850文字のその先で―3
風香を家まで送り届けると、途中コンビニへと寄りつつ、今の住まいである二階建てのアパートにたどり着いた。
母親が腰を痛めており、転勤で父親の職場が隣の市になったこともあって両親は自分が大学生三年生の途中で豪雪地帯のこの街から引っ越し、今は隣の市で勤める兄夫婦と暮らしている。高校までの友人たちも就職を機にほとんどが地元を離れており、職場での飲み会でもない限り休日は一人家に帰るだけだ。
ドアを開ければ真っ暗な玄関とうなり声のような冷蔵庫の稼働音だけが迎えてくれる。
そのまま風呂に入り、今朝干していた洗濯物を取り入れて、ノートパソコンを所定の位置に戻す。
なんとなく音が欲しくてつけたテレビでは、特徴的なヴァイオリンの響きとともに名前だけは聞いたことのある著名人の密着ドキュメンタリーが放送されていた。
意地の悪い神様のイタズラか。
今日の取材対象は二十代にして、いくつもの高名な賞をとった現役大学生の小説家だ。
なんとなく決まりが悪くなりチャンネルを変えようとしたが、「ここで見ないのも大人げないなぁ」と誰に見られている訳でもないのに謎の自尊心が働く。結局、床に寝転がり、ぼっーと液晶画面に映し出される小説家の姿を見た。
彼は大学生活と仕事を両立させ、物語の世界に入り込むと食事も睡眠も取らずに二日連続ぶっ通しで執筆することもあるという。
『たいていそういう時って文章間違えまくりで担当さんに怒られるんですけど』
朗らかに笑う顔はいかにもいまどきの青年といった感じで、イケメンなこともあり世間一般的な小説家というイメージは感じない。
だが、それが執筆に入ると一変した。
先ほどの好青年の影はそこにはない。
カメラも視界に入っていないようで、ひたすらキーボードを打ち鳴らす音だけが響く。
そこには画面越しにも確かに伝わる創作者としての狂気がにじみ出ていた。
『書く理由ですか?』
番組の最後にインタビュアーが質問した。
なぜ小説を書き続けるのか、と。
青年小説家は執筆中とはうって変わった爽やかな笑顔で答えてみせた。
『それを見つけるために書いているのかもしれません』
そこでクラシックとナレーターのまとめが入り、番組は終了。
すぐにやたらと明るい携帯会社のCMがその余韻を洗い流した。
番組が終わってからも、しばらくぼけっと次々と映っては消えていくCMを眺めていた。
やがて、のろのろと立ち上がって、ふとこの部屋の唯一の収納スペースであるクローゼット兼物置を見る。
その奥底には、実家から持ち出した中学生の頃からの妄想設定ノートが化石のように眠っているはずだ。
自分でも理由はわからない。
ただ、普段なら黒歴史として封印していたそれをなんとなく読み返したくなり、固い地盤を掘り起こすようにごちゃごちゃの物置を整理する。
昔から小説を書き続け……いや、何度も書こうとした。
一番古い記憶として残っているきっかけは小学校三年生の時だ。
国語の教科書から担任が出した宿題で女の子と男の子の絵から自由に物語をつくるという珍しいものだった。
勉強も運動もさして得意ではなかった当時の自分は、国語の宿題もその例に漏れずあまり真面目に取り組んでいなかった。
でも、その日出された宿題はいつもと違うなぁと幼心に思った。
最初から用意された物語を読んで正しい登場人物の心情を回答する。そういった形式ばった問題ではなく、用意されているのは白紙の原稿用紙だけ。
回答は自由でいい。
それは今まで宿題には◯と×が必ずつくものだと思っていた自分にとって初めて出会う『答えのない宿題』だった。
その夕方、家で宿題をやり初め、とうとう答えのない宿題である原稿用紙を広げた。
題名と自分の名前を書き、書き出しの文を書いてみる。
その瞬間、全身の毛が逆立ち、鳥肌がたった。
友達と話すアニメの世界でもなく、今まで読んだ本の世界でもない。
今、自分は、自分しか知らない世界のことを書いている。
そう感じ始めたら、書き続ける手が止まらず、夕食を呼びに来た母の声も気づかずに怒られたほどだ。
詳しい筋書きはもう覚えていないが、いきなりロボットやらプテラノドンやらが登場するはちゃめちゃな物語だったと思う。そのめちゃくちゃなストーリーを普段自分をあまり誉めることのなかった担任が笑顔で誉めてくれたことは今でも不思議と心に残っている。勉強や宿題が純粋に面白いと感じたのは、その時が初めてだった。
けれど、それだけではたぶん物語を書き続けることはしなかっただろう。
決定的だったのは、ちょうどその数日後のことだ。
夏休みに入りかけのこともあり、テレビではあるアニメの昔の劇場版がたまたま放映されていた。
やっていたのは、お馴染みの未来からやってきた猫型ロボットのあのアニメ。
しずかちゃんがシンドバットの冒険の絵本の世界に閉じ込められてしまい助けに行こうとするのび太たち。
しかし、肝心の絵本をママに燃やされてしまい、その世界に行く手立てがなくなってしまう。
なんとか助けに行く方法がないか探しているうちにある方法を思い付く。
数百の物語で構成されるアラビアンナイトには実在する人物がモチーフのものがある。その人物がいた時代に行き、それを足がかりとすれば絵本と現実の境界線が曖昧となり、もしかしたら絵本の世界へたどり着くことができるのではないかと。
その後、アラビア世界で繰り広げられる大冒険と紆余曲折のうえ無事しずかちゃんを助け出し、物語自体はハッピーエンドを迎える。
だが、映画が終わった後、心に留まっていたのはハラハラドキドキの大冒険の過程でも、笑顔な結末でもなかった。
ただ、一点。
物語の序盤で言っていた「絵本と現実の境界線が曖昧となり、もしかしたら絵本の世界に行けるのでないか」と仮説を打ち立てる場面だ。
あの宿題を出される以前なら、たぶん何も気にすることなく流していたのだろう。
だけど、その時、すでに物語を書くという経験をし、その興奮を知っていたせいかこう考えた。
もし……もし自分の想像した世界を物語として現実の世界に表現できれば、その世界との境目が曖昧になり思い描いた世界にだって自由に行けるんじゃないか。
そんな突拍子もないことを考えるようになったが、その幼い考えが宿題の後も小説を書き続けるきっかけとなったのだ。
「おっ……あった、あった」
替えの電球やら家電の箱やらと物が散乱しているものの、単身用の手狭なスペースなので目的の段ボール箱は意外とすぐに見つけることができた。
上に色々と置いていたせいかくたびれたその上ふたを開けて中身を引っ張り出し、苦笑する。
真っ先に現れたのは古びた一冊の大学ノート。
中学生――それも中二病真っ盛りの時に書いた物語の設定だ。
勢いに任せて書いていたせいか設定だけは充実していたにも関わらずどれ一つとして完結しているものはなく、序盤も序盤で終わっている。『850文字症候群』の予兆はこの頃からあったらしい。
それに加え当時はまっていた漫画やアニメの影響なのかころころ主人公の性格や設定が変わっており、もはやこいつサイコパスだろと感じてしまうほどだ。
今となっては恥ずかしさを飛び越えて懐かしさすら感じる黒歴史ノートの絨毯。
その下を掘り起こしていくと、次に出てきたのは構成技術のノートやネット記事を印刷したメモの数々だ。
なるほど。どうやら高校受験を経て、物語を作るにもある程度の勉強がいると学んだらしい。
小説を書いていたことは家族にも友人にも言っておらず、うちの高校には文芸部などもなかったので全部自分だけで調べたはずだ。
(偉いぞ、高校生の俺)
などと自分で自分を誉めていたが、その努力が今に活きているかと問われると微妙なところなのでちょっぴり切ない気分になる。ここでもいくつかのプロットとキャラクターの設定メモが残されているだけで書き上げた小説はなく、書きかけのものですらその数を減らしていた。
その後、大学生になってからの創作ノートはなかった。
そこに関しては東京で独り暮らしを始め自分用のパソコンを持つようになったからだと覚えている。大学時代の書きかけの小説やプロットたちはオンラインテキストサービスに保存され、いまだに数年前の日付のまま電子の海に浮かんだままだ。
だが、それらのデータを全部印刷しても、このダンボールの中に入っているノートやメモの量には遠く及ばないはずだ。
人生で最も自由な時間が持てる大学時代にそうなってしまった理由は、はっきりとわかっている
『850文字症候群』が出始めたのは、その頃からだったからだ。
それは夢から覚めたように物語をつくる仕事で生きていくのは厳しい――もし生きていけたとしてと、それは自分とは違う特別な何かを持っている人たちだけだという現実をうっすらと理解し始めたことと無関係ではなかっただろう。
それでも、まだこの時は空いた時間に焦りながらパソコンに向かっていた。
でも、高校まではなんとか書き続けていた序盤すら書き終えることなく、ぴたりと止まってしまった。書かなければと焦れば焦るほど自分の思い描いた世界が遠退いていく。
アイディアも書きたいシーンも思いつくけれど、そこに至るまでの必然性がなかった。
目の前に立ち塞がった問題をなぜ登場人物たちが解決しなければいけないのか。
どうしてそう思い、行動をとったのか。考えれば考えるほどちぐはぐな物語としてなってしまい、キーボードを打つ手が止まってしまう。
締切がある新人賞などを目標すればこの状況が変わるかもしれない。
そう思いインターネットでいくつかの新人賞を検索してみたが、これはむしろ逆効果だった。
どっかで見たような二番煎じの話だね。
これが小説?
現実と向き合えていない。
よくこんな文章力で人に見せようと思うな。
構成が根本的におかしい。単純に面白くない。キャラクターが生きてない。
どうでもいい。読むのが苦痛。自己満足。願望丸出しキモい。高尚なことを書こうとしてるのが鼻につく。いい年してなにやってんの?
充実した人生を歩んでいる。はたまた波瀾万丈な人生を駆け抜けている。
そんなどちらにも当てはまらず、まあ一般的な低空飛行を続けてきた人生に育てられたマイナス思考は、一度も投稿したこともないくせに自分の小説に向けられる酷評をいくらでも思い浮かべることができた。
そんな繰り返しのうちにいつしか850文字以降の一文字が書けなくなっていたのだ。
そうして時間が過ぎ去り、就職活動の時期になって迷いが生じた。
出版、ゲーム、広告、映画、放送制作。
気がつけば、自然に物語やコンテンツに関わるようなエンターテイメント業界の会社を避け、周囲に合わせるように金融やメーカーといった世間一般でいう『普通』の会社だけを受けるようにしていた。
採用枠が少ないから。
好きなことを仕事にしたら苦痛になるかもしれない。
東京の大学に行かせてもらって就職浪人なんてできない。
そんな言い訳をいくつも並べ自分を納得させた。
だけど、本当は違う。
ただ、怖かったのだ。それまで何年も付き合ってきた自分の感情を否定されるのが。
最初は物語を作ることが楽しかった。
だけど、それに伴う苦痛や自分の才能のなさ――物語を終わらせることができないという創作者としての致命的な欠点。
それらを認めてしまう勇気がなかったのだ。
それでもささやかな趣味として続けていければそれでいい。幸運にも数社の内定が決まり、思ってもないことを言う面接や興味のない説明会をはしごする日々から早く脱出したかった当時は、自分の感情と向き合うことなく就職活動を終え、ある程度プライベートの時間は取れそうな地元にある大手メーカーの子会社に就職した。
サラリーマン生活が始まり、卒業時に考えていた甘い考えは一瞬で消え去った。
入社する前の印象とは違う残業と休日出勤の連続。慌ただしく過ぎ去っていく毎日の中でいつの間にか小説を書くことは極端に少なくなっていく。
それでもたまにふと自分の頭にふと浮かび上がる何かがあった。
いつか、どこかの場所。そこにいる誰か。
そして、それを描き出したいという感情。
ささやかな趣味として続けていければいい。何度もそんなふうに思い込もうとした。
だけど、無理だった。
どんなに諦めたふりをしても、悟ったような偽りの自分を作っても想いは消えない。
書店に平積みされた表紙を見て、図書館に並べられた背表紙に指を引っかける度、消えかけていた火種がわずかに息を吹き返し、燻り始めるのだ。
向こう側にいきたい。
受けとる側ではなくて、伝える方へ。それがどんな形であろうといってみたい。
けど、その思いをいざ文章にのせようとすると、書けない。
そうしているうちに再燃し始めた思いは徐々に日常の残業や自分への甘えの濁流に飲まれ、いつの間にか消えている。
もう何年もそんな日々の繰り返しを過ごしてきた。
『850文字症候群』
きっと本物たちは、俺がいつまでも越えられないその壁をいとも簡単に飛び越えていく。
けれど、情けないことにそれに対して悔しさも沸いてこない。自分より遥か高くを飛び越えていく彼らを壁の下からぼーと見上げるだけ。
そんな日々は、きっと、これからも続いていく。なんとなくそれだけは察していた。
だからこそ、先ほどの帰り道、風香に小説を書いていたことを見透かされ、面白くなくとも読みたいという彼女の強引さに負けたふうを装った。
だけど、本当は、やっぱり誰かに読んでもらいたかったのかもしれない。自分が書いたものがどう伝わるのか知りたかったのかもしれない。
中学、高校、大学。そして、とうとう社会人になった。
最底辺とまではいわないけれど、ぱっとしない低空飛行の人生は大人になった今も続いている。
夢を追うには遅すぎる。だけど、諦めきれるほど早くもない。
ドキュメンタリー番組に出てたあの小説家のような人生になることはなく、おそらくこれからもこの平行線の人生が続くのだろう。
だけど……大人になってからと大人になるまでの人生で違うことが一つだけ。
あの頃、俺は、確かに小説を書いていた。
小学生の頃、未知の世界に飛び込む気持ちで文字をつむいだ。
中学生の頃、自分が作り出す無限の世界に夢中だった。
高校の頃、明るい未来にかすかな希望を抱いてキーボードを叩き、キャラクターたちと一緒に遠くへ行こうとした。
自分の世界を創りながら、誰かに読んで欲しい、共有したいと密かに願った。
そして、世界に込めた思いはどう伝わったのか知りたかったのだ。
不意に風香のことを――彼女との約束を思い出した。
その約束を果たすためには、どんなに下手くそでも小説を書かなくちゃいけない。そう思い机に置いたパソコンの電源を入れ、再びテキストエディタを起動する。
画面と向き合い、キーボードを叩き、世界と向き合う。
だけど、それでも、やっぱり書けない。
自分でも理由はわからない。ただ、現実の波にのまれて、昔はあんなに近かった世界を作り出す一行が、遥か遠くに感じられた。