第四話 狼は悪い心の考えることを知っている
灰色の空。響く銃声を音楽のように聴きながら一人の少女がデッキチェアに体を預けて、ゆったりと寛いでいる。
長い金髪をツインテールにして薄緑色の瞳を持つ彼女、フェヴローニャの静かに読書に耽っている姿は戦場にはまったく似合わないが、彼女にとってはそれが普通のことだった。飛来する弾丸の雨も砲弾の叫び声も土を吹き飛ばして砂を巻き上げるだけで、フェヴローニャの周囲は静かなものだ。
まるであらゆるものが彼女の周囲を避けているかのような光景には、彼女の同胞として戦場を共にする軍人たちでさえ恐れを抱いて唾を飲み込み、それを見つめて固まっている。
「ふう、面白かった! やっぱり外の空気を吸いながらの読書は最高ね」
ぱたんと本を閉じたフェヴローニャは傍においてあった小さなテーブルに本を投げて椅子から立ち上がり、ぐぐっと背伸びをする。大きなあくびもひとつかまして、それからやっと敵方に視線を向けた。
「さて、アタシも一仕事しておかなくちゃ。でないとマルツェルのヤツがアタシのことをまた馬鹿にするもんね」
彼女は自らに向けて構えられた無数のライフルを一瞥すると、ゆっくりと前進を始める。何を恐れることもなく堂々と。
一斉射撃が始まると、激しい銃声と共に数え切れない弾丸が彼女へ襲い掛かる。だがフェヴローニャが手を前にかざせば全ての弾丸は速度を落とし、ついには彼女の前に平伏するようにコロコロと転がった。
「甘い甘い。角砂糖をたっぷり入れたドロッドロのコーヒーより甘い。無駄なのよ、銃弾じゃアタシは殺せない」
彼女の得体の知れない力を見れば敵も味方も思考が止まる。現実感のなさを覚える戦場の出来事が全身を粟立たせ、恐怖を刻み、激しく警鐘を鳴らす。そこまでの処理が終わってようやく彼らは次の行動に踏み出ることができた。
「撃て! とにかく撃て!」とは誰の言葉だっただろうか。ともかくとして、それは恐怖に彩られる戦場にもう一度だけ銃声を呼び戻したが、読書を終えたあとのフェヴローニャにしてみれば音楽ではなくただの雑音に成り果てていた。
「なに、それ。大人しく撤退してくれりゃアタシは見逃してやろうと思ったのに」
彼女はまたしても、同じように弾丸を眼前で止めてみせると「正直、趣味じゃないんだけど」とため息をつきながら腰に提げたホルスターに収まったリボルバーを抜いて、目にも留まらぬ速さで五人の頭を正確に撃ち抜いてみせるとガンプレイをしてホルスターに戻し、得意げな顔をした。彼女にとって戦場はまるで遊び場だ。子供が砂場で遊ぶというよりかは、手製のスリングショットを持って野山を駆け回る少年のような心を持っている。ただし標的となるのが木の実か、それとも生きた人間かの違いはあったが。
ようやく分が悪いと判断した共和国軍が撤退を始めると、フェヴローニャは帝国軍に追撃はしないようにだけ告げた。徹底的に殺すべきだと批判的な声もあるにはあったが、フェヴローニャがひと睨みして「うるさい、私に指図しないで」と吠えれば誰もが大人しくなった。逆らえばどうなるかは、今眼前にある光景が全てを物語っている。
「むやみやたらと殺したって意味ないじゃない。獲物は狙いを定めてこそ価値があるってのに、どうしてそれが分からないのかしら。これだから野蛮人ってイヤね。ああ怖い怖い!」
彼女はまたデッキチェアに体を預けると、使用したリボルバーの弾丸五発の再装填を済ませ、空の薬室をハンマー位置に持ってくると静かにホルスターにしまいこんだ。――が、彼女はグリップを握り締めたまま手を止めた。
撤退する共和国軍のなかにあってぽつんと立ち、軍帽のつばを摘んで深めに被り込む誰か。何の気配すら感じない突然に現れた少女らしき姿を見つけて、フェヴローニャは睨みつけた。寝癖のついたような長い黒髪。共和国兵とも帝国兵とも違う灰色の軍服。胸にぶら提げられている狼の頭を彫ったドッグタグに気付いて、今度は目を丸くして驚き、緊張が全身をはしった。
「……! まさか……!」
彼女の言葉に少女は不敵な笑みを浮かべて、帽子のつばを摘んで上げた。
「やあ、元気そうで何よりだ、研究所での負け犬のような瞳が噓のように輝いているな。会えて嬉しいよ、またその目を濁らせてやることができるんだと思うと嬉しくて嬉しくてたまらない。私がここにいる理由は分かるな、フェヴローニャ?」
ニヤついた笑み。狂気と殺意の入り混じった瞳。相手を徹底して見下す挑発的な態度をした言葉遣い。フェヴローニャはゾッとするような気持ちに襲われ、動揺のまなざしで彼女を見た。
「なによ、死んだと思ってたのに。ああ最悪。アタシを獲物に選んだってわけだ」