第十八話 奇跡の時代は終わった
バリーは自信家だった。ただし、ありもしない根拠を持った、というのが正確だ。だから人質さえいればリリオラにも勝てると考えて行動に移したのだろう。堂々と二人を連れてログハウスを前にした彼は、フェヴローニャの後頭部に銃口を押し付けて進ませ、中にいるだろうリリオラに向かって「出てこい、リリオラ! そこにいるんだろ!?」と呼びかけた。
すると、ちょうど出掛けるところだったのか、肩にマスケット銃を提げたリリオラがゆったりとした足取りで部屋に拗ねて引き篭もっているフランシスに「鹿を獲ってくるよ、待っていろ。今日は豪勢に行こう」と慰めながら出てくる。そして、すぐに彼女は扉を閉めて、しかめっ面をした。
「……ああ、臭いと思ったら野良犬か。腐った水みたいな臭いに吐きそうだ」
「ハッ、この状況でよく偉そうな口が叩けたもんだな、リリオラ。仲間がどうなってもいいってのか」
ごん、と銃口で頭を突かれたフェヴローニャが振り返ってキッと睨みつける。しかし何も言わず歯を噛むだけで、リリオラはじっとその様子を眺めながら、口元に手を当ててしばらく考えたあとに、「ふむ、なるほど」と結論に辿り着く。
「ではこうしよう、バリー・エインズワース。今すぐフェヴローニャからその薄汚いオモチャを下げろ。一分だけくれてやるから、その間に決めたまえ。ここでマルツェルよりも醜く死ぬか、それとも尻尾を巻いて逃げるか」
バリーにはまるで理解できなかったに違いない。不利なのはどう考えてもリリオラのはずなのに、彼女は堂々としているだけでなく自分が優位であると信じて疑わない様子をしてただ立っている。
「何のつもりだ。自分の立場ってもんを分かってないのか、あんたは!?」
声を荒げて激昂するバリーに、リリオラはこのとき初めて明確な殺意をバリーに向けた。
「もう一度だけ言ってやろう、バリー・エインズワース。その、薄汚いオモチャを、下げろ」
肩に掛けた革のベルトをぎゅっと握り締めて、リリオラは冷静に言った。が、その瞳には強烈な焼き尽くさんとばかりの怒りが宿っている。初めて強い感情をみせたリリオラにバリーはびくりと一瞬怯えて、しかしながら優位は崩れていないはずだと思い引き金に掛けた指に力を篭めた。が、動かない。僅かにもだ。引き金は反抗しているかのように動こうとしなかった。
「ま、待てよ……なんだこれ、おい。こんなときに故障かよ……!?」
理由は分からない。しかし今こそが好機だとばかりにフェヴローニャが「行くわよ!」とまだ少し辛そうなドミニクを連れてリリオラのほうへと走って逃げていく。
「待ちやがれ、おい! クソッ、クソッ、なんでこんな……!!」
焦るバリーが銃から視線を一度だけ前方に向けたとき、既に眼前にはリリオラが立っていた。音もなく、強風が吹いたような速さをして迫り、驚きで彼はしりもちをついた。手からは狙撃銃を落とし、帽子のつばで陰のさした彼女の冷たい表情に恐怖を抱く。リリオラの殺意が、彼の喉元に突きつけられた刃のように鋭利で恐ろしいものだったのだ。
「小汚い男だ。よくものこのこと私の前に現れてくれたな」
リリオラはバリーの顔の側面を思い切り蹴りつけた。その勢いで彼の体はぐるんと半回転し地面にうつぶせになる。すかさず、ストックを倒れたバリーの腕に叩き込んで、何かが折れるような音が響く。
「ぐううぅッ……!」
「ほお、悲鳴を上げないのか。面白い、なかなかに根性があるな」
そう言いながら今度は傍に膝を突いて、彼の指をがっちりと握り締めて、逆向きに折り曲げた。やはりこれも鈍い音がしたが、それでも彼は歯を食いしばって悲鳴を上げるのを耐えた。悲鳴を上げればリリオラが喜ぶだけだからだ。
だが、それは普段のリリオラであって、今日に限ってはそうではない。今しがたバリーがしてみせた行為――人質を取ったことは、彼女の逆鱗に触れる行いだった。
「なあ、バリー。私がここにいて、毎日ぬくぬくと暖炉の前で読書にでも耽っていると思ったか? そのガラクタで私が殺せると、まさか本気で思っていたわけじゃあないだろう。死に掛けておきながらまだ牙を剥くとは矯正のしようがないな、お前は」
もはや同情の余地もないとばかりに次々と指を圧し折って、彼女はいたずらに笑う。必死に堪える彼を滑稽だとバカにして、面白おかしいものでも見ているみたいにニヤニヤと嫌味のある笑みを浮かべている。
「なあ、どうだい。マルツェルは一思いに頭を潰してやったが、お前はどんな死に方がお望みだね、バリー? この世界において古代では生皮を剥ぐといった処刑方法もあったそうだが、面白い処刑方法は世の中に多く存在している。その中でも私は〝腹裂きの刑〟というものに興味があってね」
バリーの髪を掴んで頭部を持ち上げると、リリオラは彼の顔を覗きこんだ。
「どうだい、ここはひとつ試してみても悪くはあるまい?」
「ま、待て……悪かった。俺が悪かった、だからせめて普通に殺してくれ……! 頼む!」
懇願するのも無理はない。リリオラが痛めつけようというのならば、それは徹底的にだ。腹裂きの刑といえばバリーも聞いたことがある。なんとも痛ましい拷問、あるいは処刑だ。死ぬのが遅れれば遅れるほど苦痛に苛まれることになる。それだけはいやだと彼は内心で叫んだ。当然だろう、人間ならば誰しもが痛みや苦しみを味わいたくないのだから。
けれども、リリオラはまるで情など持ち合わせてはいなかった。
「おいおいバカを言うんじゃないよ、バリー・エインズワース。ここはどこだね。たとえ規模がどれほど小さくとも、いちど武器を掲げたのならば戦場だ。だから、優しい私はお前にひとつだけ大切なことを教えてやろう」
リリオラが手を放すと、バリーはどさりと雪の中に頭を埋もれさせ、横目に彼女を見上げた。そのときの表情といえば、まさしく悪魔といって差し支えないほどに歪な笑みと狂気を孕んだ瞳をしていたので、彼はやはり言葉を失って、がたがたと全身を震えさせる。そんな彼の様子などお構いなしに、リリオラは肩に提げていたマスケット銃を逆手に持って、そのストックを頭部に振り下ろそうと高く持ち上げた。
「いくら神に祈ったところで救いの手は差し伸べられない。お前は誰にも導かれない。絶望に苦しみ喘ぎながら地獄へ落ちろ、バリー。これはなんとも至極残念な話ではあるんだが、よく聞きたまえ」
そして容赦なく、ストックが振り下ろされる。
「奇跡の時代は終わった」




