表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
SCENE850  作者: ぽんこつ
850光年の孤独
9/82

850光年の孤独―4

『本日より仮想現実講習にポルノグラフィの項目を追加しました。これから約56日間に渡り、約90のシチュエーションと145通りの趣向方向性を組み合わせた性的行為を確認していただきます』

「……何言ってるんだ? お前は」


 心の底から出た言葉だった。


 仮想現実空間の中。

 セクサロイドの容姿を写し取ったマズルから出し抜けに奇怪なタスクを突きつけられたのは、初めて疑似性交をした翌日。その日の映像講習が一時間半を切った時だった。


 仮想現実にそういったジャンルのものがあることは人類文化論の講習で知識としては知っている。

 先古典期にあった性的欲求を満たすための映像娯楽の発展形であり、セクサロイドの普及により規模は小さくなったものの身体的負担の軽さや手軽さから一定数の需要はあったらしい。


「なぜそんな――」

『先日の性交における脳内快楽物質の推移を解析しましたが、性的充足率に不満が見受けられましたので改善プランを策定しました』


 こちらが言い終える前にその質問を予測していたのだろう。

 マズルは先んじて答えを述べ、続け様に仮想現実空間に浮かぶモニターに視線を移す。


 「素人」・「人妻」・「恋人」・「姉妹」・「アスリート」・「教師」・「スパイ」……

 「ホテル」・「公園」・「車内」・「学校」・「時代劇」・「社長室」……

 「ローション」・「束縛」・「着衣」・「羞恥」・「SM女王」・「マッサージ」……


 画面を埋め尽くす未知の単語郡に目を白黒させていると、マズルがその中からいくつかの単語をピックアップした。


 恐らくこれが先ほど説明していたシチュエーションと趣向の方向性のジャンルなのだろうが、その単語だけでは全く中身がわからない。


『セクサロイドのハード外観設定時の行動傾向から、あなたは性対象の容姿において特定指向性が薄いと判断できます。そのため外観設定は現在のセクサロイドの容姿で固定。性行為環境や対象の性質をランダムに組み合わせ、同時に脳内物質の解析を行うことであなたの性的趣向の最適解を――』


 長々と繰り広げられる説明の半分は聞いてなかったが、要するに見た目にはこだわりがないようなので他の要素で差別化できるものを見つけ、現実の疑似セックスに利用しようということらしい。


「どうでもいいからやるなら早くしてくれ」


 大量に映し出される語郡とその説明データをぼんやり見ながら投げやりに答える。

 正直拒否してもよかったのだが、これといった代替え案も思い付かないので流れに身を任せることにした。


『承諾。ランダム選出完了。本日は以下のシチュエーションにより仮想性交体験を行います』


 マズルがそう宣言した瞬間、講習用の講堂を模した仮想現実空間とマズルの服装が瞬時に切り替わる。


「……なんだ、これ?」


 だが、コンマ数秒後に現れたその光景になんとも言えない感情が浮かび上がった。


 カコン、と何かが打ち付けられた音が反響する。

 目の前にあるのは湯気だった水溜まりと石畳の床。その床は妙にヌルヌルしており、足元がおぼうかない。


 そして、隣に立つマズルは歴史資料で見たような重厚な鉄鎧を見にまとってこちらをじっと見ている。

 だが、その鉄鎧も壊れかけ妙に露出部分が多いデザインだ。


「おい、マズル――」


 これはどういう状況設定か確認しようとした瞬間、マズルが足元のヌルヌルに足をとられたのか豪快に尻餅をついた。


「お前、何やってるんだ?」


 自分が設定したにも関わらず滑るとは。

 状況もわからないため仕方なく手を差し伸べるが、マズルは一向に手を取ろうとしない。


「おい、さっさと――」

『くっ……殺せ』

「は?」


 またしても「お前、何やってるんだ?」と同じ言葉を口に出しかけた。


『この命を捨てても……絶対に屈しない』


 だが、マズルはこちらの意図は無視していつもの無表情のまま淡々と独白し始め、やめようとしない。

 その時、湯気に隠れていたマズルの後ろ側にちらりと簡易版の空中モニターが見える。

 そこには数百の単語郡の中からマズルによって各項目ごとに選ばれた単語が表示されている。


ステータス

属性……「女騎士」

シチュエーション……「温泉」

プレイ……「ローション」


『どんな辱しめを受けようと……心までは、絶対に屈しない。さあ、早く、やるなら早く』

「……」


 古代人はこんなもののどこに興奮を覚えたのだろう。


 各項目の単語の意味合いはわからないが、全くいつもと変わらぬ平坦なマズルの声を聞いていると、何か色々と間違ってる気がした。




 それから56日間、マズルによる性的趣向実験は本当に継続された。

 前途多難に思えたタスクは本日で終わったが、訳もわからず繰り広げられた不可思議な状況続きだったのでおよそ達成感というものは皆無だった。


『お疲れ様です。生体情報解析に基づいた総合結果はこちらになります』


 その日の夜。

 いつもの自由行動時間にセクサロイドボディのマズルは結果を胸元のホログラム画面に表示する。


 整然とリスト化された各項目とその組み合わせ。

 だが、その横に付けられている数値――マズルによって算出された性的趣向度の高さにほぼ差異はなく、あってもせいぜい0.3%以内だ。この程度だともはや誤差範囲だろう。


『この中であなたに最も最適な組み合わせはこちらになります』


 画面にはピックアップされた組み合わせが表示される。


ステータス

属性……「人妻」

シチュエーション……「寝室」

プレイ……「背徳」


 いつやったか定かではないが、確かにこれは印象にあった。


 といっても特別興奮したというわけではなく、マズルのランダム選出による性的対象の属性と状況が珍しく一致しているように感じたからだ。


 「ヒトヅマ」とは家族――旧態社会において婚姻により定められた配偶者とその血縁及び戸籍関係によって構成される共同体単位を持つ女性の俗称だ。

 そんな女性と性的行為をするという倫理道徳に背く状況が性的興奮を促進させるらしい。

 確か自分が体験した仮想現実空間も性交をする隣の部屋で人妻の子供が寝ているという設定だった。


『この結果をもとに現実の疑似性交に反映させる実現プランを策定しました。266日後には実行可能になります』

「ずいぶんかかるんだな」


 どうでもよかったが、266日後というのだけが気になった。

 状況としては「寝室」であり特別な準備は必要なさそうだし、リアル感を出すための室内の外観や子供のホログラム映像も作成するのに時間がかかるとは思えなかった。


『仮想現実と同様のシチュエーションを再現するために時間を要します。詳しくご覧になりますか?』

「……頼む」


 根拠がある訳ではない。

 だが、何か引っかかる物言いだった。同時に漠然とした不安が心の中に広がっているのを感じる。


 しかし、それを知ってか知らずかマズルは『承知致しました』といつもの調子で頷くと、準備している場所へ案内するためついてくるように告げた。


「どこまで行くんだ?」

『バイオルームです。残り二分で到着予定』

「バイオルーム?」


 居住スペースを出て各モジュールを繋ぐ連結通路を歩き始めてからしばらくたった頃、しびれを切らしマズルから行き先を聞き出す。一回も入ったことはないが、確かバイオルームは食料化合物質や医療用生体物質の貯蔵を行っているスペースだ。


『こちらになります』


 マズルはそう告げると足を止め、無機質な壁の窪みに掌をかざす。

 すると、ドアがゆっくりと開き、かすかに冷気が流れ込んでくる。


 初めて入ったバイオルームは居住空間の二十倍はあろうかという空間であり、冷気に満たされた中はさらに数多のモジュールに区画されている。マズルはその外周を回り込み、ある一つのモジュールへと案内した。


「ここは……」


 そこにあったのは巨大な鉄の塊。映像講習のどこかで見覚えがあるが、なぜか思い出せない。

 いや、どこか本能が思い出すことを拒んでいるように思える。


 だが、呟きを疑問と認識したらしい。マズルが易々とその答えを提示した。


『バレット=コルトメーカーの受精卵管理及び生体培養モジュールです』


 それを聞いた時、妙に府に落ちた。

 なるほど。この機械仕掛けの令室が自分の故郷という訳だ。

 だが、同時に新たな不安が生まれ、脳内で一つの可能性が推測される。


(いや、まさか……)


 目の前を歩き続けるマズルの背中を見る。

 見慣れたその後ろ姿がどこか得体の知れない物体に感じる。


 今まで感じたことのない不安と焦燥。それらが警鐘を鳴らしていた。

 これ以上、マズルを進ませてはならない。止めろと。


「マズ――」


 思わずマズルに声をかけようとした瞬間、マズルが突然きびすを返す。

 その向こうには__薄暗い暗室を照らす淡い光。唯一稼働している培養水槽。

 それを視界に認めると警鐘が早鐘のような心臓の鼓動へ姿を変える。


 そして、彼女はいつもとなんら変わらぬ口調でここに来た理由を明かした。




『こちらは新しくクローン培養を施している受精卵。あなたと同一遺伝子を持つ生命活動7時間目の個体になります』




 こちらの意を介さぬマズルの声が冷たい空間に響く。


「お前……何を考えてる」


 不安は的中した。

 だが、まさか、本当にそんな馬鹿げたことをやるなど。

 肉眼では捉えられない淡い緑色の培養液の中にいるであろう存在から目をそらし、マズルに詰め寄った。


『あなたの性的趣向を疑似性交に反映させるため、仮想現実の状況を可能な限り再現する必要があると判断しました。

 ですが、" 子供が隣で寝てる "という状況を反映させるには、現環境において使用できる受精卵は一種――バレット=コルトメーカーのもののみになるため、これを実現する――』

「そんなことを聞いてるんじゃない!」


 生まれて初めて声を張り上げた。


 淡々とした報告。そこに全く悪意はなく、支援対象の性的充足を達成させるための義務感しかない。それがバレットをなおさら苛つかせた。

 そして、同時にこれまで時間を共にしてきた人工知能に対し初めておぞましさを感じた。


「今すぐ廃棄処分しろ」


 そのおぞましさを覆い隠すように虚勢を張り、命令を下す。

 だが、マズルはそれをあざ笑うかのようにこちらの命令を拒否する。


『権限がありません。連邦では卵子が受精した時点をもって人間と定義しています。搭乗員総合支援システムは、その設計思想において、外部要因による人間の生命活動停止命令を実行できません』


 勝手に命を作り出しおいて、それを奪うことはできないというのか。


 論理的思考回路に基づき導き出された論理的矛盾を内包する結論。

 それはどこかオリジナルの狂気に似ているような気がした。


 バレットは落ち着きを取り戻すために一度目を瞑る。

 そして、ゆっくりとまぶたを開き、もう一度培養水槽に目をやる。


(いや、俺も大して変わらんか)


 生命活動を始めたばかりの存在に対しなんの躊躇もなく廃棄するよう命令したのだ。

 方向性こそ違うものの、倫理観の欠如という観点からすればなんらマズルと変わりはしないだろう。


 そもそもこの環境で生きる人生において、倫理観などあってもなんの意味のないものだ。こいつがどうなろうが俺の知ったことではない。


「マズル」


 冷静になり、自分なりの結論が出たところで、感情を映さない瞳を見据えた。


「俺は何も関わらないからな」

『問題ありません。肉体及び心理的な成長は全て育児システムにより完結します』


 結局、ヒトヅマ感を出すためという最低な理由で生まれた命は、最低の理由でそのまま生き永らえることになった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ