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SCENE850  作者: ぽんこつ
850光年の孤独
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850光年の孤独―10

 その日の夜、バレットとサクヤが寝たのを確認させた後、医療用ポッドのある部屋にマズルを呼び出した。


『ご用件をどうぞ』


 マズルは普段と同じ淡々とした対応をみせるが、こちらはそうもいかなかった。


 宇宙を包む真空のような完璧な沈黙が流れる。

 期待。不安。そして、欲望。初めて触れる感情が渦巻き、たまらず言葉を吐き出した。


「マズル。頼みがある」

『私は搭乗員総合支援システム。あなたの希望を達成させる選択肢を提示することも仕事の一つです』

「……そうだな」


 思わず苦笑いが漏れる。いつもと変わらぬその物言いになぜか少し心が軽くなった。


 こいつが選択肢を提示する。俺はそれを選ぶ。

 今までそうして生きてきた。


 だが、俺は――今、人生で初めて自分の考えで決断し、行動する。

 そう思えたのだ。


 軽くなった気持ちに背中を押され、医療ポッドの前に行き、あらかじめて用意していた代謝促進用ナノマシンが入った半透明のキューブをマズルに見せつけた。


「こいつの代謝促進率をマイナスに設定することは……つまり、仮死状態にして医療用ポッドを冬眠用ポットの代替品にすることは可能か知りたい」


 それは適切な切り返しを演算計算により算出していたのだろう。

 だが、まるで人間が逡巡するようなわずかな間があった。


『質問の意図が不明です』

「できるかできないかをまず教えろ」

『医療用ナノマシンの特性を鑑みれば、あなたの提案は可能です』


 今度は即座に答えが返ってくる。


「そうか。なら、もう一つ」


 勢いに任せ、続けざまに問う。


「緊急脱出用モジュールに人工冬眠シートとこの医療用ポッド。

 そして、この船の動力部を移植、改造して推進系の速度を上げることは?」


 それはマズルにとって対処不能ではない明確な解答がある問いだ。

 そして、支援システムはサポート対象の質問に対し、嘘をつくことは許されない。


 例えそれが対象の命を脅かす行為だと察していても。


『推進出力に対する船体強化及び抜本的な理論構築が必用になりますが、現時点の船内物資・設備の状況においては、不可能ではありません』


 マズルの答えを聞き、再び間が空く。

 だが、心が決まっていた分、最初ほどは長くは続かなかった。


「……いま言った二つの実現プランを構築してくれ」

『承知しました。ですが、意図が不明です』


 この時、マズルは自身でも気づいていないある特異点を越えた。


 本当は気づいていた。その意図に。

 権限者に対する嘘。設計思想上あってはならないシステムの論理的錯誤だった。


「サクヤ……それにバレットとお前をあの第三惑星へ送る」


 そして、その予想は当たっていた。


「何も聞かないんだな」

『私は搭乗員総合支援システム。あなたの希望を達成させる選択肢を提示することも仕事の一つです。ですが――』


 マズルは感情の見えない目でこちらをまっすぐに見つめる。


『あなたの命令は、支援対象であるあなた自身の生命活動時間を大幅に短縮させることが予測されます。容認できません』

「そうだな……では、支援対象である搭乗員が複数人いる場合、その優先度は?」

『クレイドル=クラビィシェ号は複数人の搭乗を想定していないため、その場合、支援システムの権限保持者を最優先保護対象と見なします』


 その回答を聞き、自分でも意地が悪いと思いながらマズルに提案を重ねた。


「なら、ぎりぎりの段階までは俺が権限を持ち続ける。だが、計画が実行できる直前の段階になったら権限をバレットに引き渡す。この場合、お前はどちらの生命保護を優先するべきだ?」

『……システム権限者であるクローン個体バレットになります』


 その答えはどこか躊躇があるような。

 一瞬、そんなあり得ない思い込みにかられた。


「……計画を実行に移してくれ。何か手を貸せるようなことがあれば伝えてくれ」

『承知致しました』


 どんなに意見を述べようが、最終的にシステムは権限保持者に逆らうことはできない。

 再度尋ねた時、もうマズルの声にためらいのような色は消えている。


 その返答を聞き、部屋を後にしようとした時だった。


「……どうした?」


 右腕にかかった力に足を止める。同時に感じたのは人工的な温もり。

 振り返れば後ろ手を掴み、じっとこちらを見据えるマズルの瞳があった。


『私は搭乗員総合支援システム。それが支援対象の生命を最終的に脅かす事態になる場合でも、論理的矛盾がなければ権限保持者の要求を達成することが義務付けられています』

「ああ」


 つい先ほど確認したことだ。


『ですが、先ほどよりシステム内部の論理思考回路に重大な破綻が見受けられます。私は――』


 そこまで言葉を紡ぐと、再度、間が空いた。


 それは時間にして数秒程度だったのかもしれない。

 だが、今まで生きてきた中で一番長い時間のようにも感じた。


『私は……あなたの計画を支援しながら、なぜかあなたの命令を拒絶する手段がないか模索しているようです』


 思いがけない言葉に思考が止まり、唖然とする。

 しかし、聞き慣れたはずの妙に遠回りな言い方がおかしく、我知らず口元がゆるんだ。


 生まれてから今に至るまで。常に同じ時間を過ごしたAI。

 彼女はより良い生活環境へ導くために『否定』や『提案』をし、時には『回答』を求めることはあった。

 だが、今の問いはそのどれとも違う。明確に回答を求めていない『疑問』。それはまるで「生きて欲しい」という『懇願』にも聞こえる。


 それはこちらが勝手に思い込んでいる願望に過ぎないのだろう。

 だけど、そう思わずにはいられなかった。


『状況対処不能。支援を求めます』


 そこで言葉は途切れる。表情の見えないその顔になぜか夕刻に見たサクヤの泣き顔が重なる。


 刹那、気がつけばマズルの手を強く引き寄せ、その体を抱き止めた。


 自分でもそんな行動を取った理由はわからない。いや、理由などないのかもしれない。

 バレットがサクヤにそうしていたのと同じようにマズルの頭を抱き、胸に押し付けた。


『意図が不明です。論理性を見出だせ――』

「論理性などないさ。ただ……俺がそうしたいと思っただけだからな」


 いつの日かもこんなやり取りをした気がする。

 そんなことを思い出し静かに笑うと、マズルの耳元で、今一度はっきりと意思を伝える。


「……あの子たちを頼む。計画を実行に移してくれ」


 重ねられた命令に、もうマズルも疑問を投げかけることはしなかった。




 サクヤの故郷であるこの星系の第三恒星。


 どんなにコールドスリープを重ね、効率良くこの船を運用したとしても、現状では決して彼らが生きている間にたどり着くことはないだろう。


 だが、もはや計画とも言い難い賭けに近い可能性が一つだけあった。


 この船の推進系や機関部はその運用思想において永続航行を第一目的として設計されているが、これを改造して緊急避難船を兼ねたモジュールに移植すれば、その出力からスピードは格段に上げることができる。


 そして、サクヤの乗ってきた救命ポッド内で彼女の体を保護していた自己複製型バイオマシンと生体保護溶液。解析ができないためそのまま使用することはできなかったが、この生体構造をナノマシンに応用することで半永久的なコールドスリープを可能にすることができるのではないかと考えたのだ。


 だが、それらを実現するのは、この宇宙船から推進系を撤去し、コールドスリープ装置や専用の医療用施設も二度と使用できなくなることを意味している。


 つまり、この船はここで未来永劫に宇宙を漂う鉄の塊となる。

 しかし、不思議と迷いはなかった。


(ゆりかごか……)


 クレイドル=クラビィシェ号――古い言葉で『ゆりかごの墓場』。


 今なら、オリジナルがなぜ自らゆりかごのような無垢で安全な母星から深遠の宇宙へと飛び出し、この船を墓場としたのか。その狂気が少しだけわかる気がする。


 託したのは未来への道標だ。


 未来を諦めたくなかった。過去から永遠と続くこの営みがここで終わりだと信じたくなかったのだろう。

 だが、人類が再び歩み出すには力が――星明かりの如くかすかな希望が必要だったのだ。


 そうはいっても、実のところ俺にとって人類のためなんて巨大で立派なお題目はどうでもいい。


 恐らく危険な旅路になるだろう。

 何が起こるかわからない宇宙のことだ。無事目的の惑星にたどり着けるかすらわからない。マズルの観測によれば現時点で惑星はその環境を回復させているようだが、彼らがたどり着く頃にはどんな状態になっているのかは神のみぞ知るといったところだ。


(俺のやろうとしていることは――)


 きっと、オリジナルやサクヤの父と同じ。狂気を孕んだ残酷な決断となんら変わりない。


 それでも、俺は――ただバレットたちに未来がほしい。


 この安全で無垢なゆりかごの墓場ではなく。彼らが自分の足で――自分の意思で強く歩み出せる。


 そんな世界を与えたいと心から願った。


「でも、それじゃあ……」

「できるわけないよ」


 計画をスタートさせてから一年後。


 直前の段階になり、いつもの透過隔壁前のテーブルで二人にそれを伝える。

 どちらの未来を選ぶかは二人が決めるべきだと思ったからだ。


 予想通り、バレットとサクヤから返ってきたのは拒絶の返答。

 だが、それが未知への恐怖心からではないことはわかっていた。


「……できるわけない。置いていけない」


 揺れ動く感情の中に強い意思を持って言い切るバレット。

 その顔はいつになく険しく、横から心配そうにサクヤが見つめている。


「別に自殺しようってんじゃない。元々決められた寿命が少し短くなるだけだ」


 バレット=コルトメーカーのクローン遺伝子には寿命を最大限引き伸ばす処置が施されてていると同時にアポトーシス――細胞の自死プログラムともいうべき管理・調節作用が組み込まれている。

 いわば、余計な生命維持コストがかからないように任意の期間に必ず死ぬように遺伝子操作されているのだ。


 船体維持のための予備動力部分は五十年近く持つとの試算だったため、自分の寿命限界までとはいわないが、それなりには生きられるはずだ。

 無論推進系や機関部は二人が乗る船が飛び立った瞬間接続が途切れるため、生活レベルは下がり、船体に迫る脅威への対応力も低くなるが、そんなことはさして問題には感じていなかった。


「いずれにせよ時間がない。もし行くのであれば、出発は10日と13時間55分47後だ。コールドスリープの準備を考慮すれば、タイムリミットは9日後と考えて欲しい」


 宇宙船の航路と周囲の天体が生み出す重力場の影響、最も効率的なスイングバイを鑑みてマズルが打ち出した放出時間だ。


 だが、それに対する返答はない。重苦しい時間がのしかかり再び口を開こうとした時、バレットは唐突に立ち上がる。


「バレット」

「……」


 勢いそのままに呼びかける声を振り切るように歩いて行く。

 サクヤは心配そうにこちらと部屋を出て行くバレットの後ろ姿を見比べていたが、やがて小さく目礼してその後を追った。




 薄暗く少し肌寒い冷室に自動照明の光が灯る。

 やがて、静寂のバイオルームに荒い息遣いが響く。


 何も考えずにモジュールを繋ぐ廊下を走り続け、ここまで来てしまった。


 バレットはある一角で立ち止まり、手を膝に当て息を整えた。

 なぜだがわからない。だけど、自分ではどうしようもできない衝動が胸を満たし、走らずにはいられなかったのだ。


「くそっ……なんなんだよ……」


 なんで一言も相談に乗ってくれなかったんだ。

 そんな思いがよぎり、ふいに足が止まる。自分でも無意識のまま行き着いたその場所にはっとした時だった。


「親御さんの話を聞かねえ悪い子はいねぇがーー!」


 背後から聞こえてくるおどけた調子の低い声。


 それは以前話に聞いた覚えがある。

 確か彼女の故郷で幼子の通過儀礼に使われる決まり文句だったはずだ。


 振り向くと、照れを隠したはにかんだような笑い顔があった。


 だが、今はそれに笑顔で答える気にはなれない。何も言わずスペースの一角――幼い日のワガママで作ってもらったキッチンにもたれかかると、サクヤも何も言わずその隣に座った。

 そして、そのまま二人何も話さずに長い時間を過ごした。


「……初めて」


 そうしている内に胸の中の衝動が、少しずつ言葉に変わっていく。


「三人で料理を作ったんだ。ステーキっていう動物の肉を焼いただけの料理」

「おいしかった?」

「いや、大失敗。黒焦げの何がなんだかわかんない物体って感じだった」


 アニメーションで見たそれとずいぶん違う暗黒物質に二人で顔を見合わせ、マズルだけは涼しい顔をしていたんだっけ。


 遠い日のさして面白くない思い出に小さな笑いが込み上げ、同時に胸が締め付けられる。


「……ごめんなさい。私のせいでこんなことになって」


 その横顔を見てサクヤが目を伏せる。

 だが、「そうじゃないよ」とすぐに否定した。


「いつもあの調子なんだ。仏頂面で、無口で……遺伝子的には同じ人間のはずなんだけど、正直……マズルよりも何考えてんのかわかんない時もある」


 それを聞き、サクヤがゆっくりと顔を上げた。


「私もね」


 言葉を選ぶような間の後、話を続ける。


「ここに来てから何度も……あの時、なんでお父さんはあんなことをしたんだろうって。なんで最後まで一緒に生きようって言ってくれなかったんだろうって。何度も思った。どうしようもなかってわかってるけど、それでもちょっと恨んだ。お父さんのこと」


 寂しげにうつむく横顔に暗い影が落ちる。

 それはまるで自分に言い聞かせているようだった。


「でもね……そのおかげでみんなに出会えた。世界にはこんなにも不思議で奇跡みたいな知らないことばっかりなんだって思えた」


 だが、その影を打ち消すようにすぐにいつもの恒星のような笑顔を取り戻す。


「うまく言えないけど、相手の気持ちがわからなくても、その人が何も思ってないってことにはならないんじゃないかな。

 バレットも……本当はわかってるんじゃない?」


 サクヤはそこまで言うと、バレットと向き合い、その手をぎゅっと握り締めた。


「私は……バレットと一緒ならどこでも大丈夫。どんな場所でも生きていける。ここでも、全然知らない場所でも」


 自分達とは対照的な小麦色の肌にほのかな赤みがさしていた。

 互いにほのかに感じていたけど形にできなかった感情。

 それに触れると胸の中の衝動が和らぎ、やがて消えていくのがわかる。


「強いね。サクヤは」

「強がってるだけだよ」


 そして、代わりに胸に満ちるのは強い願望。


 彼女と一緒に生きてみたい。


 彼女の故郷のようなまだ知らない世界を見て、聞いて、触れて、嗅いで。

 それは困難な道かもしれないけれど、きっとあの丸焦げのステーキみたいにそんなに悪いもんじゃないんじゃないか。


 そんなふうに思えたのだ。

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