02
だいたい50年くらい未来のお話
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素朴なチュニックを纏った男が、息も絶え絶え横たわっている。顔色も悪い。
その隣では、やはり素朴な衣装を纏った女が一人、心配そうに男を見つめ、祈りを捧げている。
祈りを捧げる女の反対側、そこにも女一人がいる。
その女は、布でマスクをしており、年の頃はわからない。布のマスク、エプロン、そして手袋をしている。その手には、煎じた薬を布で包んだものがある。
女は、清んだ綺麗な水を貯めたお皿に、薬を包んだ布を浸して、軽く絞り、苦しそうな男の唇へ宛がう。乾燥した男の唇が、少しずつ潤っていく。女は、慎重に宛がう力を加減しつつ、男の様子を観察する。
「あなた…」祈りを捧げている女が、呟いた。
「安心してください。じきに顔色も良くなって、回復していきます。病気の根源は、すでに魔法で取り除いていますし、後は本人の力で元気を取り戻していけるでしょう。」
「…本当に、ありがとうございます、、」女は、泣きそうになりながら、感謝を伝えている。
「病に犯されている間に、肺といくつかの臓器にも無視できない炎症が起きていると考えられますので、薬を置いていきます。1日一回、飲むようにしてください。数日で完治するはずです。」
泣きそうな女は、、いや、もう我慢出来なくなって、泣き出してしまった女は、安堵した顔で何度も頷いている。
「…っごほぉっ!、、はぁはぁ…ここは…?」
「あなた!?意識が!?」
「…あぁ、お前…何をそんなに泣いているんだ?綺麗な顔が台無しじゃないか…」
「…もう、あなたったら。今まで死にかけていたのよ!この馬鹿!心配させて!」女は、嬉しいのか悲しいのか、泣き続けている。
「…あぁ、そうか、俺は死にかけて、」そこで男は、別の女がいることに気がついて、そちらへ顔を向ける。
「賢者の一族が、来てくださったのよ。賢者様、そのお人もよ。あなたの病の根源は、賢者様が治してくださったのよ。あなたが憧れる、あの賢者様が…」女の涙は止まらない。
「賢者様が…それにしては、若い女の方に見えるが……ここに、深き感謝を…」
「苦しむ人々を救うのが、賢者の一族。私は、賢者の孫ですから、まだ若き麗しき乙女でございます。」賢者の孫を名乗った女は、茶目っ気たっぷりに、微笑んだ。
「…賢者様、賢者の一族。お会いできる日が来るとは…はっはっ、ごほぉっごほっ、これは病にも感謝せねばなりませんね。」男は、まだ苦しげだが、微かに笑った。冗談が言えるくらいには、回復してきたのかもしれない。
「念のために説明いたします。病の根源は、魔法で取り除いております。残りの炎症なども、魔法で完全に治すことが可能ではありますが、長年の研究で、魔法よりも自身の回復能力で病を克服された方が、後々の健康に良いということがわかっております。故に、魔法ではなく、ここからは薬での治療となります。数日分、必要と思われる量を置いてゆきますので、必ず服用されてください。お水は、一度沸かされてから、湯冷ましにして飲んでくださいね。」
「はぁ…何から何まで、感謝しきれません。このご恩は、いつか必ず…」
「その感謝のお気持ちだけ、賢者の一族は受け取ります。恩を返していただけるのであれば、いつの日か、誰か困っている方を見かけた際に、手を差しのべてください。光が、あなたとともにありますように。」そういうと、女は荷物を纏めだした。
ここは、教会の一部を一時的に隔離場所とした、医療区画であり、他にも苦しんでいる人達がたくさんいるのだ。しかし、そこには、賢者の一族と呼ばれた女と同じ格好をした人達もたくさんいるのだった。
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賢者の一族。
かの生きる伝説、大賢者を祖とする一族であり、魔法だけでなく、医療や学問にも秀でた者の集まりである。
疫病が発生すれば、治療に駆けつけ、原因を見つけ出し、その元を絶ちきる。
邪悪な存在が確認されれば、打ち払い、清め、癒す。
学を求められれば、足を運び、学びを施す。
賢者の一族とは、多くの民から尊敬の眼差しで見られ、憧れられる存在なのである。
そして、その祖である、大賢者その人は、大魔法の使い手にして、知恵の導き手であり、慈愛に満ち、人を救い、争いを止め、ドラゴンですら跪くと言われている。
若き日には、旅に継ぐ旅で、己を磨き、行く先々で人々を救い、大国間の争いすら仲裁したと、多くの伝説を残しながら、今なお生きる。
そんな伝説の賢者が、モテないわけがない。
結果、彼には第八夫人までおり、その夫人達それぞれが複数の子宝に恵まれ、更に、孫の代、曾孫の代まで進み、まだまだ増える勢いである。
この一族が、賢者の一族である。
余談ではあるが、若き日に賢者と共に旅をした、とある王国の第三王女が、未婚でありながら、お腹に子を宿した。王女が未婚でありながら、お腹に子を宿したのだ。大問題である。にも関わらず、王と女王は、何も詮索せずに、その子を大事に育てたと言われている。
賢者、モテ過ぎなのである。
だが、賢者その人に問えば、こう返ってくる。
『俺が望んだわけじゃない。』
では、一族を愛していないのか?
『愛しているに決まっているだろう!』
と、デレデレなおじいちゃんである。
一応、賢者のために補足しておくとしよう。
彼は、多くの女性からモテて、子をなしたが、彼が野獣のように襲ったわけではない。
夫人達の元の身分は、バラバラで、共通点は、ただ一つ。賢者と共に旅をしたり、国を救ったり、戦ったという点のみ。そして、賢者を好いて、押し掛けたのである。
彼の夫人達は、不思議と仲が良く、元の身分に関係なく、公平な合議制の元、一族を纏め、助け合い、賢者を支えている。
若き日には、順番を決めて、賢者の相手をしていたらしい。彼を仲良くシェアしていたとも、表現できる。賢者は、幾度も逃げ出そうとしたが、それを許す夫人達ではなかった。鉄壁のブロックであった。
賢者は、押しに弱かった。
モンスター相手なら、ガンガン攻めて、押しに押せる。だが、女性陣から攻められるのは、専門外だったのだ。
端的にいえば、賢者は夫人達の尻に敷かれているのだ。
……これは、一応賢者のための補足……である……はず。である!
すまん!賢者!
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さて、所かわって、賢者の一族が医術に精を出している町から、数キロ離れた場所、町に流れ込む小川の上流。そこに、灰色のローブを着た男が一人、軽装だが防具を着けた男が一人立っていた。防具を着けた男は、まだ若い。
ローブを着た男は、少し背は曲がっているが、長杖を手に呪文を詠唱し、魔方陣を描いていた。
「よぉぉおく、見ておけい、アレックスよ!」
「いやいや、大じい様、じい様からは、俺の修行でっ」
「塵とかせぇー!」
ローブを着た男が叫ぶと、魔方陣が集束し、杖から激しい雷が横に飛んでいく。その方向には、洞窟があり、まさに今ゴブリン達がこん棒を片手に走り出してきた所だった。雷は、そのままゴブリン達を爆ぜさせ、洞窟の中へ吸い込まれていった。中にいた者は、恐らく一網打尽だろう。
「あちゃ~、またじい様が怒るぞ、これ」軽装の防具を着た男が、頭を抱えている。
「どうじゃ、アレックス?大じい様の大魔法は?はっはっはっ!凄かろう?はっはっ、あっ、腰がっ、うぉっ、痛い!腰がぁぁぁ」ローブを着た男が、杖を支えにもがいている。
「言わんこっちゃない。大じい様は、120歳を越えられておられるのですから、無理をなされてはいけません。俺が、じい様に叱られます!」アレックスと呼ばれた若者が、ローブの男を支えよるように肩をかす。その時だった。洞窟の中から、大きなハウリングが聞こえてきたのだ。そして、かなり大きなゴブリンキングが走り出して、こちらへ真っ直ぐに進んできた。
「っやばっ!大じい様、すみません!」そう言って、アレックスはローブの男から離れようとした時、横を風の刃が飛んでいった。風の刃は、そのままゴブリンキングの首を跳ね、空へ消えていった。
「アレックス。あれほど、油断は禁物だと教えただろう。そんなく○ジジイに手をかす前に、身の安全は確認しなければならん。お前に、何かあれば、ミーシャに何を言われるかわかったもんじゃない。」臙脂色のローブを着た、別の男が現れた。手には、長杖がある。こちらの杖は、杖の頭が三本の稲妻形になっている。頭には、ローブと同じ色の長い三角帽子を被っている。
「じい様。すみません……」
「まぁ、いい。それより、大丈夫か、く○ジジイ?」
「ふんっ!お前も、もうジジイじゃろうが?心配にはっ、痛っ!うぁぉぉ、腰がぁ!」
「はぁぁ、だから、賢者の塔で大人しくしておけと言ったんだ。孫弟子達に、カッコ良い姿を見せたいのは、いいが、これじゃ逆効果だぞ。あと、俺はまだジジイじゃない!」
「……曾孫までおって、ジジイじゃないとは…まぁよい、肩をかしてくれ、一人じゃ歩けん。」
「アレックス。肩をかしてやれ。私は、洞窟の中を調べてから戻る。川の浄化もせねばならん。やはり、この一帯から毒となるものが流れ出しているようだ。」
「やはり、毒ですか。。」
「うむ、まだはっきりとはわからんがな。夕方までには、町に戻る。そのジジイから、目を離すなよ?すぐに、ロマンだ、なんだと言っては、余計なことをするからな。」
「こら!師匠に向かって、なんということを言うんじゃ!まだ、お前には、ロマンというものが!あっ!待たんか!こらっ、話は最後まで聞かんか!」
「50年以上、同じ話を聞いてきたんだ、耳にたこができてるよ。」男は、そう言いながら、洞窟へ向かっていった。
ーーー
洞窟の中、男は、杖の先端に光を灯して、奥へと進んでいく。中には、焼け焦げたゴブリンなどが床に散乱している。
一番奥まで行き当たり、杖を掲げて、壁を見渡す。
「やはり、ここにもあったか。」
杖で、壁の一角を照らしながら、男は呟いた。
「闇の刻印が、ここにもあるということは、だんだん勢力が広がりつつあるな。やはり、やつは死んでいないと考えるべきか…」杖に照らされた先、そこには銀色で髑髏に蛇が絡んだ刻印が描かれていた。
「…50年近く、追いかけっこしてきたが、そろそろ終わりにしたいものだな、闇の王よ。」
臙脂色のローブを着た男、賢者は振り返り、出口を目指し歩き始める。
杖の灯りは、まだ出口までは届かない。
賢者様、うらやま、けしからんです。