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狼は哭かず牙を剥く  作者: 智慧砂猫


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第三十六話 最初のものを最初に

 完全に死の淵だった。誰がみてもそうだ。フランシスは男からドミニクとフェヴローニャを守るために自ら進んで盾となり時間を稼いだ。せめてリリオラが戻ってくるまでは、と耐え続け、ちょうど帰ってくる頃になってばたりと限界を迎えたのだ。運がよかったのか、それとも彼女の存在を察したからなのかは分からない。が、ともかくおかげで二人の命は繋がれた。

 しかし本人が助からなければどうしようもない。リリオラにとっては誰が欠けても同じことだ。なんとか息を吹き返してくれないか、と祈るうち、突然フランシスの目がぱちりと開く。なんの前触れもなく、いまだ鼓動すらしていないのに。

「まあ静かにしてくれ。……幸い死んでいないがとても傷に響く」

「い、生きてるのか。その傷で……?」

 リリオラも動揺するほどだったが、フランシスは相変わらずな様子でむくりと起き上がると、腹から背まで貫通した風穴を見て「まあ、生きてはいるな。家は守れなかったが」と僅かに悔しそうな表情をみせる。

「肉体に特別な術式を施してあるから、痛いことは痛いが死にはしないさ。ただ、これ以上傷つけられてはまずいと思ったから死んだふりはさせてもらったがな。さ、積もる話もあるだろうが場所を移させてくれるか、このままだと本当に死んでしまう。以前私が使っていたねぐらがある。帝都からは少し遠い場所になるけどな」

 フランシスは「いてて……」と漏らしながら傷口を手で押さえて家の裏へと回ろうとする。誰も、何を言っていいのか分からずに付いて行くだけになると彼女はさっさと雪を蹴りよけて、大きな術式が姿をみせた。

「転移術式の改良型だ。私のアジトまで飛べるようになっている。じゃあ、向こうへ行けば医療系の術式の資料があるからあとはよろしく」

 いきなりゴボッ、と血を吐いて顔面蒼白になって気分が悪そうに倒れこんだフランシスは、また意識を失った。ドミニクが「ひっ」と短い悲鳴を上げて驚いたが、フェヴローニャはすぐに彼女の傍へ駆けつけて、その華奢な体を抱き起こした。リリオラも、それに倣ってすばやく術式を発動させる。本当に無事に辿り着けるのかは不安だったが、門を潜り抜けてみれば、見知らぬ山の洞穴の前に出て、微かに人間の生活が営まれていたのだろう、においが名残となっていて、リリオラはホッと一息をついた。

 中の灯りは洞穴の天井に穴を開けて針金で吊り下げられた蝋燭で灯りをとる簡素なランプがある。リリオラが残った蝋燭に火を灯すと、さらに奥にはベッドや本棚、机といったものが運び込まれていて、おそらく元あったよりも洞穴を拡張したのだろうと分かる。すぐさま、ベッドにフランシスを横に寝かせ、彼女はうっすらと目に浮かんだままになっていた涙をさっと拭ってフランシスの言う医療系の術式の資料を本棚を漁って探した。

「……すごいな。ここで資材もなしにどれだけ研究していたんだ?」

 本棚にびっちりと埋められた本は、全てフランシスの手書きによるものだった。医療系の術式のみならず、あらゆる術式の改良型までが記載されている。リリオラからしてみれば、宝物庫の扉を開いたようなもので、それらは全てが黄金のように思えた。

「ねえ、そんなに凄いものなの? さっきフランシスのこと〝母さん〟って呼んでたけど……もしかしてフランシスってめちゃくちゃ凄い人だったりする?」

 リリオラは「ああ、そうだな」と頷く。

「私たちの世界では、魔力を用いて術式を操る人間を『魔術師』と呼ぶが、彼女はその中でもエリートだった。詳しいことは私も幼い頃に別れてしまったからよく知らないが、魔術師としての基礎を学ぶために設立されたスタニスラス学院では〝英知の魔女〟と呼ばれ、術式の創造において右に出るものはいないとされているほどだった」

 ぱらぱらとフランシスの作成した資料を読み漁りながらフェヴローニャの質問に答え、ほどなくしてから「よし、もう十分だ」と本を棚に戻した。フランシスの資料は実に丁寧に作りこまれていて、リリオラはすぐに頭に叩き込んで記憶していた。

「話すべきことは他にもあるが、まずは何よりもフランシスの傷を治すことを優先しよう。あまり放置していると本当に死にかねないからな」

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