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SCENE850  作者: ぽんこつ
850光年の孤独
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850光年の孤独―1

 もしかしたら――それは棺桶に片足を突っ込んだ老人が、引き出しに押し込め埃を被った古い映像デバイスを見つけた時の感情に似ているのかもしれない。


 再生された映像に映る幼き日の自分。

 まだ白髪のない両親。

 名も覚えていない友人。

 かすかな記憶のなかにある生家。


 そして、画面の端に映り込むゆりかごを目にしてふと気づくのだ。


 自分を取り囲んでいた世界が、こんなにも小さく空っぽの空間だったことに。

 そして、そこから見ていたとてつもなく広い世界を歩き続けた残り少ない人生には……虚無しかないことに。


 きっとそんな感情を孤独というのだろう。




『連邦標準時間AM7:00。人口昭明モード切り替え。朝日に移行。おはようございます、バレット』

「……おはよう。マズル」


 律動的な女性の声が耳殻を通して頭の中に響き渡る。


 うっすらと開けた瞼の先に広がるのは、生まれてからずっと見てきた同じ景色。

 不気味なほど汚れのない白で塗りつぶされた天井だ。


『現時点でのあなたの生命活動時間は15万7644時間を記録。脳波、体温、脈拍、発汗、筋電位、基礎代謝ともに異常なし。コルチゾールによるストレス値は適正範囲。覚醒プロセスを終了します』


 四肢を預けていた寝台のシートが人間工学における理想の速度と角度で持ち上がり、透過セラミックできたハッチがゆっくりと開く。

 それと同時に寝台全体から光の輝線が体を這うように放射され、全身の細胞の生体情報バイタルの収拾と記録を行った。


『本日の朝食はパッケージ56。各種ビタミン、ミネラル、アミノ酸、カルシウム化合物及び人口食物繊維です。朝食前の運動を開始してください』


 その直後、目の前に浮かぶホログラム画面に解析情報を元にした朝食の献立と運動メニューが表示される。すぐに3Dモデリングによるストレッチの解説が始まった。


『まずは腸運動を促進させる――』


 聞き慣れた声に何も考えず従い、毎日の日課であるストレッチを始める。室内中に響く合成音声は自律神経にリラックス効果を与えるのに最適なF分の1ゆらぎで作られているはずなのに、どこか硬質な響きを残しているように聞こえる。


 声の主は、搭乗員総合支援システム・マズル。


 この船に搭載された全機能と並列リンクする自己学習型AIであり、搭乗員のバイタルから船外の情報に至るまで常時あらゆる情報をセンサーによって取り込み、解析し、運行の障害を最適理論により排除。そして、搭乗員に理想的な生活環境をもたらすべく選択肢を提示する存在だ。


 確かめようのない話ではあるが、彼女によれば俺が生まれる前にこれまでの生活支援システムの記憶領域は初期化再起動され、各個人の誕生時のバイタルを元に新たに記憶領域が構築される――つまり、搭乗員と支援システムは望まずとも一緒に生まれ、死ぬまで共にいることを強いられているらしい。


 まあ、だからといって機械に対しなんの感情も湧きはしないのだが。

 それは感情のない向こうも同じことだろう。


『お疲れさまでした。朝食はこちらです』


 朝の運動を終えると、ちょうど天井から伸びるロボットアームが食糧化合室から運んできた朝食を壁際のテーブルに運んできているところだった。


 真空包装されたゼリー状の栄養化合物が一つ。

 これが今日の朝食パッケージ56なのだが、見た目的にも味的にも昨日のパッケージ21と全く変わらない。しかし、食事など肉体活動を維持するための栄養補給でしかないため、そのことにも別に感慨はわかなかった。


 いつも通り近くの窓に投射されたホログラム画面を見ながら口に無感触の物体を運んでいく。目を刺激しない色彩で統一された光で描き出されるのは、現在の座標軸と室内の模式図。


 そして、自分が乗るこの宇宙船クレイドル=クラビィシェ号――古い言葉で「ゆりかごの墓場」を意味するという機体の全容だ。

 ホログラム映像越しに見える透過隔壁の向こう側には、その機体が浮かぶ未来永劫変わることのない世界が広がっている。


 弱すぎる恒星たちの光。

 永遠と続く無限の虚空。

 窮屈な鋼の洞窟から虚空を見上げ、自分がいるこの空間を改めて確認するように機体の全容に目を戻した。


 漆黒の空間を回転しながら切り裂くように進む傘を思わせる機影。

 その中心軸に位置する巨大なシャフトの吸入口へ宇宙空間から暗黒物質が吸い寄せられ、シャフト最後部では物理的動力へ転換されたそれが微細粒子を撒き散らし、爆発的な推進力を生み出している。


 だが、その推進力を以てしても広大な宇宙を進むには、緩慢な歩みでしかないのだ。


 回転するシャフトから枝分かれし、円形リングで繋がれるいくつかのモジュール。細い輪っかの形をしたその一つでバレットは暮らしている。無重力状態でも身体組織が衰えぬよう遺伝子設計されているが、人間が生活するには重力がある方が何かと都合がいいため、この船では理想的な回転運動による遠心力で擬似的な重力空間を生み出していた。


『残り367秒で次のスケジュールへ移行します。朝食を定刻までに完了してください』


 その声にすっと我に返る。


 無心のままホログラムを眺めていると朝食を口に運ぶ手が止まっていたらしい。

 どこか咎めるようにも聞こえるマズルの声に、ホログラムから目を離して残り半分ほどとなった半透明の化合物の摂取を再開した。




 マズルによって定められた一日は、決まって仮想現実デバイスで視る映像講習から始まる。


 学習映像で見た虫の繭のようなシミュレーションシートの透明なハッチが開くと、内側からシートがせり上がってくる。

 生まれた時からあてがわれていたそれは、幼少期には生命維持装置として機能し、その後は映像とマズルによる講習を中心とした学習装置として使用され、リラクゼーションタイムには多種多様な娯楽を提供する。この無機質な椅子とそれに繋がる宇宙船のシステムがバレットにとっての両親であり、教育者であり、友人だ。


 少なくとも物心がつく頃にはこの環境をなんの違和感もなく受け入れていたが、幼い頃の記憶は霧がかったように曖昧で判然としない。


 生まれてから最初の記憶だとはっきりと断言できるのは、レム睡眠中の意識に入り込んできた『自分』からのメッセージ映像だった。




 そこは宇宙船内によく似た『空白』という色に覆われた場所だった。


 恒星の間を埋め尽くす黒とも、映像資料で目にした色彩とも違う異質。

 視覚に対して全く刺激を感じない不自然なほど完璧な無色の真ん中に彼はいた。


「初めまして。まず、自己紹介を」


 白銀の髪に薄いグレーの瞳。年齢は三十代か四十代あたりか。

どこかで見たような容姿を持つその男は、こちらに向けてどこか作り物のような笑みを浮かべる。

 だが、すぐにその表情は神妙な面持ちに変わった。


「私の名前はバレット=コルトメーカー。そして、これが君の名前でもある」


 何を言ってるんだ?

 それが率直な感想だった。


 だが、同時に自分と同じ名を語る男を見て気づいたこともある。

 どこかで見たことのあるその顔は、年齢の違いこそあれど毎朝のバイタルチェック画面に映し出される自分のそれとどこか似ていることに。


「君は私と同一遺伝子を持つ――いわばクローンだ。そして、許されることではないと思うが……どうか謝罪させてほしい。私の勝手に君たちの人生を巻き込んでしまうことに」


 自身のクローン……いや、この男の言葉を信じるなら彼が『バレット=コルトメーカー』のオリジナルで、自分がクローンなのだろう。


 オリジナルが右手を上げると『空白』で埋め尽くされていた空間が見慣れた宇宙の黒――そして、見知らぬ彩りを携えた球体を映し出す仮想現実へと一変する。


「これが私の――いや、我々の故郷。惑星、カナンAK――47」


 緑と青に包まれたその星を見下ろしながらオリジナルは語り始めた。


 バレット=コルトメーカーとは何者なのか?

 なぜ俺はここにいるのか?


 その全てを。



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