第三十一話 悪魔も絵に描いたほど黒くはない
深い悲しみ、と言葉で表現するにはあまりに重過ぎる絶望を味わい立ち上がる気力もなくしてしまったフェヴローニャをそのままにして、リリオラはそこにあった屋敷――今は瓦礫となったそれらの傍まで近寄ると、ひくひくと鼻を動かした。十数秒もしないうちに彼女はそうして瓦礫をよけ始め、土ぼこりに塗れながら何かを一生懸命に探していた。土くれの中から少しばかり傷ついたひとつのロケットを見つけると、嬉しそうにそれを取り上げてフェヴローニャの傍へと彼女は立つ。
「……これを。私にできることはこれくらいだ」
ただ失意を胸に抱えて遠くを見つめていたフェヴローニャが、差し出されたロケットを見ると、その瞳に僅かな輝きが戻る。手に取って、指で瓦礫の粉を拭き取ると、彼女はまた大泣きをする。開けば中には、彼女の両親と、そして彼女と三人で撮ったのだろう写真が収められていた。それは母親が大切にしていた家族写真だ。おそらくは死ぬそのときまで肌身離さず付けていたに違いない。
「大切にしろ。これから先、お前が生きていくのなら決して忘れてはならない、お前が守らなくてはならない大切な記憶だ。ここで果てたいというのなら別だがな……」
リリオラは彼女を置いて、破壊してしまった車をじっと見てからため息をついた。仕方なく地面に術式を書いたあとは、フェヴローニャがどうするかを待とうとした。落ち込んでしまった者を引き摺って連れて帰るほどリリオラも無情ではない。だが、フェヴローニャは意外にも、ひとしきり泣いたあとでロケットを強く握り締めて立ち上がった。
「帰りましょ、リリオラ。……もう大丈夫だから」
袖で涙を拭って、目を真っ赤に腫らしながらも仄かに笑みを浮かべて気丈さを見せ付けると、リリオラは何もいわずに術式を発動させて青白い渦――転移の門を開く。
いつものようにリリオラが先に飛び込み、フェヴローニャが後を追うかたちで飛び込んだ。一瞬だけ白い輝きに包まれてすぐに、見慣れた山の景色が目に映る。今回は低い位置に出られたが、リリオラはこれを「十五点……」と漏らした。なにしろただでさえ寒いのに川の中に放り込まれたのだから、機嫌が悪くなるのも当然だった。
「ちっ。今までで一番ツイてないな、ずぶ濡れだ。また着替えないと」
ざぶざぶと川の中を進み、ずぶ濡れになって震えながら二人は川から出て、木々の隙間から少し離れたところに僅かに見えている家を目指して歩き出す。
「……あんたって切り替えはやいわよね。いや、いいんだけどさ」
嫌味ではない。単純に落ち込んでいる彼女がリリオラを羨ましく思っただけだが、そのような言い方をしてしまった、とあとで気付いたときには遅い。謝ろうかと考えると、リリオラは見向きもせずに道を進みながら。
「私にはさほど関係がないからな。お前も、塞ぎこむのは勝手だが背負いすぎるなよ。重すぎて身動きがとれなくなったら、守るべきものも守れなくなる。だから決して後悔するような生き方だけはするな。最後まで自分らしい生き方をしろ」
フェヴローニャの何歩も先を歩き、リリオラは強い言い方をしてそう言った。ある種の信念めいたものか、はたまた生きる理由のひとつを奪われた少女への激励だったのか。それはフェヴローニャがどう受け取るか次第ではあったが、少なくともいやな気持ちにはならなかったらしい。やんわりと微笑んで、ため息まじりに「そうよね」と短く答えた彼女の瞳には、やや晴れ間がのぞく程度の明るさが取り戻されていた。
「ねえ、リリオラ。あんたって思ったより優しいヤツよね」
「なんだ、いきなり。私が悪魔にでも見えていたか?」
「かもね。でも不器用なりに励ましてくれてる。でしょ?」
「好きなように捉えろ。私にはどうでもいい」
帽子を深く被りこんでリリオラは顔を隠す。
(……ありがとう。アタシも直接言うのはなんだか恥ずかしいから言わないけど、あんたのおかげで少しは立ち直れそう。だってアタシにはまだ家族がいるから)
もう帰る場所などない。親しんだ故郷は失ってしまった。しかしフェヴローニャを受け入れてくれる場所は、まだ目の前にある。リリオラのふとした優しさを身に受け止めながら、帰ってきた自分たちを見つけてドミニクとフランシスが温かく迎えてくれたとき、彼女は今度こそ手放すようなことはしないと密かに心に誓った。




