850光年の孤独―6
バレットの中で、食事とは肉体活動を維持するための栄養補給という認識でしかない。
そのため、真空包装されたゼリー状の栄養化合物を朝・昼・夜食べるという生活になんの疑問も持たないでいた。
だが――
「おにく食べたいっ!!!」
同じDNAを持つはずのこいつにとってはそうではないらしい。
「何を言ってるんだ、お前は?」
クローンが突然おかしなことを言い始めたのは、共同生活を始めて五年に差し掛かろうとした頃だった。
機体チェック中の仕事部屋に現れたクローンはこちらが奇異の視線を向けると、なぜか自慢気にホログラム画面を見せつける。
そこに映し出されているのは児童用アニメーションの映像。状況はよくわからないが食事中のようで、猫型キャラクターが黒い何かに乗せられた茶色の物体を切り分けているシーンだった。
「何を食ってるんだ?」
「だから! これがおにくだって! もー、バレットなんで知らないの!?」
娯楽用映像の類いはほぼ見たことがないため知らなかったが、母星の社会ではこういった食糧を用意していたらしい。
しかし、肉と呼ばれる物体――下手すれば排泄物のようにも見える茶色の物体がどう考えても栄養的価値があるようには思えなかった。
「マズル。肉とは?」
『食用の意味においては、動物の皮下組織及び筋肉全般を指します。この映像内での料理の名称は" ステーキ "。主に牛や豚と呼ばれる家畜用草食哺乳類の肉類を熱した調理方法が取られます』
クローンの背後に控えていたマズルに問うとホログラム画面に『ステーキ』の詳細。
それに加えかつて母星にいたという家畜用動物たちの映像資料と説明文が表示される。
『栄養化合物のパッケージには任意の味付けが可能。データベースを元にステーキ味を模した味を――』
「えー! それじゃあいみないよー! もー、マズルもわかってないなー」
マズルは提案が拒否されるとこちらへ視線を向けた。
それに気づいていない体を装い機体チェックの画面に目を戻していたが「にーく! にーく! にく! にく! にく!」と衰えることを知らない足元の声に頭をかきながら嘆息する。
「マズル。船内の物資で再現は可能か?」
『バイオルームにて冷凍保管されている各種生物の細胞から筋肉片の培養は可能です。ただし、食糧化合室には" ステーキ "の調理を想定した工程設備及び管理システムが存在しません』
「つまり……」
『当システム単独での状況対処不能。支援を要請します』
嫌な予感がして恐る恐る聞いたが、やはりそうなるらしい。
マズルが結論を出すと同時にホログラム画面にはステーキの作成過程とバイオルームの一角をマニュアル式の調理用設備に改良する計画案が浮かんでいる。
「一回だけだぞ? いいな」
「やったぁ!」
めんどくささにいつもよりぶっきらぼうな物言いをしてるにも関わらず、クローンはそんなことを気に留めていないようだった。
「なぜ生物の死骸など食いたがるんだ……?」
『同意します。栄養接種の点から見ても非効率的と言わざるを得ません』
この時ばかりは珍しくマズルと意見が一致した。
それから数時間後。筋肉片の培養が終わったという報告を受けて三人でマニュアル式調理用設備――かつての社会ではキッチンと呼ばれていたそれを利用し、ガイドラインの手順に沿って順調に……いくはずだった。
しかし、不思議なことに最終行程まで終え、居住スペースのテーブルに並べられていたのは、映像資料とはかけ離れた見た目をした黒い塊。
光すら飲み込むブラックホールを模したような未確認物体Xだった。
「……いただきます」
「なんだそれは?」
一応自分が言い出したことに幼いながら責任を感じてはいるのだろう。
先ほどまでの元気はどこかへ消えていたが、クローンは奇妙な文句の後に目の前のステーキになるはずだった物体に手をつける。
「えー、知らないの? つまんない資料映像ばっかり見てるからだよ」
『旧態社会において、食事の前に行っていた慣習に基づく挨拶です。主に供給される食事に費やされた動植物の資源や人的労働力に謝意を示すという趣旨で行われていたようです』
ちょっと元気を取り戻したのか。
いたずらっぽく笑うと、クローンの言葉にマズルが補則する。そんな習慣があったのは初めて知った。
まあ、それはさておき。クローンがなんとも言えない顔のまま黒い物体を口に運ぶのを見て、バレットも自分の前にあるステーキを見下ろす。
「マズル……お前、これを処分できるか?」
『当セクサロイドのボディはユーザーの様々な性的趣向に対応するため、食事を模した有機物分解機構も有しています』
「……」
それを聞き、ますます食欲が減退する。
耐えきれなかった仮想現実での性交体験のシチュエーションの内の一つを思い出し、有機物が何であるかはそれ以上追求しなかった。
だが、目の前のクローンが食べているのにこちらが食べないというのもどこか居心地が悪い。
仕方なく。ゆっくりと肉を口に含む。
「うぐっ……!」
最初に来たのは初めて体験する焦げの苦味。そして、化合食糧にはない熱さ。
味わったことのない刺激に思わず吐き出しそうにるが、なんとか唇を引き結び、耐え、咀嚼する。
しかし、苦さは継続して残ったものの、熱さに目を白黒させたのは最初だけだ。
普段食べる合成食糧より汁気が多く、温かさとともに感じたことのない旨さが口いっぱいに広がっていく。
目の前に座っているクローンと視線が重なる。どうやら似たような感想を思い浮かべているらしく、クローンがにっこりと笑った。
「ごちそうさまでした!」
思ったよりも悪くなかった黒い塊を全て平らげ、クローンは元気よく言い放つ。
どうやら「いただきます」と対をなす食事を終えた時の挨拶らしい。何かを急かすような瞳でじっとこちらを見てくる。
「……ごちそうさまでした」
『食事を終えたことに同意します』
その言葉にクローンは満足気に笑った。
それからというもの三日ごとに『料理の日』というものが作られ、なぜか肉以外の物も作らされるはめになったが、不本意ながら悪い気はしなかった。
適正な食事のスケジュールが崩れたため、マズルが栄養管理プログラムを作り直し、最適な食品リストと料理を提示する。また、念のためスキャナーとオートドクターが併設された医療ポッドで検診も行った。
食事を変えてからも特に健康状態に異常はなく、代謝活動を一部促進させるナノマシンを投与されるだけで終わったはずだが、マズルはなぜか診断結果をじっと見つめている。
「どうした?」
『私は搭乗員総合支援システム。策定要領と演算計算をもとにあなたにとって身体的、心理的に最適な生活支援プランを作成し、実行してきました』
「ああ」
途中から若干的外れだった気がしないでもないが。
『ですが……あなたのクローンが提言する私の最適解とは外れる行為を行った方が、総合的に優れた診断結果が出ています』
マズルはそう告げると、再び医療ポッドのホログラム画面に写し出された診断結果に目を落とす。
なぜだろう。
表情は全く変わっていないのにそれが少しすねているように見えた。
「俺にわかるわけないだろ。というより、お前があいつを作ったんじゃないか」
その様子に思わずわずかに口角を吊り上げる。
自分でも後からそのことに気づき、はっとする。
初めて『苦笑い』という行為をした。
「ねえー、バレットどうだった!?」
そんな二人の間にクローンが入ってくる。次は彼の健康診断の番だからだ。
『オールグリーン。健康状態に異常は見当たりません』
「ふーん」
ホログラム画面をマズルと共に見ながら、クローンはふとその右端に表示された検診者「バレット」の名前を見た。
「ねえ、バレット」
「ん?」
「ぼくの名前ってなんなの?」
思いがけない質問だった。
というより、ずっとマズルと二人の環境だったためそんなこと考えてもいなかったという方が正しいかもしれない。
「必要ないだろ。俺とお前にマズルしかいないんだ」
「ええー!? いるよ! ないと不便じゃん!」
バレットは思わず額に手のひらを乗せ、また始まったと小さく息を漏らす。
その自覚はないが、クローンと暮らし始めてからバレットはかなり表情筋を使うようになっていた。その中でも登場頻度の高い『めんどくさい』を表に出し、覚えたての表情を遺憾なく発揮する。
「バレット」
そうしてひねり出したのは、自分の名前そのものだった。
「お前は俺だからな。俺の名前をそのまま使え」
その返答にクローンはきょとんとする。
「じゃあ、バレットのことは? これからなんて呼べばいいの?」
「必要ない。おいとか、お前とか、あんたとか、呼びようはいくらでもあるだろ」
「えー、うーん……バレットかぁ」
クローン――改め『バレット』はどこか納得のいかない表情を浮かべながらも、ちょっと照れ臭そうに笑う。
どうやら満足したようなのでマズルがその体を抱き抱え、医療用ポッドへ寝かせる。隔壁越しにスキャンを受けるその顔を見て、唐突に一人だった頃によく見ていた夢のことを思い出した。
大声を出し、慌て、困り、驚く。想像もしていなかった忙しない毎日の中でいつの間にかあの夢は見なくなっていたことに、その時になってようやく気づいたのだ。