第五十八話 力は正義なり
(チッ、腕を持っていかれたか。だが……)
体が衝撃で浮き上がる瞬間、リリオラは床を蹴って高く飛び上がり、空中で身を翻すと片手にマスケット銃を握り締めて壁を足場にディオールから距離を取り、下りて床に着地すると彼女はすぐに部屋をぐるりと回るように壁伝いに走り出す。
――勝てる見込みなど、どこにもなかった。出来が良くて相討ち。かつてこの身は、都市の外を闊歩する魔獣たちを駆逐するための攻撃魔術のすべてを極めたとして〝魔獣を凌ぐ者〟と呼ばれた。にも関わらず、この数百年、たったひとりの男に裏切られ、多くのものを失ってしまった絶望のなかでもがくことに精一杯で、気づけば大きな隔たりができていた。えらそうなことを言っておきながら腕を奪われて、戦うに値しない実力だといわれたような気がして、諦めたくなった。しかし、まだ終わっていない。この息が永久に止まる瞬間まで戦わなくてはならない。あの男を殺すそのときまではたとえこの身が引き裂かれようとも――。
「フッ。見栄を張ってここまで来たわりに、その程度か。どこまで逃げ回るつもりだ?」
ディオールの雷撃は槍の雨が如くリリオラに襲い掛かる。容赦なく追いつづけ、壊そうとする。彼女は巧みにかわし続けた。片腕の傷口を塞ぐだけに魔力の消耗を留め、時折かわしきれずに額やわき腹を僅かに抉られる痛みに耐えながら。
(ひとつ……ふたつ……みっつ……)
リリオラは上着の中に仕込んでいた何本ものナイフを、一定の間隔を開けながら自分の体の動きに合わせて隠すように床に投げて刺していく。そしてようやく部屋を一周し、最後のナイフを床に投げると同時、だった。
「そこだ、これはかわせまい?」
先ほどまで彼女を狙っていた雷撃のどれに比べてもひときわ速いものが、リリオラを目掛けて飛んだ。彼の言うとおり、かわし切れないと分かると、リリオラは自分のマスケット銃を前方に向けて、僅かに身を浮かせてから魔力の弾丸で射撃し反動で後方へと逸れる。雷撃は彼女の顔面――右目を掠めて負傷させた。
「うっ……くぅ……!」
全身を痺れさせるような痛みに、リリオラは初めて苦悶の表情を浮かべてうめき声を上げた。それでも彼女は諦めずにその場で踏ん張って、全身を強張らせてどっぷりと冷や汗をかきながらもディオールを睨む。
「ハッ、元気なものだな、リリオラ。片腕を失い、右目も使えず体中ボロボロ。魔力もずいぶんと使ったらしい。回復するまでには時間が掛かりそうだ。もう楽しませてはくれないのか?……この程度とはな」
彼女のたぎる闘志は消えずとも、体はそれについていかなかった。ディオールは動けずにいる彼女に歩み寄り、腹部に強烈な回し蹴りをいれて遠くの壁に激突させる。強く打った頭部からはどろりと血が溢れて額を流れ顔を濡らし、力なく垂れた腕は必死にマスケット銃を手放すまいと最後の抵抗をしていた。ひゅう、という短く浅い呼吸を繰り返し、意識を保つのがやっとの状態だ。
(クソ、何をしている? 今日まで長い時間を掛けて準備をしてきて、今、あとたった一撃が撃てればすべてが変わるというときに、なぜ動かない。ガラクタみたいな体をしやがって。動け、動け、動け――動け動け動け動け動け動けッ! 何をしている、この馬鹿が……フランシスたちが作ってくれた、この瞬間を、モノにもできない役立たずだというのか、私は!? あと少しのところだろうがッ!)
ぴくりとも動かない体に強い苛立ちを覚えながら、リリオラはどうにかディオールを倒したいという執念で意識を保っている。もはや勝ち目などないかもしれないと絶望の淵に立たされ、それでもまだ彼女はその身を酷使してでも倒したいと願った。が、叶わない。動けない。その姿にディオールは首を横に振ってわざとらしく肩をすくめた。
「残念だ。首だけになっても咬みつく気概があると思ったが……ここまでだな」
邪悪の極致にある者だけが持つ黒い魔力は、ディオールがリリオラに向けた手に大きくまとわりつき、強いエネルギーとなる。次に彼が指を鳴らせば、これまでの雷撃とは比べ物にならない威力で彼女の魂さえも焼き尽くすだろう。
「さようなら、リリオラ。我が不出来な妹よ。この数百年が無駄であったと心から悔いて死ぬがいい。君にはそれがよく似合っている。その白い装束のようにな」
高らかな音が響く。指を鳴らし、巨大な雷撃はリリオラを襲う。大顎を開けた蛇のように彼女を丸呑みにするかの如く巨大な雷撃が迫る。ついに決着がつく、とディオールが笑みを浮かべた――瞬間だった。
「諦めないで! まだ終わりじゃないでしょう、リリオラさん!」




