある言葉に、一瞬だが男の気が乱れた感じがした。
すかさずサシャは足先で剣を蹴り上げると、手に持ち身構える。
「よかろう」
男も腰の剣を抜くと、サシャに剣先を向けた。
魔術師らしきフードの男は、何かを仕掛けてくる気配はない。
(1対1なら、どうにか。多少の怪我は仕方ないわ。あの窓まで移動できれば……)
一か八かだが、あの窓の外には父の仕掛けが残っている可能性がある。
ジリジリと摺り足で、サシャは間合いをはかった。
その刹那。
バァンッーー!!
と激しい音と共に、窓の外に青い火花が散った。ビリビリと振動で、窓が小刻みに揺れている。
「なっ、なんだ!?」とローブを翻し魔術師は窓辺に走る。
「はぁ〜? うそ、でしょ……!?」
ローブで覆われた後ろ姿で表情は全く見えないが、さぞかし間抜けな顔をしているのではないか。そんな感じの、何とも緊張感の無い声だった。
「サシャ、一時中断だ」
「えっ?」
男はあっさり剣を下ろす。
そして、そのまま魔術師の横に立つと、外を凝視しているではないか。
戦いの最中とは思えない、ただの訓練をしているかの様な男の態度に戸惑った。サシャが不意打ちする可能性だってあるのに。
「馬鹿な!? なぜ、こんな場に!」
苛立ちを含んだ声だった。
(いったい何が……また、別の敵?)
サシャも、窓辺へ近付くと男達の視線を追う。
「あ、えっ? お父さんっ!?」
思わず窓に駆け寄り、男達を押しのけ外を見た。
そこには、褐色の大きな半狼……。
ラウルが、この家に張られた結界に何度も体当たりしている姿があった。




