エスパーリミット850秒!―3
「もうだめだ……生きる気力なくした」
「生きる気力なくしたやつがそんなにからあげばくばく食えるのか……」
賑わいをみせる夕刻のファミレス。壁際の席について私は真っ先に大盛からあげとフライドポテト、ついでにドリンバーを注文する。今月のおこづかいの3分の1を使い果たすことになるが、そんなの関係ない。
こういう光景を見慣れているはずの和樹でさえ「男子中学生じゃないんだから」とちょっとひいているが、そんなの関係ない。この傷を癒すにはこれぐらいでちょうどいいのだ。
「で……今回はどうしたの?」
しばらくぶつくさ言いながらポテトを頬張っていると和樹が本題を切り出す。
なんというか何かがあると家の近所にあるこのファミレスに行くというのが、いつからか私と和樹の間の決まりごとになっていた。
だから、昼間に様子がおかしい私を見かけた和樹はここに呼び出してきたのだ。
「……フラれた」
「相手は?」
「写真部の先輩」
「ふーん」
そこまで聞くと、和樹は手元のコーラに口をつけてそれ以降は何も踏み込んでこない。
たぶん待ってくれているのだ。
私が自分から話そうと思えるタイミングまで。
これが母や父なら根掘り葉堀り聞いてほしくないことまで聞いてくるんだろうけど、和樹はそういうことをしない。そのせいか中学くらいからは家族には言えない話もけっこうここで相談することが増えていた。
「今回はけっこう本気だったのになぁ」
それから間もなく私はいつから先輩がすきだったのか、とか。
彼女がいるから仕方ないのはわかってる、とか。
今さらどうしようもないことをぐちぐちと話し続ける。
その間、和樹はひたすら黙って耳を傾けていた。
そうしているうちに私の心の中にあったもやもやは少しずつ晴れていくが、代わりにそのもやもやが占有していたスペースに新しい気持ちが生まれていく。
そもそも私はなんで先輩のことを好きになったのだろう?
いつから好きだって思ったんだろう?
いい人と好きだって思える人の違いってなんなんだろう?
(いや、それよりももっと単純に……)
好きってなんだろう?
私は――本当に先輩のこと好きだったのかな?
話せば話すほどほど大きくなっていく疑問。
やがて、それが失恋のもやもやを追い出していき、同時に愚痴も止まる。
それから少しの間、私たちの間には沈黙が流れる。
「……まあ、俺もこの手の話題は苦手だからうまく言えないけど」
それを破ったのは、今まで黙っていた和樹の方だった。
「向こうの先輩は、その、嬉しいって言ってくれたんだろ? 理由だって彼女がいるからってことだし、なんというか……他人への気づかいを大切にできるいい人じゃん。結果はうまくいかなかったかもしれないけど、そういう人を好きになれた経験っていうのはまみ姉にとっては悪いことじゃなかったんじゃねえの」
ぶっきらぼうに見えてどこか照れを隠せないでいる和樹の言葉にはっとした。
なるほど。そういう考え方もあるのか。やっぱり和樹は私と違って頭がいい。
「和樹、あんた将来営業マン向いてると思うよ。話聞くのうまいし」
「唐突だな……理系進もうと思ってるから、たぶん営業マンにはならないと思うけど」
「えー、まあ、でもよく考えたら愛想あんまりよくないし無理か」
「ほめるのかけなすのかどっちかにしてくれ」
そうして和樹と馬鹿話しているうちに頭の中で膨らんでいた疑問は消えはしないけど、薄れていった。今までもそうだったが、和樹に相談するとどんな悩みもこうやって知らず知らずのうちに些細なことに変わっていくから不思議だ。
大盛のからあげとフライドポテトがなくなったタイミングで私たちは会計をすませファミレスを出る。
あたりはすっかり日が落ち、二月のしんと冷えた空気が肌に張り付く。
「うぃー、さみぃ」
「おっちゃんみたいなリアクション」
「寒いから仕方ないじゃん」
家までは十五分ほど。近いとも遠いともいえない微妙な距離だ。
話ながら歩けば意外とすぐの距離だと個人的には思う。
でも、学校指定のコートを突き抜けるほどの寒さにファミレスの暖房が恋しくなる。そんな寒さから気をまぎらわすように私たちは明日には忘れてしまうぐらいとりとめもない話をしながら歩いた。
「はぁー、もう誰でもいいから成功しそうな人にコクりまくろうかな」
「超能力悪用するなよ。今日失敗してんだろ」
「失礼な。悪用じゃなくて私的利用なんですけど」
「似たようなもんじゃね?」
私と和樹が口にする度にどうでもいい無駄話たちは白い息に姿を変え、冬の空気に溶けていく。
私のこの力を家族以外で話してるのは和樹だけだ。
自覚してからは基本的に家族以外の人には言わないようにしている。
それというのもお母さんの指示なのだが、なぜか和樹だけは「別にいいんじゃない?」と許可を出している。
母いわく「女の勘」でこの子はたぶん大丈夫とのことだが、わが母ながらよくわからない人だ。
何か基準があるのだろうか。
(んー、それにしても)
やっぱりこの能力はあまり役に立たないなぁとあらためて思う。
お昼休みの未来予知。あれは完全にタイミングの問題だった。
先輩の返事に続きがあったのだが、ちょうどその直前に未来視タイム(私が勝手にそう言ってる)が終わってしまったことであの勘違いが生まれてしまった。
でも、こういうことは別に今日に限ったことじゃない。
朝の小テストみたいに身に振りかかるのがわかってても防げないことはいっぱいあるし、未来を変えようとしてもうまくいかないこともある。
結局これから起こることが見えたり、わかったりしたところで欲しい未来が必ず手に入るわけではないのだ。
そんなことを考えながら、隣を歩く和樹の横顔をふと見上げた。
小学生の時は私より小さかった身長はいつの間にか追い越されている。
そんな日が来るなんて昔は全然思いもしなかったのに。
「な、なに?」
それに気づいたのか。
和樹が不審そうな目付きでこちらを見た。おおかた、また何か企んでいると思われたのだろう。
だけど、私はすぐに返事をしなかった。
なんだか、急に寂しくなったのだ。
友達でも、家族でも、恋人でもない。この幼なじみという関係もいつか変わっていく。
そんな未来がたぶんそう遠くない未来にある。そんな気がしたから。
これもお母さんのいう女の勘というやつかな。
「べつにー。もう和樹でもいいんだけど、こっちからコクって振られるってのが屈辱的なんだよなーって思って」
「ひでぇ……てか、俺まみ姉からコクられたら断るわけないし」
「へー」
その瞬間、私は――いや、私たちは足を止めた。
「ん?」
「ん?」
お互いテキトーに聞き流していた数秒前の会話を脳内で反芻する。
「「…………ん?」」
そして、五秒もたたないうちにその意味を理解し、ちらりと和樹の方を見た。
まるでこの世の終わりを見たような表情だった。
「い、いや! その! えっと」
あまり物音がしない住宅街。冬の張りつめた空気に普段めったに見ない和樹のてんぱった声が響く。
「ごめん!」
「あっ、ちょっ……」
いきなり和樹が走り出し、私は放心状態からはっと我に返る。
慌ててその背中を追う。
「確保ぉ!!!」
「て、テレポート!?」
「いや、ふつーに走って追い付いた。てか、そんなエスパーみたいなことできないし」
「いや、エスパーじゃん……」
だけど、いきなり始まった鬼ごっこはすぐに決着がつく。
残念ながら和樹は運動神経があまりよくない。
「おとなしくせんか!」
「や、やめろって!」
後ろから羽交い締めにするとさすがに観念したらしい。「わかった、わかったから」とタップしてきたので私も体を引き離す。
「えっと、その、ど、どうしよう?」
「えぇ……」
と、ここまではよかったけど、私も反射的に追いかけてしまっただけで、和樹を捕まえた先のことは何も考えていなかった。
「あっ」
その時、ふと視界に入ったのはなんの変哲もない近所の自販機とベンチ。
どちらともなく顔を見合わせとりあえず自販機の方まで向かう。
和樹がホットレモンティ。私が缶のコンポタージュスープをそれぞれ買い、ベンチに腰かける。
その間ずっと何も言えずじまい。ベンチからお尻に伝わる冷たさに意識を向けていたが、結局どんなに逸らしても数分前のあのできごとで頭の中はいっぱいになる。
「あ、あのさぁ」
それは相手も同じだったのだろう。沈黙を破ったのは和樹の方からだった。
「今日はもう見えないんだよね?」
未来視のことを言ってるのだと理解するのに十秒ぐらいかかった。
「そっか。じゃあ、その」
なぜかはわからない。
けど、和樹の口から数秒後に出てくる言葉を考えた時、先輩に告白する時とは比較にならないくらい緊張してる。
「あの、俺……ずっと好きだった」
その数秒後の未来は思ったよりすぐにきた。
再び広がる沈黙。自販機の淡い光だけがアスファルトを照らし、ぶぉんと私の代わりに返事するようにうなる。
「まみ姉が傷ついてる時にこんなこと言ってごめん。返事はいつでもいいし、スルーしてもらってもいい。けど、ジョーダンとかじゃなくてその……本気だし、それに――」
「ちょ、ちょ、ちょっとストップ!」
ずっと黙っているのがなんだか卑怯に思えて、私は言葉を発する。
口を開きすぎたせいか乾燥した唇がひび割れて少しチクリとする。
「い、いつから?」
「はっきりとは……わかんないけど」
私の質問に和樹はぼんやりと自覚したのは中一の時で、初めて私から恋愛相談受けた時だったという。
私が誰かと付き合う。
その姿を想像したとき、自分でもわからないもやもやとした感情がおさまらなかったという。
「でも、怖くて言えなかった。まみ姉との関係がそれで壊れちゃうなら、そのままでいいってずっと思ってた」
触れようとして壊してしまうなら、せめてきれいなまま思い出として残せるようにしまっておこう。そう思ったのだと。
「それを……あんなうっかり出しちゃうなんて思いもしなかったけど」
そう言うと、和樹は「バカだよな」と苦笑いする。悲しいような、ほっとしたような、おかしいような。色んな感情が混ざりあった笑い方。
初めて見る表情に胸が締め付けられた。そんな思いをさせていたのかと今まで感じたことのない罪悪感に似たものが広がり、視界が揺れた。
「ま、まみ姉!?」
「えっ?」
気づかないうちに頬が濡れていた。自分でも思いがけずこぼれた滴をコートの袖でぬぐう。
そして、手元のコンポタージュ缶をぎゅっと握りしめる。外気にさらされた缶は少し温くなっていた。
「ごめん……私、和樹の気持ちも知らないで。今までずっとバカみたいに何でも相談してて」
今までも。
今日も。
私は和樹にいろんなものをもらった。
受験でくじけそうだった時も。友達と喧嘩したと時も。中学最後の大会が私のミスで終わっちゃった時も。
一番最初に相談して泣いていたのは、和樹の前だった。
それで和樹はいつでも本気で味方してくれたり、叱ってくれたり、時には何も言わず黙って聞いてくれた。
だけど、私は和樹の気持ちをわかっていなかった。
何も和樹にはあげていなかった。そんなことしなくても、長い付き合いだからいいんだと思ったけど、そうじゃない。
きっと人を好きになるって与えられた分を返すことなんだ。
恋愛でも、友情でも。どんな関係でもそういう当たり前のことをしなくちゃ欲しい未来なんて手に入るわけない。
そんな当たり前のことが私はわかってなかったのだ。
「いや、そりゃあ、俺が言ってなかったら知らなくて当然だろ」
でも、和樹は自分の気持ちで精一杯なはずな今も、私の罪悪感を包んでくれるような言葉をくれる。
サッチーにも言ったけど、ほんといいやつなのだ。こいつは。
「それに、嬉しかったよ。まみ姉がずっと変わらないで接してくれるのが。けど、俺こそごめん。今さらこんなこと言われても……困るよな」
私、ばかだなぁ。
未来なんかよりも。見なきゃいけないものは、今、目の前にあったんだ。
「困るわけ、ないよ。その……嬉しい」
先輩みたいにその後に「でも」は続かない。
それが私の返事だった。
「……えっぐ、フラれたその日に乗り換えるとか、ぐしゅ、わたし、サイテー女だ」
「なんかそれ、乗り換えられた俺まで悲しくなってくるからやめろよ」
私は和樹から差し出されたティッシュを受け取り、思いっきり鼻をかむ。豪快な音が周りに響く。こんな女のどこを好きになったんだろ、こいつは。
真っ赤にした鼻のまま。ベンチに座ってから初めて和樹の顔を真正面から見た。
寒さのせいか。それとも体の内から湧く熱のせいか。
私たちの顔はお互いに耳まで赤く染まっていた。
「うしっ!」
私は思いっきり地面を蹴ってベンチから立ち上がる。
そして、和樹の前に立ち、思いっきり頭を下げた。
「その……こんなどうしようもないやつですが、彼女にしてやってください!」
表情はわからないけど、和樹は少し戸惑いがちに立ち上がり「よろしくお願いします」と返事をしてくれた。
そんなやり取りを終えて、二人並んで残りの帰り道を少しぎこちなく歩いた。
これまでと同じ帰り道。だけど、これまでとは違う帰り道を。
友達でも、家族でも、恋人でもない。この幼なじみという関係もいつか変わっていく。そんな未来がたぶんそう遠くない未来にある。
ほんの十数分前に予感した未来は確かに当たった。こんなに早く来るとは思わなかったけど。
そういえば、私が未来視の能力を初めて打ち明けた時、お母さんはこんなことも言っていた。
「未来なんて直接見なくても、けっこうわかるもんなのよ」と。
(今思えば、それって)
女の勘、というやつではなかろうか。
そして、家族だけにしか話してない秘密を和樹にだけは話していた理由というのは、もしかして……そういう未来がお母さんには見えているということなのかもしれない。
いずれにせよ今になってわかったことが一つだけ。
私は――和樹となら本当の自分でいられる。
未来なんて見なくても、和樹の隣にいる今があればそれでいいやって思えてしまう。
(なーんだ)
私が欲しい未来って、案外、現在にあるのかも。
「どうしたの?」
「なんでもありませんよー」
にやにやしてる私を和樹が不思議そうに見つめる。
こんな未来、たぶん想像もしてなかった。
やっぱり850秒後の未来なんてころころ変わる。
ね? 言ったでしょ?
超能力なんてたいして役に立たないって。
『エスパーリミット850秒!』はこちらで完結になります。
お付き合いいただきありがとうございました。
以降も短編が続きますので、ご興味ございましたら、お付き合いいただけますと幸いです。