不老の貴公子、悦びと災禍をたずさえ故郷を奪還する
隣国から攻め込まれ、我が王国の軍は総崩れとなった。
王都の陥落も時間の問題となり、絶望した国王・王妃両陛下が毒杯をあおって身罷ったのを皮切りに、多くの王族や貴族もまた自害の道を選びつつある。
王宮や貴族の屋敷では火の手が上がり、狂奔する民衆によって略奪が始まっていた。中にはそれを抑えるべき兵も混ざっている。
暴徒達は下卑た嗤いに顔を歪め、金貨や宝石を奪い合い、酒や珍味を手づかみで飲み食い散らかし、斃れている貴婦人達の遺骸を弄んで肉欲を満たす等、正にやりたい放題だ。
醜悪な宴が繰り広げられる様子を、私は子飼いの私兵に護られた装甲馬車の中から、憐れみの眼で眺めていた。
隣国は、一切の虜囚を取らない。暴徒達もまた、攻め込んできた敵兵達に容赦なく皆殺しにされるのは間違いない。
彼等もそれを知っていて、残り僅かな生をせいぜい愉しんでいるのだろう。
残念ながら、私は彼等を救う手段を持ち合わせていない。
「出せ」
私は御者に命じて馬車を出させ、滅び行く王都を後にした。
*
我が王国に隣国が攻め入るのは必然だった。
隣国は万病を癒す異文明の秘術〝治療魔術〟を導入し、また堕胎・間引きを厳禁する法を施行した。丁度、私が生まれた頃と重なる。
〝命を大切にせよ〟という隣国の新たな国是には、我が王国を含む周辺諸国も感嘆の声を挙げた。だが彼等は昨年、突如としてその牙をむき出した。
死ぬ者が減れば、人ばかりが増えていく。あふれる民を食わせる為、隣国は周辺地域を併合する決断をしたのである。
隣国が欲しいのは、増え過ぎた民を養う土地と資源のみ。先住者については、ただ邪魔でしか無い。荒野の開拓で害獣を駆逐する様に、一切の慈悲をかけずに殺すのが彼等のやり方だった。
隣国の言う〝大切な命〟とは、自らの民のみの事だ。化けの皮を脱ぎ捨て、出て来たのは餓えた肉食獣の如き本性である。
無論、周辺国も頑強に抵抗したが、いずれも兵の数で押されて粉砕されてしまった。
そして、ついに我が王国が滅ぼされる番が巡って来たという訳だ。
根拠無き自信に溢れ国を守り抜くと豪語する騎士団や、それを盲進して現実を見ようとしない王侯貴族を尻目に、私は来たるべき破滅に備え、国外逃亡の支度を進めていた。
死んで花実が咲く物か。
*
私の乗る馬車は一路、海を目指す。港は混乱しているのが目に見えていたのであえて避け、漁村も無く目立たぬ海岸に支度を調えてある。
馬車が目的地へと着くと、沖合に一隻の船が投錨しているのが見えた。流刑囚を運ぶ護送船で、船長以下の乗組員には私の息がかかっている。
船へと乗り込む為、私は私兵と共に、粗末な小屋に隠してあった小舟を砂浜へと引き出した。
*
滅び行く王国を捨てて私達が向かうのは、十年前に王国が発見した新大陸だ。
その広大な大地に送り込まれた探索隊が出会った物は、文明を持たない未開の種族、王国では辺境のみにいる怪物、そして最初の上陸地点に選んだ湾に臨んだ場所にあった、未知の古代文明による地下遺跡である。
王国はこの新大陸を領土として宣言したが、問題があった。
多大な労力を費やし、本国と遠く離れたここを開拓するには、あまりに何もなかったのだ。
痩せた土地が広がるばかりで、非友好的な未開種族や、凶暴な怪物も跋扈している。
何かないかと一縷の望みを託して探索した地下遺跡も、遺失技術の類や、高価な貴金属や宝石といった価値ある発見はなく、ただの廃墟に過ぎなかった。
こんな夢も希望もない処に入植したがる物好き等、いる筈も無い。
それでも我等が国王陛下は、広さだけはある新領土を諦めきれず、実効支配を主張する為だけに、新領土の領主として、辺境伯の爵位と共に、妾腹として生まれた私を任命した。
まだ齢六歳の私に何が出来る筈も無く、代官として現地に赴いたのは母…… つまり国王陛下の側室だった。
出自が平民ながらも頭が切れる人という事で、王妃陛下から疎まれて追放されたのだという風評があったというのは、私は随分と後になって知った。
旅立ちの際「国王陛下に頼られて、難しい領地を治めに行くのだ」と母は言っており、私はそう信じていたのだが、それもまた偽りではなかったとは思う。
警護の兵、そして侍女といった僅かな供を引き連れ、王家の座乗には相応しからぬ老朽船で母が新大陸に赴いて後、私は飾り物の辺境伯として、宮中で孤独に過ごす事になった。
王家の血をひく物として、母の残した近侍から教育だけはきちんと受けさせられたが、衆目の集まる場所へ出る事は許されない。庶子の身をわきまえろという訳だ。
そして、私には他にも変化があった。
庶子とはいえ、下位ながらも王位継承権を持つ者として誕生日には簡素な祝いがあり、国王陛下から祝いの品を賜るのが慣習なのだが、その内容が変わったのだ。
祝いの席で、国王陛下から私に、多くの名簿が示される。載っているのはいずれも、一年の間に死罪を申し渡された罪人である。
罪人と言っても、何人も無辜の者を殺した極悪人から、納める税が銅貨一枚足りなかった貧民まで様々で、少ない年でも千人を下回る事は無い。老若男女を問わず、老い先短い老人から、私と歳が大して変わらぬ者もいた。
王国は、罪状が何であれ、法に従わぬ者には厳罰で臨んでいたのだ。
「伯よ、誰を赦すか?」
罪人への恩赦こそが、国王陛下から私から賜る、有り難き誕生祝い。
側近の助言を参考に、私が生かすべき者を示すと、対象は罪一等減じられて流刑となる。
人数の制限はなく、よほどの悪漢以外、私は助命する事にしていた。
勿論、流刑先は新大陸だ。
流刑囚は皆、さぞ厳しい生活を送っているのだろう。助命されたとはいえ、私を恨んでいるのかも知れない。
新大陸と本国とは、流刑囚を送り込む以外の交易は絶無だ。めぼしい産物が無いのである。
救いと言えば、代官として赴任し、生き別れとなったままの母の存在。だが、聡明な母も、拠点の維持が精一杯なのだろう。
*
寄港地もなく、天測と羅針盤を頼りに、水平線が広がる海をただ進む日々。
積載した糧食がつきかけた頃、ようやく新大陸が見えて来た。
望遠鏡を使うと、何とか陸地の様子が窺える。
護送船以外の往来がないので港は整備されていないのは聞いていたが、丘陵地には建物が並び、街らしき物が出来ているのが解った。
少なくとも、民の暮らしは成立している様だ。流石は母上である。
船を沖に停泊させ、私は船長以下十名の水夫や私兵と共に、上陸用の端艇へと乗り込み、陸地を目指す。
浜へたどり着くと、王国の皮鎧を来た兵達が私達を出迎えた。
いずれも新兵らしき若輩だ。痩せこけてこそいないが、細身で青白く頼りなげな印象である。やはり不毛の地では、満足な食事を得られていないのだろうか。
「幾人か見慣れぬ若い者がいるが、新入りか?」
「役目御苦労。余はこの地の辺境伯である。代官に、至急取り次ぎたまえ」
「こ、これは御無礼を!」
訝しむ兵達に手をかざし、王家の証たる紋章を刻まれた指輪を示すと、彼等は慌てて平伏する。その内の一人が、丘にある街へと急いで走って行った。
しばらく経った後、丘の向こうから、五頭の騎馬が駈けてきた。
先頭にいるのは、懐かしき母の姿だ。後の四騎に乗っているのも、母と共にこの地へと赴いた侍女達で、見覚えのある者ばかりである。
間近で見ると、母もやはり兵同様、青白く身が細い。侍女達も同様だ。
十年ぶりの姿だと言うのに、不思議と皆、若いままである。いや、むしろ若返っている。どう見ても私と同年代としか思えなかった。
騎馬を降りるなり、母は私を強く抱きしめた。
「あの小さな坊やが、この様に立派になって!」
「母上、お懐かしゅうございます!」
母との再会に、感極まった侍女達からも嗚咽の声が漏れる。
「貴方がここに来たという事は、本国が陥ちたのですね?」
私が事情を説明する前に、母はそれを悟っていた。
「はい。全く無念な事ですが、陛下は隣国を侮っておられました…… 王家の皆は、私を除いてことごとく身罷り、諸侯もそれに殉じました。おめおめと逃げ延びた私は、卑怯者でしょうか……」
「いえ。王家の血をつながねば、復興もありません。一時の恥辱を耐え忍んでこそ、真の統治者という物」
私は己の責を問い、母は微笑んでそれを否定する。見え透いた芝居だが、これも周囲に示す為の形式である。
「ところで、母上や皆を見て、気になった事があるのです」
「何ですの?」
「皆、青白く痩せているのは、滋養が取れていないのでしょうか?」
私はまず、気になっていた事を尋ねてみたが、その答えは意外だった。
「いいえ。皆、満足に食べていますわよ。これは、遺跡の力による物」
「遺跡というと、あの、何も無かったという?」
「ええ。流刑囚の中にいた学者が調べ直して、遺跡の効用…… 不老の力を見つけましたの」
「不老…… ですか?」
不老。古今東西、多くの権力者や学者が追い求めた物だが、それが叶ったという話は過分にして知らない。
だが、母や周囲の者を見る限り、信憑性はある様にも思われた。発見当初の調査では、そんな貴重な物を見過ごしていたというのか。
「ええ。今からその力を、貴方にも分けて差し上げましょう」
言うが早いか、母は私に顔を寄せ、そのまま首筋へ食らいついた。
「な、何を!」
母は私の首から流れ出る血をすすっている。肌に当たる唇と舌の感触は、私の意識を恍惚へといざなった。
夢心地のまま、私の意識は遠くなった……