1. 1人目のお父さん
胸元から飛び出している、鋭い刃。
流れる血はまだ温かく、足を伝って床に広がっていく。まだ7つの少女に、激痛とその状況を受け入れるのは難しかった。ただ呆然と立ち尽くす。
目の前が黒くなり、少女は膝から崩れ落ちた。
「おい! 子供にここまでする必要はあったのかっ!?」
初老の男はその光景に、信じられないとばかりに顔を歪めた。
「仕方ないだろ。上の命令だ」
「だからって……」
「こいつの存在は、知られちゃなんないんだとよ」
手を拭いながら冷たく言い放った若い男に、初老の男は納得出来ずに食い下がろうとした。
だが。
初老の男自身、上からの命令に背けない事は重々承知している。だから、それ以上は口をつぐむしかなかった。
「さっさと、それを片付けろ」
「……ああ」
初老の男は少女に近付き、その痛々しい傷を覗き込む。独り言のようにブツブツ何かを言っているが、豪雨と雷の唸る音で若い男には聞こえない。
そして、少女を大きな布で包み終えると抱え上げた。
コロンと少女から何か落ちたが、初老の男は一瞬考えそのまま放置しドアへと向かう。
取り付けの悪い扉を勢いよく足で開けると、外は雷光で不気味なほど明るかった。
初老の男の役目は、近くの川にそれを捨ててくる事。その間、若い男は納屋の様なボロい家の始末をする役割だ。
けれどーー。
いくら待っても初老の男は戻って来ない。苛立った男は、雨が止んだのを見計らい川へと向かう。
すると、増水で広がった川の縁には、不自然に潰れた草が川に向かって薙ぎ倒されていた。
「ああ、一緒に落ちちまったのか。どうせ長くはないんだ……まあ、手間が省けて良かったな」
男はポケットから何かを取り出すと、いつの間にか出ていた月の明かりに照らす様に目を凝らす。
少女が落とした指輪の裏を確認し、ニンマリと嫌らしく笑った。
◇◇◇◇◇
――1年後。
「サシャ、背中を見せなさい」
「はいっ。お父さん」
白髪混じりの男に呼ばれ、台に乗って野菜スープをかき混ぜていたサシャは手を止めた。焦げないように火を弱めたサシャは、台からピョンッと飛び降りる。
男に駆け寄って、サシャ用の木の椅子にちょこんと座り背中を見せた。
「うむ、かなり良くなったな。痛みはどうだ?」
「もう、痛くないです。あ、でも雨の日はちょっと痛いかも……」
うーん……と考えながら言う仕草が、あまりに自分に似ていて初老の男はクスリと笑みを浮かべる。
致命傷を負った筈の少女は、あの時まだ生きていた。
サシャの持っていた指輪には、何らかの魔法が掛かっていたのだ。そう、一回かぎりの護石的なもの。攻撃を弾くのではなく、敵を欺くかのような仕様。
信じられない事に、背中と腹には傷が出来ていたが、内臓は貫通していなかった。まるで、そこだけ透過したかのように。
ただ、出血はしていたのでバレないように、治癒魔法をかけて少女を連れ出したのだ。
指輪は……この国の民なら誰しもが知っている紋章が彫られていたため、迷ったがその場に残した。対象者であるサシャを仕留めた証拠として、仲間が依頼主に渡しただろう。
初老の男は敗戦軍の亡命者。行き着いた先は敵国の裏社会。生き残る道は、そこに身を潜めるしかなったのだ。
男はサシャの背に手を当て、呪文らしきものを唱えると、ポワッとした光が傷口を温める。
「これでもう大丈夫だろう」
「お父さんの魔法、気持ちいいです」
「そうか? そりゃ良かった」
「私も、お父さんみたいな魔法使いになれますか?」
サシャの問いに、お父さんと呼ばれた初老の男は答えずに笑みを返すだけだった。お互い、本当の親子ではない事を百も承知している。
だからこそ、サシャは余計なことは言わない。この偽の親子生活が心地よく、かけがえのない時間だったから……壊したくなかった。
男もまた、初めて得た家族という存在に言い知れぬ幸福を感じていた。軍で治癒師として働いていた事はサシャには伝えず、一人の普通の父を演じることによって新しい生き甲斐を得たのだ。
――そう、全てが一変するまでは。
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