850光年の孤独―8
鋼の洞窟を閉ざしていたハッチが開き、誘導電磁場に引き寄せられた異邦からの来訪者は音もなく船内に滑り込んでくる。
(エアロックが使われるの生まれて初めて見たな)
どこか現実感のないその光景を画面越しに見つ続けた。
宙に浮いたままの小惑星は船尾から宇宙放射線及び不純物除染過程を通り、一度収納スペースへ運び込まれる。
こういった重量物を運搬するのに便利なため、船内の一部ではわざと無重力空間を残した区画が用意されていた。
『除染完了。続いて内部構造の詳細分析及び人口重力区域への受入シークエンスへの移行を開始します』
壁の四方からロボットアームが伸び、小惑星のなめらな金属面を忙しなく這い、時に小さな穴を開け、その破片を回収。次々に分析にかけていく。
マズルの分析によれば、超高純度ウランに近い性質の物で覆われていたこの小惑星は正確には人工ポッドのようなものに該当するとのことだった。
だが、解析できたのはそこまでだ。
ポッドの主要部分を構築する金属は未知の物質でできており、内部にある半永久的に自己修復可能な生体コンデンサや解析不能なバイオマシンを含め、その技術は全て自己増殖性を持つ生化学分子と純粋な自然加工物から構成されており、我々の物理法則や遺伝子工学とは全く別の論理体型から組み立てられているようだった。
それでも解体はできるようで人間らしき生命体を覆う生体保護溶液の結晶体までは、三日かけてなんとかたどり着くことができた。
その報告を受け、バレットと共にマズルに案内されたのは人口冬眠施設が用意されているモジュールだった。
「あれが……」
無機質なモジュールの中にぽつんと用意されているのは、一台のコールドスリープマシン――バレットと共に生活するようになってからは使わなくなった時を越える寝台だ。
そして、仮想現実のシミュレータシートと似た蛹のような半透明の機械の中にかの存在は横たわっていた。
一糸纏わぬ小麦色の肌。
肩にかかるほどの長さで切り揃えられた亜麻色の髪。
年齢は十代後半から二十代前半。
見た限り間違いなく人類となんら変わりない少女がそこにはいた。
『サンプルより生体及びゲノム解析終了。連邦標準のヒトゲノムとの差違は1%以内。遺伝子構造上、人類との決定的差違は認められません。同一種であると認定します』
固有生体反応に続き、遺伝子構造上も同じ生き物。
二人の感触を裏付けるようにマズルが報告する。
『人口冬眠に極めて類似した状態だったため、解凍プロセスを応用し正常動作中。完了まで残り500時間』
心電図や脳波といったバイタルが波形の形をとってホログラム画面に投影されている。
同年代の裸体をマジマジと見続けるのも気が引けるのか。バレットは早々にバイタルや現在までわかってる情報をまとめた画面に目を移す。
「やっぱり……脱出用救命ポッドなのかな?」
『確定はできません。しかし、コールドスリープに類似した機能を持っている点からも、その可能性は高いです』
また、ポッドにはやはり当初の予想通り推進系が見当たらず、最初に母星の重力圏を脱出した後にそれを切り離し、慣性の法則で進むようになっていた。
だが、この星系の重力場から逃れられず悠久の時の中、この宙域を漂っていたらしい。
「何か記録媒体のようなものは?」
『光学、赤外線、スペクトル分析――多種のスキャンを試みましたが、該当する構造物は見当たりません』
「結局、この少女だけが情報源というわけか」
そうして、仕方なく解凍を待ち続けて、およそ二十日後。
『解凍プロセス完了。バイタル安定。覚醒プロセスに移行します』
ついに、その時はやってきた。
二人が見守る目の前でコールドスリープ装置からぷしゅっと小さく空気が抜ける音が発せられる。
同時にホログラム画面のグラフが活性化し、半透明のハッチが開いていく。
そして、少女はゆっくりと瞼を開き、黒色の瞳を覗かせる。
コールドスリープから目覚める際に最も人体に負担がかかるのは神経系だ。
だが、少女の目には無機質な天井が確かに見えているようで、ゆっくりと上半身を起こし、ぼんやりとした顔のまま、左右を見回す。どうやらマズルの処置はうまくいったらしい。
『おはようございます。脳波、体温、脈拍、発汗、筋電位、基礎代謝ともに異常なし。人工冬眠からの覚醒プロセスを終了します。以降はガイダンスに従ってください』
マズルが一応プログラムに従いお決まりの文句を伝えるが、やはり意味は伝わっていない。
連邦共通言語に統一される前のいくつかの古代言語で試してみたが、いずれも結果は同じだった。
『状況対処不能。判断を求めます』
と言われても、言葉が通じないこの状況ではどうしようもない。
「推論エンジンによる翻訳は可能か?」
『可能ですが、言語サンプルを採集する必要があります』
つまり、何かしら発言させなければいけないらしい。
言葉が通じない人間。そんな相手に会ったのは初めてなので、どうすべきか悩む。
(いや……)
初めてではないな。バレットを見て、ふと夜泣きに悩まされた日々を思い出し苦笑いする。
マズルとバレットから離れ、ホログラム画面を無表情で見つめる少女に接近した。
「……初めまして」
なんとも間の抜けた挨拶しか出てこなかった。
言語が通じないことはわかっているが、相手は同じ姿形をした人間。それにこの救命ポッドといいある程度の文明レベルにまで達していることは明らかだ。
ならば、身ぶり手振りや雰囲気でなんとなく意思を伝えられるのではないかと思ったのだ。
「――!!」
だが、少女は声にならない声をあげると、解凍直後のコールドスリープ酔いのためかよろめき、シートから転げ落ちた。
「驚かせてすまない。少し話を――」
「デイナコ! ニナ! ヤイ!」
悲鳴のような声をあげ、少女は素早い動きで脇を抜ける。
しかし、その背後に控えていたマズルとバレットに急ブレーキをかけ、再び転んでしまった。
「コールドスリープ直後にこれほど動けるものなのか?」
『遺伝子分析の結果、あなた方と比較し人工冬眠に対する適応度及び代謝率が高いものと推測されます』
「今そんなこといってる場合じゃ――」
「ニナ!? ニナ!? ニナ サクツブ ノルテッイ!!」
四者四様の言葉が空間を満たす混沌とした状況の中、意味がわからない言葉を叫びながら後ろずさっていた少女がピタリと言動を止めた。
「ア……!」
息を呑んだ感嘆の後、褐色のその顔が真っ赤に染まる。どうやら自分が何も着ていない生まれたままの姿だと今更ながら気づいたらしい。
「ウヨシウド……! ウモ……メヨオ イナケイ……」
さっきまで叫んでいたと思ったら、今度は膝を抱えたまま泣き始める。
永い眠りから覚めると全く知らない空間に放り出され、そこには怪しげな男女三人。
状況に混乱するのも無理はないだろう。
「説得できそうか?」
さすがにいたたまれなくなり、言語サンプルの採集も兼ねたファーストコンタクトを終えようとする。
『言語解析進捗率は現時点でおよそ19%。効果的な説得は望めません』
「できる範囲で構わん」
『承知しました』
その言葉に頷くとマズルは少女に近づき、この僅かな時間で収集した言語を解析、繋ぎ合わせ、たどたどしく語りかける。
『お願いデアル。ヤメロ、抵抗ヤメロ。ヤメたら、いいことしてあげること、可能。恥ずかしがる、必要性、なし。さあ、さあ』
「ヒッ……!」
「……お前、わざとか?」
同時翻訳されコミュニケーターのホログラム画面に映し出されるテキストは、なぜかどことなく卑猥な響きがある。
完全に逆効果のようで、なぜか言葉が通じていないはずのこちらに助けを求める小動物のような視線を向けられた。
『当システムの翻訳機能は正常。語彙サンプルの圧倒的不足によるものと推測』
どこかキリッと自信ありげにも見えるマズルの表情にバレットと共に呆れた表情を浮かべる。
「もっと単純に意図を伝えろ」
『ヤメロ。抵抗姿勢、ヤメロ。我々、敵意、否定。我々、あなた、支援、可能。あなた、我々、情報提供、望む』
「……ア……ア……」
いきなり言葉が通じるようになったことに驚いているのか。
泣きわめくだけだった先ほどまでとは違い、少女は確かにマズルの言葉に耳を傾けている。
だが、人間離れした無表情のせいかリラックス効果を与えるはずの彼女のF分の1ゆらぎは全く効果を表していない。
というか、バレットの夜泣きの時も思ったが、こいつのF分の1ゆらぎが役に立ったところを見たことがない。
「マズル、同時翻訳しろ。俺が――」
しびれを切らしそう言いかけた時だった。
それより先にバレットが前に進み出た。警戒させないようにゆっくりと近づいていくが、少女は相変わらず顔を強ばらせたままだ。
だが――
「大丈夫。同じ人間だから。怖がらせてごめん」
上着を脱いで膝をつくと、すぐに少女の体を包むようにそれを被せる。
その行為と言葉に少女は少し平静を取り戻したようだ。ようやく泣くのをやめ、バレットの顔をまっすぐに見据える。
警戒の色がまだぬぐえない表情にバレットは穏やかな笑みを浮かべる。
自分やマズルにはできないその自然な表情が正解だったのだろう。
「エマナ ノア トッエ……」
やがて、つい先刻までとは打って変わりシンと静まり返った部屋の中で、少女は何かを伝えようと少しずつ語りかける。
まだ多少の困惑は残っているが、そこに先ほどまでの敵意は感じられなかった。
『あなたの姓名を提示することを求めています』
「名前か……」
その意図を推測しマズルが伝える。
それに対しバレットは姓名に該当する単語をホログラムのテキスト画面から見つけ出し、マズルを介さずに自分の口で彼女に告げた。
「エナマ バレット=コルトメーカー。よろしく」
「バレット……」
伝えられた名前を反芻し、おずおずと少女はバレット、マズル、そしてこちらへ視線を移していく。
そして、静かに自らの名前を告げた。
「シタワ エナマ " サクヤ "」