第二十一話 井戸が涸れるまで水のありがたさはわからない
リリオラの言葉など響かない。フランシスはもともと自分がしたいと思うことを何より優先しがちなところがあって、しかもそれがリリオラに関わるとなると一段と強くなる傾向があった。それだけ気に入っている、という事実でもあるがリリオラには少しだけ鬱陶しいと思われている。彼女の唯一厄介な性格の一面、といったところだろうか。
それでも邪険に扱われないのは、そこに無邪気さがあるからだ。幼い子供があらゆるものに興味を示すときに瞳を輝かせて手を伸ばすことがあるが、フランシスはとくにそれに類似していると言えるだろう。
「ふふん、どうだ、気持ちいいか?」
「……ああ、悪くない」
「そうかそうか! いやあ、実はいつか自分の娘にもこうしてやるのが夢だったんだよ! 私のときもこうやって背中を流してもらったもんだ。流行病でさっさと逝ってしまったことだけは悔やまれる話だがなぁ」
嬉しそうにリリオラの体を洗うフランシスの言葉に、リリオラは少しだけ驚いた。
「なんだお前、娘がいるのか?」
「ああ。親によく似たチビがね。だが事故で生き別れになってしまってな」
「探さなかったのか、会いたくなるだろうに」
フランシスの手が止まり、スポンジがくしゃりと潰される。
「もちろん探したさ。見つけもした。……だが別れたのもずいぶん小さいときで私の顔なんて覚えていないだろうし、何より面倒も見てやれなかったんだ。すっかり独り立ちしてたもんで、いまさら親だと名乗り出る気になれなくてな」
本当は、いますぐにでも抱きしめたい気持ちがあっただろう。少女がぬいぐるみに恋をするよりも熱烈に力強く抱きしめたかったはずだ。再会を喜びたかったはずだ。でも、それがフランシスの娘にとって幸せかどうかは別の話である。彼女は自分自身の手で育ててやれなかったことをひどく後悔していて、そのことで嫌われていてもおかしくないと感じていた。だから、傷つくのが怖くて名乗り出られなかった。お互いのためにならないかもしれない、と。
「会いに行ってやればいいのに。思ったより意気地のない女だな、お前」
「むう、中々きつい言葉をくれるな、親友。泣くかと思ったぞ」
「だが事実だろう。自分の娘ひとりに会う根性もなしに私についてきたのか?」
「……それは、違うが……」
リリオラについた泡をシャワーで流して落としながら、フランシスが暗い表情をすると、リリオラはちらと見ただけですぐに視線を外し、彼女の頬を思い切りぎゅっと摘んだ。
「いだだだッ!? 何をする、親友!!」
「阿呆め。つまらん愚痴など聞かせやがって」
リリオラは、そのままフランシスを連れて浴室を出る。服を着替えようというときに、ようやく抓っていた彼女の頬を離して、リリオラは少しだけ寂しそうにしながら言った。
「この先、生き残る保証などどこにもない。そいつの人生がどうであれ続くのならば、せめてお前の後悔は残すな。それに案外会いたがっているかもしれんぞ。親が嫌いな人間など、そういるものではない。愛されていたと知っていればなおさらな。……慰めになるかは分からんが、仮にそれが私であったなら会ってみたいと思うさ」
仮に、などではない。実際にリリオラには両親がおらず、思いだせる顔もない。幼い頃に事故で死んだと聞かされて以来、彼女はひとりで生きてきた。いや、実際には兄がひとり、いるにはいたが決して仲が良いわけではなく、どちらかといえば互いに憎しみあって生きてきたような相手だ。親さえいれば愛に溢れた人生を送れただろうかとは、時計が針を刻み続けるのと同じだけ考えてきた。だから、実直に言えば、これは慰めであって慰めではない本心からの言葉であったことだろう。
そんな気持ちが伝わったかどうか、それは本人のみぞ知るところではあるが、フランシスはそれを聞くとぽかんと口を開けて少し意外そうな顔をしてから、くすくすと口元に手を当てて小さく笑った。
「なんだ、何がおかしい?」
「いや、柄じゃないことを言うものだなと」
嬉しそうにするフランシスに、リリオラもつられてやんわりと微笑んだ。
「……礼はパンケーキでいい、材料は用意させた」




