第四十四話 幸運の女神は勇者に味方する
ほんの僅かな時間。時計の秒針がいつつも刻まれないうちに、ドミニクはユアンに対して攻撃的ににらみつけたが、仕方なそうにため息をつく。「わかりましたよ、案外臆病なんですね」と挑発したが、ユアンはけらけらと笑って「用心深いの間違いだろ」と返す。
「さ、ほら。さっさと置け」
「……はあ、わかりましたよ。すぐに、」
ドミニクは銃を車輌にのせようとして、手から滑り落とす。がしゃん、と音がしてユアンが彼を嘲笑する。
「なんだ、やっぱりビビってるんじゃねえか」
「かもしれないですね。足だって震えてますから」
嘘ではなかった。事実、ドミニクとしてはかなり追い詰められた状況で、たった一度でも下手を打ってしまえばどうなるかを考えるだけで恐ろしいことは間違いない。それでも彼にはひとつだけ、この状況を打破する手段があった。
「すぐ拾いますから」としゃがんだ彼を待って数秒。ユアンは「何をやってる、はやくしねえかと声をかけたが返事がない。すぐさま不審に思って彼の姿を探せば、そこにはマスケット銃も、ドミニクもいなかった。ハッとして周囲をぐるりと確かめると、少し離れた場所にドミニクが駆けて行くのを見つける。
「あのクソ野郎、なめやがって。どうやったのか知らねえが逃げるつもりか、俺をコケにしてんじゃねえぞ。おい、銃持ってんだろ、貸せ。あいつの足を撃ち抜いてやる」
兵士のひとりから拳銃を強引に奪い取り、ドミニクの背中に銃口を差し向ける。が、その手をすぐに引いてユアンは「やべえな」と小さくつぶやく。ドミニクが急に振り返り、マスケット銃を構えたのだ。それもリリオラから受け取ったものだ、術式をつかえば威力がどれほど出るか分からない。ドミニク程度の魔力では限界がある、と高を括っていたユアンも、彼が途端に構えたのを見てなにかを察したのだろう。仲間の兵士を助けもせずに車から飛び降りようとする。しかし間に合わない。
「だめだ、逃がさない。君はここで僕が必ず仕留める」
ドミニクのドッグタグから放たれる巨大な魔力が彼を通じてマスケット銃に宿り、狙いを定めて引き金が引かれると、爆弾の炸裂音かと思うほど大きな音と共に弾丸は発射され、車輌に直撃すると同時に大爆発を起こす。
しばらく銃を構えていたドミニクも、炎上する車輌以外が静かなのを理解するとやっと一息をついた。
「お、終わった……上手くいったのかな……?」
魔力の大きな消耗は、そのまま本人の体に反動として現れる。ぜえぜえと肩で息をするほどに疲労を身に受けたドミニクが、ふらついた足取りで炎上する車輌の傍へ向かう。
(本当にすごい威力だ。補助があるとはいえ車輌一台がここまで破壊されるなんて……い、いや、おかしい。死体がふたつしかない!)
炎上する車輌の中で倒れている死体がひとつ。傍に転がっている死体がひとつ。では、もうひとりの死体はどこにいったのだろう。考えるまでもない。生きているのだ。あの射撃の威力と爆発の中で、本来生きているであろうはずもない男が生きている。傍に近寄ったことだけが彼の唯一の悪手だったと言えるのは、その爆ぜた車輌の裏側で息を潜めたユアンの存在に気付かなかった、それに尽きる。
炎上する車輌をまるで紙のごとく引き裂いて現れたユアンに気付き、咄嗟に下がろうとしたドミニクだったが、あえなく伸びてきた腕に捕まってしまう。首を押さえられ、地面に叩きつけられる。後頭部に響く強い衝撃に、ドミニクは顔に苦痛の色を映す。
「ユ、ユアン……なんであの爆発で生きてるんだ……!?」
「ハッ、簡単な話だろドミニク。俺の術式はこの肉体を強靭なものに変えてくれる。傷は普通より速く治るし、そもそも傷つくことがほとんどねえ。そのうえ見てみろ。あの分厚い車輌の鉄板ですら俺にかかればこのとおりズタズタよ。すげえだろ?」
首にぶらさげたドッグタグのチェーンを掴んで持ち上げて自慢した。
「お前と俺じゃあ天と地ほども差があるってわけよ。理解したか?」
ドミニクの細い腕を掴んで、ユアンはゆっくりと、本来であればそれ以上曲がらない方向へと曲げていく。痛みに叫び声があがるのを楽しみながら、彼はとんぼの翅でもむしるみたいに堂々と、ばき、と鈍い音を立てさせて喜んだ。
「いいザマだ、ドミニク! だが安心しな、ここで殺したりはしねぇよ。たしかてめえには大事な女がいただろう。ロマとか言ったか、ありゃあいいよなぁ。仄かに肉つきがよくて顔も良い。村娘にしておくにゃもったいないくれぇだ」
舌なめずりをして、歪な笑みをみせるユアンのその表情は、邪悪そのものだった。
「てめえの前でめちゃくちゃにしてやるよ、ドミニク。どれだけ泣こうが叫ぼうが、お前が「殺してやってくれ」というまで絶対にやめたりなんかしねぇ。せいぜい自分の不甲斐なさを呪え。誰に逆らったか思い知らせてやるぜ」
それだけはやめてくれと懇願したとして、ユアンがやめるはずがない。ドミニクの顔色はみるみる青ざめていく。なによりも避けたいことのはずだ。だが許されない。壊すと決めたなら徹底する。それがユアンという男だ。たったひとつの失敗が最悪の事態を招いてしまった、とドミニクは後悔の涙を浮かべて「お願いですから、それだけは……」と口にする。そう言う以外に、言葉が出てこなかったのだ。
「あほか、てめえ。そんなもんで許されるならなァ……」
今度はもう一方の手をへし折ろうとする。が、突然。がら空きだったわき腹から突進してきた何者かに、ボールでも飛ばしたのかと思うような軽さで蹴られ、ユアンは勢いよく吹っ飛ばされた。
その何者かは、ドミニクの傍に立って、凛とした力強い、勇気ある表情をした。ほんの少し前までは行動を共にしたこともあった、長い黒髪を揺らす女性は、まさしくフランシスその人だった。
「ハッハッハ! 女が欲しいのならここにひとりいるぞ、ユアン! 私が遊び相手になってやろう、そのほうがお互い気持ち良い汗が流せるというものだ!」




