第三十話 遠ざかるほど思いが募る
視界に映るのは町にいた人々だ。温かいパンを焼いて大きな声で客寄せをしていたかおなじみの女性も、噴水の前で毎日詩を書いていた若い男も、果ては小さな子供たちまでもが目をぎらつかせて屋敷に迫っていた。既に囲まれていて、あちこちから声が響いてくる。二人は完全に籠の中に閉じ込められた鳥も同然だった。
フェヴローニャは、苦しそうに自分の胸倉を強く掴む。
どうしたらいいのか分からなかった。助けたいという気持ちはある。だが、彼らは既に死んでいる。ガワだけが見知った人たちで、中身は違う。なのに彼らと同じように生活し、彼らと同じ考えをして、彼らと同じ記憶を持っている。まるで本人みたいに。
「無理よ、選べない。みんな知り合いなのよ!? たとえ中身がゴムの人形だったとしても、アタシに大切な人たちをもういちど殺すなんて、そんなことできるわけない……」
涙を浮かべて俯き、首を強く振ったフェヴローニャを背に振り返りもせず、リリオラは淡々と語り出す。くず折れて赤子のように涙するだけの彼女を叱り、諭すために。
「だからどうした? 殺さなければ殺される。それが今の世界。今の状況だ。昨日は人の身、明日は我が身の苦しく厳しい現実の中で何かを得ながら何かを失っていく。それが生きるということだ。世界はお前の友達じゃない。泣き喚くお前の背中をさすって慰めてはくれないし、失った輝きはもう戻ったりしないんだ。だから選べ。輝きを失った彼らに必要なものが何か、お前が決めろ。それが生き残った仲間としての役割だ」
フェヴローニャにとっては皆が知っている顔だ。優しい人たちだ。傷ひとつ無い、いつもの皆の姿だ。殺すのに抵抗があるのはリリオラも重々に承知している。だがリリオラの言葉に何かの答えを得たように目を大きく見開いた彼女は涙の雨を降り止ませていた。
「みんなに必要なものが……何か……」
「そうだ。お前が彼らにしてやれることはなんだ? なにをしてやりたい?」
「……助けてあげたい。みんな、きっと不本意だと思うから……」
魂が固着されているなら、彼らの意思とは関係なく人形が動いているとして、それはきっと彼らにとってとても辛く苦しいことだろう。したくないことを無理やりさせられて、慕っていた少女を今にも殺そうとしているのだから。
「ならば聞こう。どう助ける? その方法がお前にあるのか?」
リリオラの問いに、フェヴローニャは首を横に振った。
「私には……ない。私には何も。でも、あんたにはある。そうなんでしょ?」
「ああ、もちろん。本当にいいんだな、それで?」
リリオラは彼女に振り返る。少しだけ憐れむような視線をして、これから起こるであろう出来事を目の当たりにして彼女が耐えられるのかどうか。その決意がどれほどのものかを確かめるために。そして、フェヴローニャは強かった。ぼろぼろと泣いて声を震わせながらも「わかってる。覚悟はできてるから」とはっきりと言葉にして、唇を噛みながら俯いてしまったが、それでも続けた。
「お願い、リリオラ。もう、みんなを……これ以上、苦しまないようにしてあげて……」
普段なら「なにを泣いている」とでも言いそうなリリオラもこのときばかりは真剣なまなざしをして屋敷の門前へと向き直り、マスケット銃を空高く掲げ腕をまっすぐに伸ばして、この惨状を生み出した誰かに僅かな怒りを抱きながらフェヴローニャの決意を受け止めた。
「……よく言った。あとは私に任せておけ」
リリオラの全身から青白い光が熱気のようにゆらゆらと放たれる。彼女の周囲、フェヴローニャも含めた範囲に魔力のドームが作られると、その青白い輝きの中に、フェヴローニャは術式と同じ文字を見た。
「――〝展開式・葬送〟」
静かな声だった。広がった魔力のドームはリリオラの言葉を合図にマスケット銃に吸い込まれて、やがて何もなかったかのように消えると、彼女はもう何か声を掛けるでもなく、憐れむような視線を死者である町の人々に向けて、ゆっくりと引き金を引いた。
銃口から空に放たれた光の束は雲をぶち貫き、きらりとはるか遠い空のむこうで輝くと雨のように降り注いだ。そのひとつひとつが、さきほどのドームの範囲以外の全てに降り注ぎ爆裂し、地面をばらばらに砕き、草木は灼熱に焼かれ、全ての町の住民たちは影も形も残らないほど粉々に消し飛ばされていく。悲鳴はない。ただ無機質に過ぎる時間が全てを薙ぎ払い、ありとあらゆる建物を瓦礫へと変えていく。
たった一分にすら満たない時間でフェヴローニャの故郷は失われた。かつて暮らしていた人々の笑顔は記憶に眠り、風情ある町並みは虚しく消え果てて、動物も植物も最初からそこにいなかったかのようだ。もう、彼女の知っていた穏やかな日々が繰り返される町はどこにもない。
がっくりと崩れ落ち、もはやむせび泣くほどの気力もないほど絶望した。母親のために町を出て、毎日毎日、研究所ではたくさんの人たちの笑顔を生きる糧にしてきたフェヴローニャの心が、ずたずたに引き裂かれた。もう彼女の帰るべき故郷はなく、笑顔で迎えてくれることもない。二度と会うこともなければ別れの言葉を贈る時間もなかった。手厚く遺体を葬ってやることさえできないまま、彼女の大切な人たちは、もうどこを探しても出会うことのない永遠の別れへと旅立っていってしまったから。
「……辛いよな。今は好きなだけ泣けばいい。……落ち着いたら帰ろう」




