第七話 空の入れ物がいちばん大きな音をたてる
それから、一週間が過ぎた頃の話だ。
それは、たとえばケーキが食べたいと言ったとしよう。その場合、注文は正確でなくてはならない。甘酸っぱいイチゴの乗ったショートケーキなのか、コーティングされたチョコの中に眠るココアの香り漂うケーキなのか。それともアプリコットジャムがうっすらと塗られていて、舌に染み渡るようなチーズのスフレなのか。その点について少女リリオラは自身の言葉が足りていなかったことを深く反省したことだろう。適当に買ってきてくれなどと半端な物の頼み方をしておきながら、いざ戻ってきた相手にこれは違うと怒鳴りつけては品性が疑われる。ならば最初から自分で買いに行けばよかっただろうにと言われてしまえば、たしかにその通りだと彼女は感じながら、しかし「さすがにこれは」と歯痒い気持ちでいた。
「……なぜ、アイスケーキを……?」
リリオラは、ドミニクがニコニコとして買ってきたから、さぞや良いものが見つかったのだろうと思った。だが受け取った箱の中身を開けてみれば、それはもうカチコチに凍ったアイスクリームでコーティングされたケーキときたのだから、今にもひっくり返って放心状態に飛び入りそうなくらいだった。
彼女が頼んだのはデザートだ。温かな一杯のコーヒーを飲みながら、やわらかなスポンジをフォークに刺してゆったりと口に運ぶ。その時間を楽しみたかった。だが、どうやらそれは叶わないとひどく落胆した様子でげんなりした表情をする彼女の姿に、ドミニクは何が悪かったのだろうかと不思議そうにしている。リリオラは今度はドミニクの表情に腹を立てた。
「……いや、なんだお前。なんなんだ、その顔は。分からないのか? 道も凍り肌が割れそうな寒冷地の! しかも真冬真っ只中に! なぜアイスケーキなんぞを選んで買ってきたんだ、馬鹿かお前は!?」
「寒い日に食べるアイスケーキも乙なものかと思いまして」
「あのな。暖炉にくべる薪も残り少ないうえに温かくもない安宿の一階で、進んで腹を壊すためにこんなものを食べるイカれたマゾヒズムなんぞ私は持ち合わせてないんだよ。第一この寒さじゃ硬すぎて歯が折れるぞ、腹の立つ食い物をよこしやがって」
「えっと、じゃあ、リリオラさんのぶんまで僕が食べましょうか……?」
「……好きにしろ、私はもういらん」
フォークをからんとテーブルに投げ出して、頬杖を突きながらむすっとした顔をしているリリオラに気を使うこともなく、ドミニクは平気な顔をしてアイスケーキを平然と食べ始めた。見ているほうが寒くなりそうだ、と彼女は横目にため息をつく。
「ふう、ごちそうさまでした。やっぱり甘いものはいいですね、心が満たされます」
「そうか、それは良かったな。私はまったく満たされないどころか底に穴でも開いている気がするよ」
「まあまあ、そんなに怒らないで。あとで温かいパンケーキと厚めのベーコンを奢りますよ」
彼はふと窓の外の景色を眺めて「それよりも」と話を切り出した。
「一週間が過ぎましたが、何も起きませんね。本当にフェヴローニャは僕らのところへ訪ねてくるのかな?」
ドミニクが甘めのココアに口をつけながら話すと、彼女はふんと鼻を鳴らして投げやりな口調で「くるさ」と言った。
「フェヴローニャが生きて帰れば私のことはユアンの耳に届いているはずだ。きっと今頃は私を始末したくてウズウズしてるだろうな、コソコソとあの女に尾行をつけて、私たち諸共始末するつもりだろう。……ほら。噂をすればなんとやらだ」
リリオラの視線は窓の外へと向かっている。その先には防寒着に身を包み片方の袖を旗のように風に振らせながら立ち尽くしている女がいる。帽子を被ったままでマフラーを巻いているため素顔ははっきりと認識できないが、あまり景気の良い顔をしていないのは、誰がみてもなんとなく感じ取れるくらいたしかなことだろう。
リリオラが指を動かして「こい」と指示をすると、女は店の中へと曇った空模様を思わせる雰囲気で入ってきた。
「おはよう、フェヴローニャ。もう少し早くきていたら凶器みたいなアイスケーキを口の中に放り込んでやっていたのに」
「こんな寒い朝から冷たいものなんて食べたら、お腹が冷えちゃうじゃない」とマフラーを取ったフェヴローニャが薄緑の瞳を覗かせると、リリオラは無言でドミニクに嫌味な表情を送った。ただ彼は何も気付いていない様子だったが。
「さて、ちぎれた腕のほうはどうかな」
「……別に、ちょっと不便なだけよ。それがどうしたの?」
「そうか。私からしてみれば目立っていて良かったと思うがね」
「ちっ。やっぱりアタシ、あんたのこと嫌いだわ」
「それはどうも。お褒めに与れて光栄だ」
フェヴローニャから帽子を受け取ったリリオラはそれを窓を鏡の代わりにして位置を微調整しながら被り、立ったままの彼女に椅子を持ってきて腰掛けるように言った。が、リリオラは突然「いや、待て」と止めた。
「そら、来たぞ。予定通り馬鹿が釣れたみたいだ。窓から離れたほうがいいぞ」
とたんに、リリオラがみていた窓は噛み砕かれたキャンディのように粉々になって吹っ飛び、座っていたリリオラも椅子ごと店の奥へと転がっていく。店主が慌てふためいて「大丈夫か!?」と声を掛けたが彼女は手を振って「問題ない」と小さく笑った。
一方、ぎりぎりで躱したドミニクとフェヴローニャが店の外へ目を向けると、そこには二人の男が立っている。
「おいおい、マルツェル。誰も死んでないじゃねえか」
銀色の短髪をがりがりと太い指で掻きながら、凍えるような寒さの中でジーンズ一枚を穿いて上半身は裸にファーコート一枚といった出で立ちの男が、苛立った様子をして吹き飛ばした窓のあった場所から堂々と入ってくる。
それの後ろに並ぶ形で、肌の浅黒い更に背の高い屈強な丸刈りの男が野太く響くような声で「そんなこと言わないでちょうだいよ。あたし、不意打ちって得意じゃないのよねェ」と、こちらは軍人らしいかっちりとした服装で現れた。
「じゃあそのラッパ銃の口の広さはなんのためにあるんだよ、店ごと吹き飛ばしゃ早かったのに!」
店の奥に飛んだリリオラが五体満足のままで寝転がっているのを見て男が眉間にしわを寄せて怒鳴ると、マルツェルは肩にラッパ銃を担いで「だったらアナタがやれば良かったじゃない」と困惑した顔つきをした。
「……やれやれ、私を仕留めにくるのはどいつかと思ったが、気色の悪いカマ野郎と威勢の良い馬鹿犬か」
立ち上がったリリオラが衣服に被った砂埃を払いながら立ち上がり、にたにたと薄気味悪い笑みを浮かべて帽子を被り直す。正面に立つ敵意を剥き出しにした二人組を瞳に映して、心底ばかにしたように鼻で笑った。
「こんなザコ共を寄越すとはな」と彼女は仄かに立腹を露にする。マルツェルはその様子にくすくすと笑い、「でもアナタ、あたしたちがいつまでもザコだと思ってたら痛い目見るわよ」と身長の低いリリオラに数歩近寄って見下ろした。
「研究所を出たあと、あたしたちがどれだけ強くなったかも知らないでしょ? 自分の素質に怠けてたアナタとは違うの」
そんな挑発を吹き飛ばすみたいに、リリオラは鼻で笑って白々しく乗ってみせた。
「だったらやってみろ、カマ野郎。今は腹も減っていてすこぶる機嫌が悪いんだ、そんなに地獄がみたいのならみせてやるよ。世の中には努力で埋まらない差ってものがあるのを私が丁寧に、そして手短に教えてやろう」