10. 懐かしい家
妖精は、空中を飛ぶので道など無くても問題ない。
ただ、一応サシャを気遣っているのか、そこまで大変な道を通らなかった。そう、今のサシャなら難なく走れる程度の。
同じ道を辿ったかは定かではないが、小さな子供の足では、果てしない道のりだっただろう。
(あの時は、無我夢中だったからーー)
妖精のスピードに合わせて走りながら、サシャはこの不思議な出来事を整理し始める。体を鍛えだしてから、こっそり自分なりに泉について調べてきた。
(そもそも、里の山に泉があるわけがないのよ。こんな近場にあったのなら、誰かしら知っていた筈だし。それに、突然消えたアドルフの気配やロラン様の仕掛けだって……)
たまたま山にやって来ていた、この妖精の悪戯で異変が起こった。そう考えれば腑に落ちる。
妖精は泉に気に入った者を導いたり、反対に気に入らない者からは隠したりするのかもしれない。
泉を移動させるわけではなく、道を繋げることが出来るのではないだろうか。想像でしかないが。
(たぶん……。だから、泉の場所を知る者がほとんど居ないのだわ)
今こうして案内(?)されていることからも、人間を直接移動させることは出来ないのだろう。サシャはそう結論付けた。
ふと『──サシャは気に入られるだろうな』そんな事を言われたのを思い出す。
(ああ。お父さんはきっと、妖精の存在を知っていたんだ)
羽ばたくたびに、キラキラとした光を舞わせる妖精を見詰めていると、その先が明るくなってきた。
(もしかして、山を抜けた?)
傾斜も緩やかになり、スピードを落とした。いきなり明るい場所に出るのは危ない。辺りを警戒しつつ平地を歩く。
すると、見覚えのある景色が広がってきた。
(やっぱり、ここへの案内だったのね)
サシャは、楽しそうにクルクル飛ぶ妖精を見る。どうやら、まだこの先も一緒に居てくれる様だ。
「ありがとう、心強いわ」
小さく呟くと、サシャは緊張した面持ちで懐かしい家へ向かった。
◇◇◇◇◇
帝国の端の端。
領地をどんどん拡大する大国にとって、ここは管理の行き届かない放置された土地だった。
そんな人里から離れたこんな場所に、なぜポツンと家があったのか分からない。サシャは目が覚めたらそこに居たのだ。
『悪い奴に捕まらないように、一緒にここで暮らすか?』
そんな提案から始まった親子生活。見知らぬ男は、サシャを治療し食事を与え、文字を教えてくれた。軟禁でも監禁でもなく、サシャは望んでそこで暮らしたのだ。誰かに優しくしてもらう事が、温かくてフワフワして嬉しかった。
(孤児院に帰る選択肢は、私には無かったな)
そもそも、あの日の恐怖は孤児院にやってきた迎えが原因だ。
(それに……)
貧しい孤児院で、後から入ったサシャには居場所など無かった。一人増えれば、それだけで食事の量が減るのだ。その上、平民では珍しいサシャの髪色は、貴族への苛立ちをぶつける恰好の的となった。
(孤児院の庭に生えてた草を潰して髪に塗ると、少し目立たなくなる事を知ってから、それが習慣になったっけ)
孤児院を出てからも、その習慣はやめられなかった。買い出しに父が街へ出かける時を見計らって、それを続けた。
髪のせいで、お父さんに嫌われたくない……そう思っていたのだ。
今では皆が褒めてくれる髪色が、サシャは好きになっていた。
「あ、あったわ」
過去の記憶がだいぶ鮮明になった頃、目的の家が見えた。
もともとのボロ屋は、更に廃墟のようになっているだろう……そう覚悟していたのに、目の前の家はまるで当時のままだった。
(……なんで?)
誰も住まない家は老朽化が進む。オババはそう言っていたし、里にもそういった誰も住まない家はあった。
(罠? それとも、お父さんが生きて──)
鼓動が一気に速くなる。
赤の他人が住んでいる可能性だってあるのだ。自分を落ち着かせるように言い聞かせ、深呼吸した。
どちらにせよ、中を見ないと判断できない。
サシャは、崩れかかった低い柵を跨いで敷地へと足を踏み入れた。一瞬……足が土に沈んだ気がしたが、朽ちた柵を踏んだのかもしれない。気をつけながら、もう片足も跨ぐ。
静かに身をかがめ、家の周りをぐるっと見て回ったが人の気配は無い。ホッと胸を撫で下ろす。
立ち止まったサシャの髪を、またしても妖精は玄関の方へと引っ張る。
(入れってことよね?)
ふぅ─……ッと息を吐き、意を決して扉に手をかけた。ギギッと軋む音と共に扉は開く。鍵は掛かっていなかった。
妖精は、目的の場所があるかの様に、室内を真っ直ぐ飛んで行く。
(あっちは確か、お父さんの部屋があったわ)
戸惑いながらも、サシャは慌てて妖精を追った。
――パタン。
と、玄関の扉は閉まる。
それが合図だったかの様に、サシャが跨いだ柵が青い光を放ち出す。
瞬く間に光は家の周りをグルリと走り、そのまま家全体を青い膜で覆っていた。




