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SCENE850  作者: ぽんこつ
850文字のその先で
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850文字のその先で―1

 それはいつかの時代。どこかの話。

 少女は竜に尋ねた。


「私を食べてくれない?」


 その問いかけに竜はおおきく目を見開いた。

 今まで怯え、嘆き、食べないでくれと懇願されることはあれど、自ら食べて欲しいなどと宣う人間は初めてだったからだ。


「そなたは何故それを望む」

「別に理由なんてないよ。あなたに食べられたいって思ったから。ただそれだけ」


 人間の年齢で言えばまだ15にも満たない少女は子供らしい無邪気な笑顔を浮かべる。

 しかし、竜にとって、その笑みは彼女の年にそぐわない妖艶さを帯びているように見えた。

 そのギャップにたじろぎ、開きかけた口を閉じ、長考する。


 こんな子供など一口でたいらげることができる。一国を一人で落とした伝説の騎士、七つの海を越えてその名を轟かせてきた高名な魔法使い。今までだって何人もの人間をこの胃袋に納めてきた。

 命短き人間の性か。そんなやつらでさえ万策尽き、我が口を開く瞬間まで必死で抵抗した。


 だが、こいつにはそれがない。まるで生きる意志がないのだ。

 考えを巡らせる竜を見つめるまっすぐで汚れなき瞳を見て、竜は一つの結論に至った。


 こいつは何かの罠ではないか、と。


 例えば、この少女の体内に爆弾あるいは猛毒を忍ばせ殺そうとする人間の小賢しい作戦なのではないか。そう一人で合点すると、先ほどまでの少女の落ち着き払った態度の裏にあるものにも想像がついた。

 人間たちには感情を麻痺させる魔法や薬剤を使う者もいるという。そうして戦士たちの恐怖を取り除き、戦を有利に進めるのだと。


(愚かな)


 この屈強な筋肉と鱗に覆われた体はどんな矢も大砲ですら通さない。この両翼が起こす風は人間ごときの魔法や呪いなど軽く凪ぎ払う力がある。


 ならば、体の内側からなら壊せるのでは?


 大方、そんな単純な思考であろう。だが、生憎炎を常に燃やし続ける竜の腹には爆弾も毒も意味をなさない。全て焼き付くしてしまうからだ。

 竜の内側から怒りが込み上げた。今まで自分を殺さんとしてきた人間たちには誇りというものがあった。だが、今回の――




(……だめだ)


 一流の作家になると自分が創造した世界から一気に現実に引き戻される時、何か違和感のようなものがあるらしい。まるでそれまで入り浸っていた世界こそが本物で、自分が生きている現実こそが偽物なんじゃないか。


 そういう感覚。


 わかりやすく言えば、あれだ。仮想現実でエリートサラリーマンをやっていたネオが、電脳世界からいきなり文明崩壊した現実世界に引き戻される時みたいな。


(……いや、わかりづらいな)


 マトリックス観てない人には伝わらんだろうし。

 まあ、少なくとも一流――というより作家ですらない一般人の自分には全く味わったことのない感覚だ。


『閉館10分前になります。お忘れものがないように――』


 そんなことを考えながら、ぼーっとパソコンのディスプレイを眺めていると、図書館の中にアナウンスが流れる。


 この市の図書館は窓際の席に『PC・タブレットスペース』なるものを設置しており、ノートパソコンを持ち込めば誰でも自由に使うことができる。まあ、使っているのはもっぱらレポート作成に追われる休日の大学生。それか参考書を開きっぱなしでコンセントを目当てに充電しながら スマホをいじっている中高生。

 大学が近くにあるせいかいずれにせよ若者が多いのが特徴だ。


(俺もまだ大学生に見えるかね)


 だらだらと後片付けを始める若者たちをちらりと見ながら、まだ光を点すディスプレイに目を戻す。

 浮かんでいるのは四百文字詰めのテキストエディタ。並んでいる文字列からは描き出されるのはある竜と少女の奇妙な心の交流を描いたファンタジー長編……になる予定の冒頭部分。

 作者は他でもない自分だ。


 金曜日の夜、残業続きの一週間がようやく終わりを告げ、車の運転中にふと――本当に唐突にその場面は脳内に飛び込んできた。


 巨大な竜。

 対峙する少女。


 そして、始まりを告げる台詞。


「私を食べてくれない?」


 これだ!


 思わず叫んでいた。同時に鳥肌が立った。

 ついでに、赤信号を無視しそうになっていた。

 交通量の少ない夜11時の地方都市だからよかったもののあわや大惨事である。赤信号で急ブレーキを踏んだところではっとしたが、まだ興奮は冷めないでいる。


 何かよくわからない確信めいたものがあった。

 これは自分にとって初めての作品になる。その根拠のない確信が。


 と思い、「うひゃー!!! やるぞー!!!」と奇妙なテンションで車を家まで走らせ、飯と風呂を手早く済ませ、時刻はすでに1時を回っていたがノートパソコンを立ち上げた。

 勢いに任せて思い付いたことをメモに打ち込んでいき、大まかなプロットも作り上げた。出来上がったプロットを見てますます確信は強まり大満足。あつらえ向きに明日から休日。たっぷり時間はある。興奮は冷めないで明日に備えて眠りについた。


 そうして迎えた土曜日。布団に押さえつけてくる地球の重力に珍しく抗い午前中__それも朝の9時に起きると適当に身支度を整え、早速歩いて20分ほどの図書館へ向かう。

 その間にも俺的名シーンを反芻させて世界観にどっぷり浸った状態で到着。一直線にPC・タブレットコーナーに向かい、ノートパソコンと執筆用のテキストエディタを起動。


 いざ!


 ここからファンタジー界に残る名作が生まれますぞーと仕事中には全く見せたことのない高いテンションのまま執筆に突入……したまではよかった。問題はそこからだった。


 書きたい場面がある。

 場面や設定を整理したプロットもある。

 高くはないが、最低限の描写ができる文章力もある。


 だけど、書けない。

 最初の一文字が、一行が、埋まらない。


 なんとか書き出したはいいが、何か昨晩想像していたものと違うような気がして書いては消しての繰り返し。

 そうやって一歩進んで二歩下がるを繰り返しているうちに十二時。なんとか400文字まではいったが、なんか納得がいかない。

 気分転換しようと近くの牛丼屋で飯を食った後に再びディスプレイとにらみ合いに突入するが、結局自分の物語に対する理想と現実の間にある違和感は消えないままだ。気分転換に図書館の中をうろついて全く知らない本をパラパラと眺めたり、プロットを整理してみた。


 だけど、そういうことをすればするほど自分の物語を伝えきれない文章の拙さが身に染みるだけで、自分の中の違和感は膨らんでいくばかり。そうして物語が一向に進まないうちにある疑念がわいてくる。


 この物語は……本当に面白いのか?


 この疑念が自分の中に生まれた瞬間、アウト。もうその物語は自分のなかで形をなさなくなり、ハードディスクの地層に化石として埋もれることになる。


 そうして縦書き文章の終わりと始まりを左右にスクロールさせたり、参考資料にと図書館の図鑑コーナーから持ってきた分厚い爬虫類図鑑をめくっているうちに時間はいたずらに過ぎ、気がつけば1日が終わっている。


 これが、本当に書きたかったものなのか?

 そもそも、最後まで描ききる能力が自分にはあるのか?


 次々と問いは湧いてくるが、対照的に自信に満ちた答えは出てこない。

 きっと俺はまた、小説を書き終えることができない気がする。 ただそんな情けない予感だけは胸に浮かび上がっている。

 今までも、何度も小説を書こうとし、その度にこの予感に筆を折られた。今回も同じだ。


 そして、直後にこう思った。

 また『850文字症候群』が出てしまった、と。


「あのー、申し訳ございません。そろそろ閉館の時間なんですが……」

「ん? ああ、すいません」


 マイナス思考の泥沼に沈み混んでいた最中、そこから現実へ引き戻したのは背後からかけられた若い女性の声。

 図書館の職員だろう。


(やべ……)


 振り向きもせずに慌ててテキストエディタを閉じ、ノートパソコンの電源を切った。


 閉館時間が迫っているのを忘れていたこともあったが、この距離だと画面に映っているのがレポートなどの横書きの文章ではなく、セリフの「」と地の文が入り混じる縦書きの文章だと判別できる。

 いい年した男が休日に1人ファンタジー小説を書いているというのは世間一般的に結構痛いものがある。どちらかというとそちらの方が気になった。


「そんなに慌てなくても大丈夫ですよー。それとも、なんか見られたらまずいものでも見てたんですか?」

「……ん?」


 図書館の職員にしては妙に親しげな声と台詞。

 一瞬、図書館の職員に知人か友人がいたかと勘違いしそうになったが、社会人になってから大型連休や年末年以外に友達と会った記憶がないぐらいには交遊関係が狭いのでそんなことはあり得ない。

 というか、学生時代からクラスの中の下ぐらいのカーストをずっと低空飛行し続け、社会人になってからも女性との出会いなどと皆無だった自分にとってそもそも若い女性の友達など幻想の産物だ。


 だが、そんな状況でも一つだけ心当たりがあった。


「何やってんだ? 風香ふうか

「図書館職員ドッキリ?」


 振り返った先にいたのは中学生の女の子。いとこの風香だった。

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