第二十三話 自分のスープをさますために息をとっておけ
リリオラは、術式を使って帝都近くへと飛び出した。以前に繋いだ転移の術式をいくつか帝都内に残しておいたおかげでスムーズに帝都まで来たが、あまりに近すぎて誰かの目に映っていやしないかと少し不安な顔をして軍帽を深く被り込んだ。
彼女の軍帽は運よく血で汚れることを免れ、それを気に入って被るリリオラは予めその内側に周囲からの認識を阻害する術式を刻み込み、帝都の門前を警備する兵士たちを悠々と掻い潜る。そして寄り道することもなく、あるひとつの大きな屋敷の前まで来ると彼女はようやく足を止めた。
そこは、かつて彼女が訪れたウィルの屋敷だ。リリオラは堂々と正面から誰に気付かれることもなく進入し、中に入った。あくびでもするみたいにゆっくり開いた扉に従者たちが驚き、心霊現象か何かに違いないと怯えるのも無視して、彼女は鼻をひくつかせながらひとつのにおいを追いかけ、やがて大きな二枚扉にぶち当たる。
(……ここか。ずいぶんと贅沢な暮らしだ。ヤツにはあまりに勿体ない)
二枚扉は分厚くあったが、見た目ほど重くなく、リリオラが力を込めて動かす必要もなく簡単に開いた。部屋の中では、栗色の髪をした女性がドレッサーの鏡に向かってくしで髪を梳いている姿があり、突然開いた扉を鏡越しに見つめて手を止めた。まだリリオラの存在に気付いていない。彼女の視界には映っていないのだ。
リリオラは彼女をひとつ驚かせてやろう、それがいいと深く頷いた。
「ごきげんよう、エレオノーラ。私が誰だか、もちろん言わなくても分かるだろう?」
彼女は帽子を脱いで胸に当て、一方の手を後ろに回して目を軽く瞑り、深くお辞儀をする。そして顔だけを上げ、ぱっちりと目を見開くと、驚いて固まっているエレオノーラを視界の中に収めて牙を剥き、不気味とも言える笑みを作った。
「あ、あ、あなた、どうやってここに……!? 表には私兵がいたでしょう!」
リリオラの眉間にしわが寄る。彼女は露骨に腹を立てた。
「そんなもので安全が買えると本気で思っていたはずがないだろう、エレオノーラ。お前の耳にはマルツェルやバリーが死んだこと、フランシスやフェヴローニャが裏切ったことの報せが届いていたはずだ。違うか、ええ?」
肩に提げていたマスケット銃に手を掛け、彼女に向き直ったエレオノーラから視線をそらさずに弾を込め始める。その最中に、彼女はゆったりと言葉を紡いだ。その言葉には強い怒りが込められている。
「どうだ、自分の順番が迫ってきていると思ったら恐怖しただろう。研究所にいた連中もきっとそうだったろうな。次々と仲間が殺されていく中で近付いてくる足音には心臓が潰されそうになっていたと思うと、こちらまで胸が痛くなる。金に目がくらんで、ロクでなしと手を組んだクズには分からないかもしれないがね」
エレオノーラが不愉快を顔に浮かべる。彼女はリリオラの言葉に納得がいかなかった。
「あなただって見殺しにしたでしょう!? たしかに私はユアンと手を組んであいつに施設の地図を渡したわ。でも……」
「違うだろう、エレオノーラ。それは違う」
リリオラが突然彼女の言葉を遮って、弾を込めたマスケット銃を片手で構え、エレオノーラの額に押し当てた。
「私がなにも気付いていないと思うのならそれで構わない。だが見当違いの指摘はやめておけ。私がもしあの部屋から出ていたなら間違いなく死んでいただろうからな。それよりも私が腹を立てているのはウィルや他の仲間だった者たちを死へと追いやったことへの後悔が微塵も感じられないことだ。タグを渡せば少しは罪悪感も沸くかと思ったがそうではなかったらしい!」
リリオラの叫びが屋敷に響くと、すぐさま何事かと従者たちが駆けてくる靴の音が聞こえる。しかし彼女は決して臆することもなければ動揺もせず、引き金に掛けた指へゆっくりと力を込める。
「悪銭身につかず、と言ってな。所詮は屍を敷いて築き上げた財産だ、そんなものはすぐに消えていく。とくにお前のような価値の分からない人間ではロクな使い方もしないだろうさ。そんなやつに使わせるのは実に不愉快だ」
下種なものでも見るような目。殺すことになんの躊躇いもない。エレオノーラは死を覚悟して反抗するように短く言った。
「ええ、その通りね。お兄様によろしく、リリオラ」
運が悪かったとはまさにこの瞬間だろう。引き金が引かれるかどうか、その間際に放った言葉にリリオラの指にこもっていた力が、ふっと消えて引き金が元の位置へと戻った。と、同時に彼女の表情にある冷徹さから強烈な殺意が滲んだ。
「……お前、私がどういう人間か分かってないらしい。いいよ、死んでくれ。――ただし苦しんで、だ」




