想い出のボトルメール ~顔も知らないだれかさんへ~
「ねえ、お父さん、この空きビンもらって良い?」
部屋に転がっていた酒の空き瓶を抱きかかえてくる千里。
「ん? 別に構わないけど、何に使うんだ?」
「えへへ……お手紙を入れて海に流すの!」
「へえ……ボトルメールか。懐かしいな、よし、お父さんも手伝ってやる」
「ありがとうお父さん! 大好き~!」
千里は、絵本で読んだお話に影響されてこのところずっと手紙を書いていたのだ。
遠い海の向こうに住んでいる、顔も知らない誰かさんが読んでくれるかもしれない。千里の小さな胸はワクワクでいっぱいだった。
「よし、これでバッチリだ。さあ千里、流しておいで」
千里の父は元船乗りで、海洋調査のためにボトルメールをよく流していた。その経験もあって、ビン選びから密封方法まで、本気も本気、可愛い娘のために全力で手伝ってくれたのであった。
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「……ねえ、お父さん、これ何だろう? 中に何か入っているみたいなんだけど?」
浜辺を散歩中に見つけた空き瓶を抱えて、海里が父親にたずねる。
「ほお……これはもしかするとボトルメールかもしれないぞ」
「ボトルメール? なにそれ」
「手紙を空き瓶の中に入れて海に流すんだよ」
「なんでそんなことするのさ?」
「昔は、海流の調査とかだったらしいけど、やはり一番はロマンだな。どこの誰かはわからないけれど、遠く海を越えて繋がれるなんて奇跡みたいじゃないか! 運命と言い換えても良いな」
「ふーん……でもたしかに面白そう! ねえ、早く開けて見てみようよ!」
「ふふふ、慌てるのはまだ早いぞ海里、もし機密文書とかだったら危険だ。命を狙われるかもしれない……」
周囲に聞かれないよう声をひそめる父親に青くなる海里。
「はははっ、大丈夫、父さんが先に見て、大丈夫そうだったら、海里に見せるようにするから」
ほっとして大きく息を吐く海里。二人は家路を急ぐのであった。
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こんにちは。わたしはせんりといいます。9さいの女の子です。
この手紙をうけとったあなたは、いったいどんなかたなのでしょう。
おとこのこ? おんなのこ? それともおとうさん? おかあさんかしら? おじいちゃん、おばあちゃんかもしれないわね。
でも、もしあなたが犬や猫だったなら、どうか近くの人間にわたしてくれるとうれしいわ。おねがいね。
わたしは、にしうみねこおきしまという小さなしまでくらしています。
つきのさいごの日。日が沈むまでのいちじかん。わたしはひがしのみさきでまっています。
いつかこの手紙をうけとっただれかさんと出会える日をゆめみているのです。
「ねえお父さん、にしうみねこおきしまって遠いの?」
手紙を読んだ海里が父親にたずねる。
「遠いなあ……一番近い空港からでも、船で二日、しかも定期便は週に一回しかない」
思っていたよりずっと遠くてがっかりする海里。
現在10歳になったばかりの彼には、とても気軽に行けるような場所ではない。
会社勤めの父親も仕事が忙しく、まとまった休みをとることも難しい。
「海里……そうがっかりするな。そうだな……お前が大学……いや、高校生になったら、夏休みに遊びに行って来ればいいじゃないか」
「ええ……? そんなに待たなくちゃならないの?」
不満げな海里の頭を、がしがし撫でる父親。
「そんなこと言ったっていくらかかると思っているんだ? おこずかいだけじゃ到底足りないぞ? これから父さんや母さんの手伝いをして、頑張って貯めるんだ」
「……うん、わかったよお父さん」
海里の頭の中は、手紙の女の子のことでいっぱいになっていた。少なくとも大嫌いなお手伝いをしろと言われて文句が出ないほどには。
いつか必ず会いに行くんだ。そんな決意を胸に秘め、少年は大切に手紙をしまい込むのであった。
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「それじゃあ、行ってくるよ」
高校生になって最初の夏休み。海里は、笑顔で家を出る。
いよいよ念願だった西海猫沖島へ行くことになったのだ。本当はもう少し先になる予定だったが、月末と上手くタイミングが合う船便があったので、海里は決行を決めた。足りない分を両親からの餞別で補うことが出来たからだ。
海里にとっては、初めての遠出だったが、この六年間、なんどもシミュレーションしてきた計画だ。列車と飛行機を乗り継いで迷うことなく目的地に到着。乗船手続きも無事完了した。あとは出航を待つばかりだったのだが……
「え……!? そ、そんな……!?」
しかし、船のエンジントラブルで出航は大幅に遅れてしまう。
予定通りならば、月末の前日には到着する予定だったが、これでは間に合うのかわからない。
しかし、ここまで来て引き返すという選択肢も海里にはない。間に合うことを信じて、ようやく動き出した船上からきらきら輝く海を眺めるしかなかった。
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「……日が沈んだわ。残念、今月も来なかったわね……」
千里は日が沈んだ東の岬を後にする。
彼女とて、そんな奇跡が起こるなんて本気で信じているわけではないが、いまではすっかり毎月の秘かな楽しみになっていた。
こんな小さな島では、そんなささいな楽しみだって、かけがえのない宝物。彼女にとっては、決して色あせない思い出なのだ。
「ふふっ、じゃあね、また来月くるから」
降り注ぐような月と星明かりの下、千里は誰に聞かせるでもなく、ひとりごちるのであった。
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「うわあ…何とか着いたけど、もう時間が無いよ……」
海里が西海猫沖島に到着したのは、まさに月末当日の夕方。日没まであと一時間というタイミングだった。船着場から、東の岬までは、徒歩で一時間以上は優にかかる。
「……よし、走ろう!」
下船するなり走りはじめる海里。こんなこともあろうかと、走り込みは欠かしていなかった。
でも、焦る気持ちと慣れぬ船旅の疲れ、初めての土地ゆえの不安感もあって、思うようにペースが上がらない。
足が鉛のように重くなってくる。息も荒くなり、いつしか歩くのと大して変わらない速度まで落ちていたが、気持ちは途切れない。決して諦めはしない。懸命に足を前へと踏み出す。
「……島の人間じゃないね、何してるの?」
声の方を振り返ると、自転車に乗った少女が呆れたようにこちらを見ていた。
おそらく同年代だろうか。漆黒の黒髪にやや褐色の日焼けした肌。焦げ茶色の瞳が神秘的で海里は思わず見惚れてしまう。
「あ、ああ、東の岬に用があって、急いでいるんだよ。何としても日没までに……」
「ふーん……わかった。東の岬なら、丁度いい。後ろ、乗せてあげる」
「ほ、本当か? た、助かった~」
急いで自転車の後ろに乗る海里。
「……あんたね、こういう時は、嘘でもいいから俺が運転代わるよって言いなさいよ」
呆れた様子の少女。
「あ、ご、ごめん……そうだよな」
「ふふっ、冗談よ。しっかり掴まってなさい。時間がないから飛ばすわよ!」
夕暮れ迫る海を背に、二人を乗せた自転車が海風を切り裂いて走り抜ける。少女の花のような香りとたまに触れる柔らかい感触に海里は知らず胸が高鳴るけれど、今はただ、沈みゆく太陽に祈ることしかできない。
頼むよお日様、少しだけでいいんだ。沈むのをさぼってくれないか?
「ほら、着いたわよ、何の用か知らないけど、あまり端まで行って落っこちないようにね!」
名も知らぬ少女に礼を言って岬へと走る。
祈りが届いたのか、ギリギリ太陽は沈んでいない。
「……ここが、東の岬……」
どうして手紙の少女がこの場所、日没前の一時間と書いたのか、海里は一瞬で理解した。いや、させられてしまった。
「……綺麗だな」
キラキラ輝く水面に映る夕日の美しさ。いつの間にか頬を伝う涙。
ここに来れて本当に良かった。
でも……出来れば君に会いたかったよ……せんり。
「ねえ、君、用事は終わったの?」
いつの間にか、さっきの少女が隣に来ていて、慌てて涙を拭う。
「ああ、ここで待ち合わせだったんだけど、どうやら来るのが遅すぎたみたいだ。ははは……」
「……待ち合わせ? もしかして、待ち合わせの人って……」
「え? ああ、せんりっていう女の子なんだけど……昔、この手紙が入ったビンを拾ってさ……え? な、何だよ、何が可笑しいんだよ?」
突然笑い始める少女に思わずムッとしてしまう。夢を馬鹿にされた気がしたのだ。
「あははははは……、ごめんね、だって信じられなくてさ。いや本当に……あはははは」
「あらためまして、私は万里、千里は私のおばあちゃんよ」
「へ? おばあちゃん……!?」
理解が追い付かない。その顔が面白かったのか、再び笑い始める万里。
「おばあちゃんが子どもの頃流したボトルメールを、あなた……ええっと?」
「ああ、俺は海里 だよ。高校一年生」
「そう、そのボトルメールを海里が拾ったのね。すごいわね……なんだかロマンチック……」
「それで、千里さんは? ……まさか!?」
間に合わなかったのか……そんな海里の絶望的な表情に万里の腹筋が崩壊する。
「あはははは! 大丈夫、ぴんぴんしてるわよ。今回たまたま足を怪我しちゃって、私が代わりに様子を見に来させられたってわけ。でも、来てよかったわ~」
ヒーヒー言いながらニヤニヤしている万里を、そんなに笑わなくてもいいじゃないかと恨めしげに見る海里。
「ところで、海里は今晩どこに泊まる予定だったの?」
「へ? あ、いや……着いてから決めようと思って……」
「あんたね……こんな時間じゃ、観光案内所も閉まってるわよ? 野宿でもするつもりだったの?」
「……ごめんなさい」
「あはははは! なんで私に謝るのよ? でも大丈夫、うちは民宿やっているからね。きっと、おばあちゃんも喜ぶわよ!」
「こ、今度は、俺が運転するから!!」
「……でも、海里、道わからないでしょ?」
「う……まあ、そうだね」
「良いのよ、次はお願いするから、今夜は特別サービス!」
そういって元気よく立ちこぎを始める万里。
降り注ぐような月と星明かりの下、二人を乗せた自転車が夜風を切り裂いて走り抜ける。
千里が営む民宿『ボトルメール』に向かって。