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SCENE850  作者: ぽんこつ
850文字のその先で
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850文字のその先で―2

 四方を山々に囲まれた東北の地方都市であるこの街は、大学時代にいた東京よりも冬の訪れが早い。まだ十月だというのに峰の頂上はうっすらと白く染まっている。


 しかし、結局大学以外この街を離れなかった自分にとってはもはや見慣れすぎてなんとも思わない光景だ。


「おぉー、さむさむ」

「潤一くん、親父くさい」

「まあ、実際四捨五入したら三十突入するしな……」


 山から吹き下ろす盆地特有の風が身を震わせる図書館からの帰り道。


 中学生とどう見ても親には見えない年頃の成人男性が並んで歩いているのは見ようによっては通報ものかもしれないが、風香の親である叔父には自分のオムツを換えてもらったり、逆に自分は風香のオムツを変えてやったりしたこともあるぐらいの関係だ。

 親戚というより家族みたいなもんなので少なくとも自分は気にしていないし、風香もそうだろう。


「おっ、こういう寒い日はラーメンが食べたくなりますなぁ」

「……おいおい」


 図書館からしばらく歩き、国道がある表通りを少し離れたところにある寂れたラーメン屋。その看板を見つけ、芝居がかった口調で風香が笑う。先ほどからやたら自分の少し先を歩きたがっていたが、どうやら最初からおごらせるつもりで先導していたようだ。


 チェーン店でもなく、かといって観光客が来るような有名店でもない。味も昔学食で食べたことのあるようなまずくはないけど、特段うまくもないと言った感じのラーメン屋なので普通なら選択肢に入らない感じの店だ。

 しかし、風香はこの店が好きで、まあ自分も嫌いじゃない。ここらへんの感性がなんとなく似通ってるのが、懐かれている要因の一つかもしれない。


 ラーメン屋に入ると、皮膚を刺す乾いた風がなくなり、代わりに暖房のむわっとした暖かさが顔面に張り付いた。常にあまりやる気のない店主は「いらっしゃいませー」と明後日の方向を向きながら、サーバーから水を準備する。

 自分たち以外に客は誰もいない。特に席の指定もなかったので互いに赤く染まった顔のまま奥の座敷に座り、ネギチャーシュー麺と辛味噌担々麺を注文した。


「よくそんな辛そうなもん食えるよなぁ」

「いやぁ、それほどでも」


 別に誉めているわけではないのだが。

 調子がいいのは昔から変わらないのだ、この子は。


 風香は母とは少し年が離れた叔父の子供だ。

 高校の頃までは近所に住んでたこともあり、昔から家族ぐるみの付き合いがある。風香の下にはもう一人まだ幼稚園児の弟がいるが、年上の兄弟はいないため、一応兄貴分として慕い……もとい、よくたかられている。


 注文したものが運ばれてくるまで雑談をしたり、スマホをいじりながら過ごす。プライベートが枯れ果てた社会人が最近の女子中学生の話題についていけるはずもなく、たいてい風香の話を聞いてるか、最近あった祖父母や弟の面白エピソードで苦笑するぐらいだ。


「そういえば図書館で何やってたの?」

「ん? あー……仕事関係の調べもの」

「ふーん」


 そんなふうにとりとめのない会話の中で唐突に痛い質問が飛んできたので、歩いていた時に考えていた言い訳で回避する。この様子だと、幸運にもパソンコンの画面までは見られていないようだ。


「そっちは?」

「勉強! いちおう受験生だし」

「ああ、そういやそうだったな……大丈夫なのか?」

「ひっど! こう見えて私けっこう頭いいんだよ!?」


 そう言うと風香は鞄から一枚のA3用紙を自慢気に開いてみせた。それは大手の予備校がやっている模試試験の結果用紙で、確か遠い昔に自分も受けた覚えがあるものだ。

 用紙に並んだ高校は県内ではそこそこ有名な進学校で、第一志望のB評価以外は全てA評価だ。


 嘘じゃないらしい。


「すごいな」

「でしょー」


 素直に称賛すると、もっと見ろと言いたげに突き出された模試結果表を受け取る。確かにこのまま順調にいけば、第一志望の公立、滑り止めの私立ともに十分に合格圏内だ。


 ただ、そこに並んだ志望校の並びを見て、一つだけ気になることがあった。

 どれもがこの街の学校ではなく、ローカル線で一時間ほどかかる隣の市の学校なのだ。


「でも、これ通学大変じゃないのか?」


 その言葉を聞き、一瞬、それまで楽しげだった風香の表情が曇った。


「えー、でも、どうせだったら都会の学校行きたいじゃん!」


 それを隠すようにすぐに明るい調子を取り戻す風香を見て失言だったと遅れて気づく。

 慌てて「まあ、でも、風香には確かにあっちの学校の方が合ってるよな」と特に根拠もないことを言ったところでラーメンがカウンターから運ばれて、その話題はどちらともなく終わりとなった。




 ラーメン屋から出ると、冬に差し掛かる乾いた寒さが体の芯に響いた。

 ラーメンで得た熱は白い水蒸気となって口から吐き出され、体から溢れていく。「北国出身だから冬とか平気でしょ」と大学時代にはよく言われたが、生まれや育ちが北国であろうと寒いもんは寒い。家路は二人ともコートに手を突っ込み、早足で歩く。


 寒さに身を震わせる中、少し前を歩く風香の背中を見て、先ほどのやり取りを思い出す。


 ここら辺で大学への進学を希望する中学生の大半は、いくつかある市内の普通科高校へ進学する。実際、自分もそうだった。街の規模が大きいこともあり、隣の市の学校の方が確かにレベルは若干高い。

 しかし、偏差値にそこまで大きな差はなく、風香のようにどうしても隣の市の学校に行きたいというのは希だろう。


 なぜ風香が隣の市の学校ばかり――いや、この街の学校を志望しないのか。


 その理由は、なんとなくわかっていた。叔父から、風香についてある相談事を一度受けていたからだ。

 だからこそ、先ほど不用意に彼女を傷つけたかもしれない言葉が出てしまったことを後悔していた。


「……あのさ」


 そんなふうに悶々とした思考を巡らしていた時、風香が改まった様子でこちらを振り返る。


「まだ、小説書いてたんだね」


 寒空の下では、冬のしんとした空気に乗って駅前の喧騒が響いていた。

 その騒がしさから__あるいは顔見知りに会う機会から逃げるように。寂れた店や公園が並ぶ通りを選んで先導していた風香がこちらをまっすぐに見た。


 いつもの明るさとは違う。不意をつかれた真剣な眼差しに捕まり、ごまかしきれなかった。


「……まあ、一応」

「やっぱり! パソコンの画面見たときそうだと思った!」

「風香……それ、あんまりいい趣味じゃないぞ」

「潤一くん以外にはしないよ」


 ひねくれた中学生みたいな返事にも関わらず、風香の表情はいつもの明るさを取り戻していた。

 しかし、ほっとしたのも束の間。すぐに恐れていた質問が飛んでくる。


「読ませてよ」

「いや、まだ完成してないし」

「じゃあ、いつ完成するの?」

「平日は仕事で時間とれないしなぁ……いつだろう?」

「はぁ? そう言ってうやむやにするつもりでしょ」


 図星だった。


 その後も挑んでくるような目付きと読ませろの波状攻撃がやむことはなく、結局こちらが折れる形となり、約束を取り付けられてしまった。


「受験勉強あるのに読む暇あるのか?」

「本はいつも勉強の合間に読んでるからそのついで」


 最後の抵抗もあっさりと片付けられ、もうこちらには無条件降伏の他に道はなかった。


「ごまかさないでよ?」

「わかったよ。ただ素人が書いた小説だから面白くないと思うぞ?」

「うーん、そうかなぁ」


 こちらを丸め込んだことにより満足げな表情を浮かべていた風香は唐突に顔を上げる。

 つられて見上げた夜空には冬の高く、澄んだ空気の中をまっすぐに進む星たちの輝きがあった。


「ねえ、覚えてる?」

「ん? 何を?」

「小さい時話してくれた潤一くん流昔話」

「……あー」


 風香が言い出しことを思い出すのに少し時間がかかった。十年にも満たない年月だが、自分にとってはかなり昔のことのように思えたからだ。


 風香がまだ幼稚園児ぐらいの頃だ。


 ある都合で一晩うちでこの子を預かることになった際、昼間は元気よく遊んでいたが、それまで両親と離れての泊まりの経験があまりなかったせいか夜になってもなかなか寝付かず「おうちにかえる!」とぐずり始めたのだ。


 母が根気強くなだめようとするなか、当時高校生だった自分と父は風香以上におどおどするだけでさして役に立てずにいた。

 母が風呂に入ってる間、どちらかが面倒をみなくてはならない。

 父は「任せた!」と言い夜のコンビニへ颯爽と逃亡し、寝室には泣き止まない風香と自分だけが取り残された。


 高校生の自分に当然子育ての経験などないわけで、今までの短い人生経験をフル動員であの手この手と試したがうまくいかない。頼みの綱の両親もしばらく戻ってきそうにない。


 もうやけくそだ。

 そう思い、自分にとって一番得意なもので攻めることにした。


 風香の布団脇の床にそのまま腰を下ろし、わざとらしい咳払いをひとつして、慣れないながらも静かな調子でと一つの物語を話し始める。


 それはこの地方一帯に伝わるとある昔話。

 ここで育った子供なら一度は小学校の地域学習の時間で聞かされる伝説を題材にしたお伽噺で、大まかなあらすじはこうだ。



 ある満月の夜、山間の小さな村の空が昼間よりも明るくなり、星が一つ落ちてきました。

 その星からはこの世のものとは思えぬほど美しい男と女が出てきて、ここに住まわせてくれと村人たちに頼みました。

 その二人の御業みわざと知恵は痩せ細った村の畑を瞬く間に豊穣の大地に変え、幾度の戦乱から村を隠し、村人たちはみな幸せに暮らしました。

 めでたし、めでたし。



 といった感じだ。


 全国的にはマイナーだが、竹取物語や七夕伝説から派生した類話として知られていて、ここら辺では子供たちに聞かせる昔話の鉄板の一つとなっている。


 慣れないながらも、なんとなく昔見た児童アニメを脳内に思い描き、大げさなリアクションと声の調子を意識して、風香の注意を引く。小さい子にはわかりづらいかもと思えるところは噛み砕いてなんとか伝わるように探り探り言葉を撰んだ。


 すると、風香は泣き止み、時には笑って、物語に興味を持ってくれた。


「もっと! もっと!」


 と、そこまではよかったのだが、物語が幕を閉じてからも風香は目をらんらんとさせ、その続きをせびった。

 しかし、求められたところでこの話はもうここで終わりなのだ。それをやんわり伝えると、ついさっきまでの不安そうな様子は微塵も見せず、今度は地団駄を踏みながら怒り出す。

 「もっと!」と「おしまい!」の終わりの見えない応酬が続いた。


 先に折れたのはもちろんこちらの方だった。


 とは言っても、こちらの弾は尽きている。

 そこである一つの案を苦肉の策として捻り出し、もう一度最初から昔話を始めることにした。


 最初は「おなじじゃん!」と風香も不満げだったが、徐々にそうではないことに気づいたらしい。

 大筋は同じだが、次に話したのは自分がその場でアレンジして作ったオリジナルの昔話だった。


 実は流れ星から降り立った二人は他の星から来た宇宙人で、村を襲う盗賊たち相手に光線銃で大立ち回りや二人と村人の噛み合わない妙にコミカルなやり取り。


 即興で適当に作っているため、起承転結もなく、整合性もない支離破滅な昔話。

 しかし、風香は先ほどよりも楽しそうに話を聞いてくれた。そして、散々暴れ回ったかいもあってかもう話が尽きかけようとしていた時、ようやく寝息を立て始めたのだ。


「私ね、うっすらだけど覚えてるよ。内容はほとんど忘れちゃったんだけど……でも、あの夜のおかげで、私ね、そのあとは親と離れての泊まりも平気になったんだよ」


 風香はどこかに照れを隠すようないたずらっぽい笑みをこちらへ向けた。

 そんな自分でも忘れかけていた物語の記憶を、当時幼稚園児だった彼女が覚えていたことに少し驚き、その笑みには何も返せなかった。


「だから……見せてよ。いい?」

「ほいほい」

「ちょっと! 軽くない!?」

「わーかった! 見せる! 見せますよ!」


 懐かしい思い出の中にある若干の気恥ずかしさを隠すようにふざけて返すと、風香は本気で怒りながら肩を叩いてきた。


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