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SCENE850  作者: ぽんこつ
850文字のその先で
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850文字のその先で―4

『悪いな。仕事終わりに』


 それから二週間後の金曜日。


 夕方から一時間ごとにかかっていた叔父からの着信履歴に気づいたのは、残業を終えた夜十時頃だった。仕事中は滅多なことがない限り携帯を見ないので気づけなかったが、その着信の数に何かあったのだと悟り、会社の駐車場ですぐに折り返した。


 叔父のどこか疲れたような声。それを聞いた途端、電話の内容は風香のことだとなぜかわかった。


『家に戻らないんだ。今、俺と親父で探し回ってるんだけど……』


 その予感は当たった。そして、その理由も察しがついていた。


「学校のこと?」

『……ああ。それで、その、つい俺が手あげちゃって』


 言いづらそうな叔父の言葉に少し配慮が足りなかった自分を恥じたが、すでに時刻は十時半を回っている。

 自分の中で一人反省会をやってる暇はなさそうだ。


「じゃあ、俺も今から探すよ。明日は出勤じゃないし」

『本当にすまん。俺と親父ももう一度行きそうな場所当たってみる』

「警察には?」

『このままだと相談するかもしれん』

「了解」


 電話を切るか切らないかのうちに自分の車へたどり着いた。

 ドアを開けようとし、まだドアのロックを解除していないことに気づく。

 心中穏やかではないであろう叔父の前では冷静に務めていようと思っていたが、自分も相当焦っているようだ。


 十一月にも入るとここら辺では車の窓が白く曇り、まず暖房を入れて湿気を取り除かなければいけない。

 フロントガラスから少しずつ白が消え去っていく速さはいつもと変わらない。普段ならなんとも思わないその時間がやけに長く感じられる。なかなか暖まらない車内の中、以前叔父から相談された風香の学校での状況がふと頭をよぎる。


 風香は今年の六月頃から直接教室には通わず、保健室で過ごしている。

 いわゆる保健室登校と呼ばれるものだ。確か自分の中学時代にもそういう子が何人かいたことをうっすらと覚えている。


 しかし、風香がそうだと聞かされた時は、いまいち実感がなかった。

 自分とは違い明るく調子のいい風香はどちらかというとクラスのイケてるカーストに所属するような子だと思っていたし、実際時々聞いていた学校生活の話の内容からもそういった面が多々あったからだ。


 それが変わったのは風香が所属していた部活でのできことが原因だった。


 三年生にとって最後の大会となるレギュラーに二年生の子が選ばれ、代わりにそれまでレギュラーだった風香の同級生は落ちた。それをきっかけに三年生からその子へ嫌がらせが続いたらしい。風香本人が詳しく語りたがらないので詳細はわからないが、彼女はそれを見かねてやめるように言ったのだろう。


 でも、それは同じ三年間を一緒に過ごしてきた同級生たちにとっては裏切りと写ったらしい。


 いつからか休日に遊びに行くことがなくなり、部活に顔を出さない日が増えていく。その頃から叔父は彼女とその周辺の異変に気づいたようだった。

 今まで他人に拒絶されるという経験をあまりしてこなかった彼女はそれでも明るく振る舞い、叔父も部活は無理でも学校には行くよう話していた。


 けれど、無理に自分を保とうとしたその姿勢自体が静かに、けれど確実に彼女を追い詰めていたのだ。


 光を塗り潰すように白から黒に変わっていくフロントガラスの向こうに広がるのは、田舎のどこまでも続く夜だった。娘の状況を語る叔父夫婦の重苦しい表情がその闇夜に重なる。

 同時に先週ラーメン屋を出た帰り道で風香が見せたいつも通りに見えて――どこかに痛みを隠している笑顔がその闇の中から浮かび上がる。


 思えば風香から頻繁に連絡が来るようになったのはその頃からだ。


 内容はご飯をおごれやら自分と弟を遊びに連れて行けなど些細な事柄だった。人の感情に鈍感な自分には相談を受けるまで気づけなかったけど、それは今思えば彼女からのSOSだったのかもしれない。

 学校にも、家庭にも居づらい十五歳の少女にとってそれが苦し紛れの逃げの手段だったのだ。


 十五歳の女の子が夜十時半に一人で出歩く。人によってはそんなに焦るほどのことでもと言う人もいるかもしれないが、今の彼女の精神状態では何か間違いが起こる可能性だってある。


 フロントガラスからはすでに曇りが消えている。サイドブレーキを下げ、なるべく平常心を保ちながら会社の駐車場を出る。中心街から離れ周りには田んぼしかないこちらの方面に来ているとは考えにくいが、万が一の可能性も考え、歩道に人影がないか注意して進む。


 しかし、ヘッドライトに照らされ浮かび上がるのは錆び付いたバス停の看板だけだ。


 駅前にはいくつか二十四時間営業のファーストフード店があるが、そういった所は恐らく叔父たちがすでに探しているだろう。駅の中心から離れた裏通りや路地裏を中心に見て回った方がいい。


(一度車は家に停めるか)


 この街は入り組んだ細い裏道が多いので、そういった場所は車だと逆に探しづらいかもしれない。


 駅前の喧騒を横目に中心から少し離れた住宅街へと車を走らせること十分。自宅アパートの駐車場に止め、念のため二階にある自室のドアの前へと向かう。


 しかし、そこに風香の姿はなかった。


 こうなれば後は地道に探していく他ない。家の周辺を歩きながら、頭の中で自分と彼女のわずかな共通項を探し、探すべき場所を頭の中に思い浮かべる。


 まず最初に向かったのは市立図書館の前。

 次にあのラーメン屋。

 続いて小中学校……しかし、そのどれもが外れ。


 約一時間半の道中にもそれらしき人影は見当たらない。携帯も確認するが、あちらもまだ見つけていないのだろう。叔父から新しく着信は入ってなかった。


 街灯も少ない古い民家が並ぶ通りを宛てもなく歩いた。

 始まったばかりの冬の空気はピンと張りつめ、自分の足音だけが辺りに響く。体にまとわりついた冷気にふと二週間前の週末――風香と歩いた帰り道を思い出した。


――まだ、小説書いてたんだね。


 挑むような目。

 照れを隠すように笑う顔。

 楽しそうに思い出話を語る声。


 薄暗い常夜灯に照らされた彼女の姿を頭の中で追っていくうちに自分の中で引っかかるシーンが一つだけ出てくる。


 それはあの忘れかけていた物語の記憶。

 そして、当時自分と彼女がいた場所。


 可能性は低いかもしれない。だが、このまま宛もなくさ迷うよりはいくぶんかマシだ。


 そう思い、冬の星空のもとを走り出す。デスクワークで運動不足の体はすぐに悲鳴を上げ、肺はつまり、熱く白い息が夜の中へ溶けていく。それでも走らずにいられない。


 あの子は、今、誰かを必要としてる。

 誰かの言葉を、待っている。


 それがどんな言葉なのかわからない。必要なのは俺の言葉じゃないかもしれない。

 だけど、俺は、あの子に伝えたいことがある。伝えなきゃいけないことがあるんだ。


 そう信じて走り続けた。

 息は切れ、汗を吸った服がまとわりつき、熱と肌寒さが同居するあまり気持ちのいい感触ではない。


 たどり着いたのは、自分が今住んでいるアパートとは真反対の方向にある住宅街。高校までは自分が住んでいた町。

 息を整え、その三丁目付近にあるかつての自宅を探す。同じ市内にあるもののほとんど訪れることもないその町は、さほど住んでいた時と風景は変わらない。

 だから、今は空き家となっているかつての自分の家――昔、風香にあの物語を聞かせた場所にはすぐにたどり着くことができた。


 そして、人に目につきにい家の裏口には、膝を抱えてうずくまる小さな背中があった。


「……」


 だが、声をかけようとして、言葉に詰まった。


 なんて声をかければいい?


 伝えたいことがあるはずだった。

 だけど、いざ本人を目の前にすると、言いたいことが出てこない。


 それはまるで小説を書こうとして次の一行が出てこないあの感覚――『850文字症候群』のようだった。


「あっ……」


 それでも、声をかけなければ始まらない。

 なんとか絞り出した声はなんとも情けない響きを伴って空気を無意味に揺らすだけだ。


「……あーっと、こんなところに不良がいるな」


 それをごまかすようにちゃかした笑いを含める。その声に気づき、風香が座ったままこちらを振り向く。

 父親と喧嘩して飛び出した来たせいかコートも着ずに薄着で、泣き腫らした顔は寒さと相まって真っ赤に染まっていた。


「……みんな心配してるぞ」


 選んだ言葉はあまりにも無難で、それが彼女の心には届かない間違った選択だとすぐにわかった。


「……心配なんかしてないよ。私のことなんか、誰も」


 母さんも父さんも心配してるのは私じゃなくて世間体だもん。

 付け加えるように言うと風香はそれ以上は何も言わずうつむく。その横に黙って座り込み、自分が来ていたコートを被せてやる。風香は何も言わないが、拒絶もしなかった。


 人の親ではないが大人の自分には、叔父の気持ちも風香の気持ちも両方わかる気がした。


 でも、ただわかる気がするだけだ。


 愛しさや苦しむも全部ひっくるめて子どものことを思っている親の気持ちも。

 どこにも居場所がないと思っている少女の気持ちも。


 本当のところは完璧になんて理解できない。

 自分はこの子の将来に対して責任もないずるい立場にいる。そんな自分に何かを偉そうに伝える権利なんてないのかもしれない。


 何も言葉にできず白い星が輝く夜空を見上げた。風香は相変わらず下を向いている。

 明かりに邪魔されず高く澄んだ星空はきれいだったけど、なんとなくラーメン屋からの帰り道に風香と見たあの夜の方が好きだと思った。


「喧嘩の原因……聞いた?」


 しばらくそうしてうちに沈黙を破ったのは風香の方だった。

 何も言わず頷く。数時間前に『潤一のせいじゃないことはわかってるけど……』と叔父が切り出した喧嘩の理由がふと頭の中で再生される。


「うけるよね」


 風香はぐすっと鼻水をぬぐうと、わざとらしく笑う。


「私、学校だと潤一くんと援交してることになってるんだって」


 今まで聞いたことのないような乾いた声だった。

 しかし、すぐにその乾きを満たすような涙声が夜の住宅街に響く。


「私が悪く言われるのは別にいいよ……でも! 家族は関係ないもん! だから、ムカつくから、もう学校なんか、行かないって……でも、お父さんは、卒業まであと少しだから、頑張れって」


 涙声は切れ切れの叫びに変わっていく。


「もう……もう! 頑張ってるよ! 辛くても、学校、行って! この街の高校行きたくないから勉強して! 楽しいことなんてひとつもないけど……ちゃんと、ちゃんと、やってるもん……」


 悲痛な叫びに答える者は誰もいなかった。

 何も言えなかった。できなかった。


「……どうしたらいいかわかんないよ、もう」


 一転して苦し紛れの笑みを見せる風香の横顔を見て、「伝えたいことがある」などとヒーロー気取りで走っていた先ほどまでの自分を心底殴り付けたい気持ちになる。

 この子は、こんなにも追い詰められていた。そんな彼女に半端なうわべだけの言葉など、かけるだけ無意味だ。

 何も知らなかった――知ろうとしなかった自分に何かを伝える権利などないと思った。


「今日は帰ろう。風邪引く」


 だから、そんな無力な自分をごまかすようにありふれた言葉をかける。本当に必要なのはこんな言葉じゃないとわかってたけど、卑怯な大人の自分にはそうするしかなかった。

 風香は何も答えず、動こうとしなかったが、やがてじっとこちらを見て、唇を引き結んだ。


「……うちには帰らない」


 その言外に含まれる意味合いに気づいたが、今度はこちらが黙る番だった。


 いくら互いにそういう対象として見てないとしても、世間の目にはどういう風に映るかはわからない。それは風香が学校で流されている噂が証明済みだ。


 普通なら叔父を呼び、無理やりにでも家に帰すべきだ。

 たぶん、これは大人としては正しくない判断なのだろう。でも、今の彼女にとってそれは好ましくないように思えた。


 それに、自分は、まだ、この子に何もしてあげれていない。


「……わかった」


 だから、これは彼女のわがままではなく、自分のわがままだ。

 そう胸に刻み、電話をかける。これ以上迷惑をかけられないという叔父をなんとか説得し、折れてもらった。


「じゃあ……とりあえず、行くか。飯は?」

「……いらない」


 風香の手を取り立ち上がらせながら確認するが、返ってきたのは素っ気ない答えだ。

 自分もまだだったが、すでに時刻は一時近くを回っている。今から食べる気にはならなかった。

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