並行世界
ガーーーーーッ◯ム!!!!!!!!!!!!!!!
「(オレ、死にまーーすっ!)」
「のわっ!?」
オレは開けていた窓から身を乗りだし飛び降り自殺を図ったが、佐藤パイセンが会議机を飛び越えてオレの体にしがみ付いて止めた。
「(止めないでくださいーーっ!)」
「吉田っ、頼むから、落ち着けっ!」
オレは絶望した。
少し違う世界に行っていたようだ。
オレの左腕に佐藤パイセンがしがみ付いている事実。
これは濃厚接触ではないか。
佐藤パイセンの胸の感触……大きい……。
そして、先程の記憶がよみがえってきて、気絶しそうになる。
いや、いっその事、してくれ。
「それで、吉田君、――吉田。ちゃんと理由を教えてくれると嬉しい」
オレはこの佐藤パイセンという女をどうしてくれようかと考えてみたけど、本当に腹が立ってきたのでハッキリ言ってやった(口パクで)。
「(その前に――。野坂さんとはどうなっているんですか? 付き合う事になってるんじゃないですか? それとももう付き合っておられる?)」
すると、佐藤パイセンは驚いた顔をして、
「ないない! 野坂とはなんとも無い!」
と弁解する。
「(そうですか? 野坂さん、完全に佐藤パイセンの事狙ってますよ。社内イチのイケメンと佐藤パイセン。いくら佐藤パイセンでも野坂さん程のイケメンに迫られたら、満更でもないでしょう!?)」
オレは思わず大声を出してしまった――が、口パクなので実際には静かに息だけを荒くしていた。
すると――。
「野坂は、わたしにとって、ありえない!」
せ、佐藤パイセン――?
佐藤パイセンの説明によると、実はマスクの下で、社内の多くの人が口パクで色々言っているらしいのだ。
オレが知らない間に、ブラック企業×パンデミックという環境が多くのウチの社員をダメにしてしまっていたらしい。
例えば、ある営業部長はマスクの下で役員に対する罵詈雑言を笑顔でずーっと口パクしていた――。
隣の課の田中君は推しのアイドルに長い事会えないストレスから、そのアイドルに対しての妄想をずーっと口パクしながらキーを叩いているとか。
野坂さんも例外ではなく、女に対しての妄想を吐き出していたとの事。
佐藤パイセン的にはとても恐ろしい男性に見えたとの事。
この前の密会もどきは佐藤パイセン的にはとても恐ろしい時間で、オレが来てほっとしていたとの事。
あ、あ、あ、アブなかったーーーっっ!?
オレだって佐藤パイセンがいなければ、女性に対して妄想なんかガンガン口にしていたかもしれないですけどっ!?!?
「そんな皆がおかしくなっていく中、吉田だけは普通――ではなかった、わたしをからかってくれている様な感じで……それに癒されていて」
か、か、か、からかってなんて……本心だったんですけど。
「なのに、急に『大嫌い』って言われる様になってっ。何度も何度も笑顔でっ……わたしはなんか嫌われる様な事しちゃったのか!? 理由を教えてくれっ、謝るから! 悪かった!! この通りっ!!!」
――目の前の必死になっている佐藤パイセンを見つめながら、この時オレは、また既視感ってた。
無数の佐藤パイセンが必死にオレに懇願している。ああ。佐藤パイセンやっぱりカワイイです。ショートもロングもボブも、どの佐藤パイセンも愛おしい。そして数多くの風景の中には、オレが女で佐藤パイセンが男になっているものも見えた。男の佐藤パイセンにだって愛おしさを感じる。
――やっぱりこれは並行世界かもしれないな。
この瞬間、オレはこの世界の真の姿の一部を知れた気がした。この世界の真理を。無数の並行世界の存在を。無限のパイセンの存在を。どこまでも続く愛おしさを。それらの風景と真理を感じながら目の前の女の佐藤パイセンを見つめていると、いつも以上に愛おしく想え、心を揺さぶられた。
でも、やっぱりオレはゾウリムシの心臓なんだ、本当の気持ちを告げるなんて無理だ……。実はほとんど佐藤パイセンへの気持ちを諦めようとしていた。
しかしオレは気付いてしまった。オレが今諦めるということは、オレだけの問題で終わらない事に。他の並行世界のオレも、女のオレも、佐藤パイセンへの気持ちを諦めるという結末に。
『ふざけんなオレっ! オレ諦めんな!』
オレは心の中で叫んだ。他の全並行世界のオレの命運はオレに掛かっている。だって、全部同じオレだから。だからオレは諦める訳にはいかないんだ。
――そして、この後オレがやるべき事は分かっている。並行世界のオレ達と声を合わせるように、オレは言葉を紡ぎだした。
「(さ、佐藤パイセン。オレ本当は――)」
佐藤パイセンは目を潤ませてオレを見上げてその言葉を待っている。
「(佐藤晶パイセン。オレ本当はずっと前から佐藤パイセンの事が好きでした――)」
オレは改めて佐藤パイセンに本当の告白をした。
そしてこの後めちゃくちゃ濃厚接触した。
超ブラック会社であるウチの会社はリモートワークの許可が結局下りなかった。
上に通ったという話は一体何だったのか――。
佐藤パイセンもオレとそういう関係になったからか、上への訴えを妥協し、危険手当をもらう方向に舵を変更したようだ。
(佐藤パイセン、それってパイセンのポリシー的にどうなんですか? オレはいいんですけどっ)
例の出来事以来、オレはマスク越しに口パクでいうとバレる事が分かったので何も言えなくなってしまった――と言うことはない。
オレはマスク越しに、秘密のメッセージを送ることを楽しみにしている。
「(佐藤パイセン、今日の帰り、途中まで一緒に帰りませんか)」
「(佐藤パイセンの手、暖かいですね、濃厚接触ですね)」
「(オレ今日、晶パイセンとエッチな事したいです)」
「(あきらパイセンっ、――自主規制――!!――自主規制――!!!)」
オレは不謹慎だけど、このご時世とマスクと佐藤パイセンに出会えた事、佐藤パイセンが読唇術を覚える切っ掛けになった映画に感謝している。
佐藤パイセン、今度映画のタイトル教えてください。
今度、いっしょに見ましょう?
「佐藤パイセン、この書類チェックお願いします(大好き大好き大好き!!!)」
――ああ。
あれ以来、既視感は、とんと見なくなりましたが、全ての並行世界のオレが全ての並行世界の佐藤パイセンを愛しているのは、きっと間違いのない事でしょう。
~第二部 完~