無努力系主人公のイージーモード譚
俺は奇跡に呪われている。
それを自覚したのは、あの日から。
「坊っちゃま! 坊っちゃま!! 無事でございますか!?」
広大な闘技場。俺の世話係であるメイドが血相を変えて飛び込んでくる。俺は目の前の屍から引き離されるように、肩を抱かれて引かれた。
「何てことだ……!」
「最強の勇者が、子供の遊戯で死んだ……?」
観客席からざわりと声が上がる。
「……違う。違うんだ……」
これは、勇者が、好意で。
「冒険者になりたいっ!」って、俺が無邪気に言ったから。相撲取りが子供と戦ってくれるように。これはただの、パフォーマンスのはずだろ?
生温い血で濡れる己の手。黒甲冑の男の体に突き刺さる、おもちゃのような短剣が目に映る。
……後に「勇者の遊戯事件」と呼ばれるこの出来事は、瞬く間に世の中へ広がった。
*
冒険者ギルド。硬い防具を身につけた老若男女がそこそこに集まって、各々の目的を果たしている。
「ごめんくださいませ。C級冒険者のリーラ・キュアレでございます。依頼の達成を報告しに参りました」
リーラが赤毛の三つ編みが揺らしながら、俺より一歩前に出て、カウンター前に立つ。
「はい、リーラ様ですね。受注クエストを確認します」
丸い水晶から空中に浮かび上がる魔法文字を、若い受付嬢がスマートフォンの画面のように手のひらをかざして、スクロールする。その動きははたと止まり、「へ?」と拍子抜けする声が返ってきた。
「フィレンドラゴンの討伐クエスト……?」
「はい、間違いございません。フィレンドラゴンの討伐がS級の冒険者しか受注できないことも存じております」
相手が目をぱちくりさせているので、リーラは言葉を続ける。
「ランク不相応ですが、ギルドの所長から直々に依頼されたものなのです。ご伝達はなかったのですか?」
受付嬢は苦々しい営業スマイルを顔に浮かべた。
「まあ、この依頼も""些細""なことですから、気にはしておりません。品はこちらに」
リーラがカウンターより低い位置にいる俺に目配せをした。俺は自身の魔法を展開し、頭の上に、ぼんやりと小さな穴を生む。リーラはその中に手を差し込むと、ずるずるとしめ縄のように長いものを引きずり出した。
「どうぞお納めください。フィレンドラゴンの尻尾です」
周りがざわりとして話し声を止めた。ギルド内のあちこちから視線を感じる。俺はフードの裾を持って、深くかぶり直した。
「ああ、それと、賞金もいただきたいのですが」
リーラはまた穴の中に手を入れ、どんと、受付嬢の前に生首を置いた。
「国家指名手配犯の首でございます」
さらにどんと、真紅の長いツノを置く。
「紅蓮魔王の角でございます」
また、どばさと出てきたのは大量の薬草。受付嬢の呆けたような顔が、恐ろしいものを見る表情に変わった。
「最後に、希少薬草クレイラムを百二十束ほど。収穫は以上です」
しんと、していた。
「……くくくく」
その静寂を破ったのは、喉を鳴らすような笑い声だった。若い受付嬢の顔と声が、別人のように変貌する。
「あっははは! ひゃっはははは!!」
そして、突然、受付嬢が魔法を展開した。あっという間にギルドは氷の世界に転じて、何事かと、悲鳴や怒号が飛び交う。受付嬢の頭ににょきっと、青い大きな角が生えた。
「クロム・ハーツ! たった四つ歳で大陸最強の勇者を殺めた大罪人。やがては生まれた国すら滅ぼした反逆者」
凄みのある言葉で、ビリビリと空気が震える。名前を呼ばれた俺は幼少年の顔に似合わないだろう、大きなため息をついた。
「お前、もしかして氷晶魔王か?」
確認のために問うてみる。
「その通り!」
「魔王が何で受付嬢の格好してこんなところにいるわけ?」
「""勇者殺し""を探すためだ!! 存在だけで災厄を引き起こすお前をーー」
「魔法展開<猛火・フレイムベル>」
実際のところ、他の話は聞くだけ無駄だ。俺はさっと短い詠唱をして、魔王に邪道な不意打ちを食らわせた。
「ああァぁああーーーっ!!」
炎に包まれた魔王が悶える。
「リーラ。魔王抑えとくから、もらうべき金だけとってきて」
「はい、坊っちゃま」
【超常現象】に翻弄されている周りの空気は無視。リーラはぽかんとしているギルドの職員に淡々と交渉を持ちかける。
「何だ、この威力は!? うぐ、貴様!! これで私を倒せたと思うなっ!!」
いや、これ初級魔法だぞ? ついでに俺はまだ(異世界年齢)五歳だぞ? それに苦しむ魔王って……。
もはや茶番だ。リーラが金を受け取ったのを見計らって、俺たちは火達磨の魔王に背を向け、さっさとギルドを後にした。
*
「まさか街中に魔王が来るとは。坊っちゃまはモテすぎでございます。思わず嫉妬してしまいますわ」
「こんな生臭五歳児に嫉妬してる場合か? リーラは早く誰か見つけた方がいいって。もう二十二歳なんだし、婚期逃すぞ?」
「な、何ですかその言い草は!? 坊っちゃまはリーラがお気に召しませんか? 反抗期には早ようございます!」
「反抗期なわけないだろ。親切心で言ってるんだよ」
草木が風にそよいでいる。街は今頃大騒ぎだろう。俺たちは「知らんふり」。郊外に逃げ出してきた次第だ。
「てか、指名手配犯の首と薬草はいつ手に入れてたわけ? いつアイテムボックスに入れた?」
「指名手配犯は、野宿で坊っちゃまが寝ている間に現れたのです。すでに酷い傷を負っておりましたが、念のため頭を切り取っておきました」
「胴体は?」
「死体があると坊っちゃまのお目覚めが悪くなるかと思い、少し離れた所に捨て置いたのです。同時に朝食の献立を考えていたせいか、そのまま忘れておりました」
やばいなこのメイド。サイコパスだ。
「薬草は坊っちゃまが長いお花摘みに向かわれている間に見つけたので、ちまちまと」
物を摘む仕草を繰り返すリーラの様子を見て、愕然とする。
「あのさあ! そういうの逐一報告して! お願いだから! 俺が混乱するから!」
「申し訳ございません。紅蓮魔王との戦いに比べれば、""些細""な出来事に感じたため……」
リーラも【超常現象】に巻き込まれすぎて、だいぶ""些細""の感覚が鈍ってきてるな。
いきなり瀕死の賞金首が現れた? たまたま希少薬草の群生を見つけた? 偶然にしてはできすぎている。
……だが、俺にとっては不思議じゃない。
身の程を超えたクエストの受注も、フィレンドラゴンの討伐も、指名手配犯の首をとったのも、紅蓮魔王を倒したのも、希少薬草の群生地を見つけたのも、受付嬢がまた別の魔王で正体を現してきたのも、初級魔法で圧倒したのも。
勇者殺しも、身寄りのない今の状況も。
世の中の理屈や人の行動原理は関係ない。
俺のスキル、【超常現象】がある限り。起こることの全ては偶然であり、必然だ。
はあ。ニートに戻りたい。世の中の何もかもが信用できないこの気持ち、懐かしいよ。
金なら腐る程あるんだが。残念ながら、【超常現象】は俺の有利に働きやすいだけで、望みを叶えてくれるわけじゃない。つまり、「唐突展開」を引き起こす。生きるのに不便はないが、その分だけ頭の痛い面倒事に引きずり込んでくれる。
「……っ!」
ほら、今も。魔力の動く気配がした。すかさず、リーラの手を握る。
「ええ、坊っちゃま。リーラだけは、何処にいてもそばにおります」
察したリーラが、ふふふと優しい笑いをこぼした。
突然、周りの景色がぶんと歪んで、石壁の狭い部屋に変わる。明るいところから急に暗いとこに飛ばされたから、目が慣れない。
え? 何で空間転移が起きたかって?
……説明するだけ無粋だ。
少なくとも、俺が他人との接触を絶って引き籠もれない理由は、これにある。
「どうやら石牢のようですね」
リーラとともに、ぐるりとあたりを見渡してみる。
「おや? 坊っちゃま、あれは……?」
リーラが何かを指差す。示す方向には、ぼろぼろの服を来た少女が倒れていた。短く切り揃えられた髪。薄汚れた体。肌に烙印が刻まれている。たぶん、奴隷だ。
少女がうっすらと目を開けた。俺を見上げると、はっと、意識をはっきりさせて、
「ご主人様!」
と、叫んだ。
「はい?」
少女は俺の小さい体に、がしっとしがみついて来た。
「ご主人様! 私を見捨てないでください!」
「え、何、誰……?」
「私をお忘れですか!? クロム様!」
「あのさ、だからさ。どいつもこいつも、何で俺の名前を知ってるわけ?」
俺がこの世界で多少有名とは言え、身に覚えのない知り合いが多すぎる。もはや、自分が断片的な記憶喪失を起こしているとしか思えない。
「何をおっしゃるのですか、坊っちゃま。彼女は貴方の専属奴隷。本日、ギルドに向かう途中で買ったではありませんか」
……いや、実際は起こしているのかもしれない。
俺はげげんそうな顔をしていたのだろう。リーラははっと目を見開いて、指先で艶っぽい唇を押さえた。
「申し訳ございません。わたくしはまた、おかしなことを言いましたか?」
「いや。別にリーラは何も悪くないし、謝らなくていい。本当におかしいのは俺の方だ」
「ご主人様!」
少女が詰め寄ってくる。
「私、このままだと殺されるんです! 今頼れるのはご主人様だけです! この奴隷めに、どうかお慈悲を!」
「…………」
「お願い!助けて!!」
……なあ、聞こえるか? このキチガイじみた異世界に、俺を転生させた女神様。
頼むからさ。せめて、""道理""をくれ。
強引すぎる展開は、問題だと思うんだ。