ハードラック・ブラックアウト
シンプルなデザインを滑らかな革が包む、一目で高級さが伺えるソファーが3つ。1つのテーブルをコの字に囲んでいる。周りにはシックな雰囲気を重くさせるオブジェや本棚が並び、暗い室内を微かな日光が裂いていた。
部屋主の趣味とこだわりが察せられるその部屋を贅沢に使い、一人の少女が佇んでいる。
歳は十代後半程だろうか。派手ではないシンプルなドレスのキャンパスに、下ろした金髪が光を描いている。薄暗い中でも、だからこそ主張がはっきりと見て取れた。それこそ絵にすればさぞ映えるであろうが、髪の奥にある表情は不機嫌極まりない。
忌々しげに周りの物を見やり、居心地悪そうに身を捩る。大きな部屋だというのに、ここに居場所はないと言うように、体を縮こめていた。
繰り返し首を振り、それからため息を吐くこと数度、唐突にドアが鳴る。ゆったりと2回、コンコンという音に、少女の肩が跳ねた。
「入りますよ」
宣言と共に入ってきたのは、黒のスーツを着込んだ茶髪の男性だった。手には、一人分にしては少しばかり多い量の食事がある。男は少女の隣まで来てから、目の前に料理を並べ、対面に座った。
少女がキッと顔を上げ、男の方を睨む。興味の薄い双眸がそれを反射した。
「食べてください」
眉一つ動かさず、抑揚のない声で男は要求する。少女は背筋を伸ばしたまま男を睨み続けた。何度この部屋で発せられたかわからないため息が、また新たに生まれる。
「結局、最後にはいつの間にか食べているでしょう。余計な手間を掛けさせないでください」
「じゃあ大人しく出て行けば良いじゃない。お望み通りいつの間にか食べてやるわよ」
予期していたとおりの答えに、男は肩をすくめた。
「そうだとしても、私にも役目があります。貴方には健康に生きて貰わなくては」
「あら、ありがとう。誘拐犯に健康を気遣われるとは思わなかったわ」
「さっきも言ったとおり、仕事ですからね」
「ではその仕事をしてきたら? いつ誰が私を助けに来るかわからないのよ?」
「貴方がそう言ってから、既に1週間が経っています」
先程から変わらない、全く揺れない冷徹な口調が、嫌と言うほどに認識している事実を叩きつける。この部屋から出ることの許されない少女にとって、1週間という期間はどんな拷問よりも苦痛であった。
私の知らないところで、私を使った邪なやり取りが成されている。
そう考えると、少女は走る虫酸を抑えられそうにない。
「あんた達が何を企んでいるか知らないけど、私の事を甘く見ない方が良いわよ」
「世間知らずのお嬢様にはわからないことでしょうが、貴方も私達の力も見くびらない方が良い」
「あんた達の事なんて知りたくもないわ」
吐き捨てるように答え、憂さを晴らすように捲し立てる。
「大体、あんた達の力って言ったって、ここに居る人間なんてそう多くないじゃない。この程度の大きさの建物なら傭兵でも雇って攻め込めば、それでおしまいだわ」
ハッタリだ。それがわかるほどの自由がこの少女にはない。
全てを察しながら男は淡々と答える。
「そうでしょうね」
「ふん、認めたわね? 随分と呑気なご様子だけど、何か秘策でもあるのかしら?」
「さっきも言ったでしょう。私達の力を甘く見ない方が良いと」
勝ち気になったところを引っぱたくように、男が少し語気を鋭くする。全く覇気を感じないはずのその口調に、少女は押し黙ってしまった。
「確かに、貴方を本格的に取り返そうと動かれれば、恐らく私共は負けるでしょう。死んでしまうかもしれません」
「やっぱりそうじゃない、なら」
「では、取り返したとして、そのあとをどうするのですか」
「……それは」
遮った言葉の意味を数秒考える。男が軽く鼻を鳴らして、それが癇に障った。
「貴方が奪われたとあっては、私の上の方々はすぐに動くでしょう。今度はもっと、徹底的に。それから逃げ切り、貴方を隠しきれるような勢力はそう多くありません。いえ、存在しないと言ってもいいでしょう」
「随分と大きく出るわね。断言して良いのかしら?」
「例え末端であろうとも、私達に喧嘩を売るというのはそういうことです」
曖昧な答えに、少女は口を噤む。ハッタリを言う度胸はあっても、自分の知らない領域まで踏み込むほどの無謀さは持ち合わせていなかった。
「そもそも、そんなに貴方を大切に思っているなら、簡単に誘拐されるような事はなかった筈です」
「! あんたねぇ」
「そう怒らないでください。思うことを言ったまでです。そんなに叫んだらお腹が空きませんか? さぁ、冷めないうちに食べてください」
いけ好かない言い草に声を荒げようとしたところを、すぐさま遮られる。初めて見せるへらっとした不愉快な笑顔に、煮え切らない何かがゴポッと弾けて、息を吐いた。軽く鼻で笑ってから男は立ち上がる。
「食べ終わったら、そこに置いててくださいね。また取りに来ます」
「二度と来なくて良いわよ。今に地獄に落ちるわ」
「先程も言ったでしょう。私達に喧嘩を売るようなのは、余程の馬鹿か自殺願望者だけですよ。そんな人間、居るわけないでしょう」
心底小馬鹿にした物言いに少女は歯を食い縛る。悔しげな表情を見やってから、男はドアを引いた。
そうして生まれた隙間からヌルリと手が伸びて、今まさに前に進もうとしていた男の額へ、銃口を突きつける。
直後、一つの音と光が部屋を覆って、無数の赤が弾けた。
力の抜けた体は、倒れる前にドアごと蹴破られて吹き飛ぶ。弾け散った木片と死体は、奥の強化ガラスを割って下に落ちていった。
新しく射し込む光が、侵入者の存在を静かに照らす。
「ご紹介に預かり光栄だ。けれど惜しいね、美しいって言葉が足りなかった」
陽気な悪意に満ちた声と共に入ってきたのは、体の隅から隅まで血みどろの女性だった。高い位置で括られた一房と、顔の輪郭を右側だけ覆う髪の束が、頭の動きを追って揺れる。細めた眼の瞳孔は開き、口元は薄い三日月に歪んでいる。肌は部屋に溶け込むような褐色で、女性にしては背が高い。
手には、大きめのセミオートハンドガンが一丁握られている。
余裕のある首の動きが、ゆるりと少女を捉えた。
「こんにちは。そこのお嬢さん。お名前は?」
「え、ええっと、私は、アメリアよ」
「怪我は無さそうだね。良かった。ウェイン、目標を発見した。さっき人がすっ飛んでいった部屋」
突然の出来事について行けず、素直にアメリアは自分の名前を答えた。迂闊に名前を答えて良かったのか、もしかすると助けに来てくれたかもしれない、と思考が雑然として上手く纏まらない。取り敢えず逃げるチャンスだと立ち上がろうとして、そこで初めて恐怖で足が竦んでいるのだと自覚した。
怯えた様子に、女性は危ない笑みを向けてから、入り口の方に向き直る。ややあって、外から何かが擦れる甲高い音が聞こえ始めた。
「レディ、目標は?」
そうして、焦りを滲んだ声と共に、割れた窓から一人の男性が飛び込んでくる。何処かに繋いでいるのだろう、腰のベルトからは太いワイヤーが伸びていた。黒を基調としたシンプルな服の上から、動きを阻害しない最低限のプロテクターが各所を守っている。
「遅いよ、ウェイン。そこにいる」
「よし、そこの入口は任せるぞ」
既にやっている、早くいけとレディが手を振り、それにウェインと呼ばれた男性も頷いた。スタスタと機敏な動作でアメリアに歩み寄る。
「貴方のご家族の依頼で助けに来た。いきなりですまないが、ここを出よう」
そう言って差し出された左手は、動く度に硬質な音を立てる機械義手だった。鈍い光を放ち、所々に傷が見える。長い間使われているようだが、その動きに不自然さは一切ない。
未だ見慣れないそれに、アメリアは思わず一歩たじろいだ。
「不満かもしれないが、生憎と白馬は用意できていないんだ」
「え?」
ウェインの口調が、義務的なものから芝居がかったものに変わる。特徴的な低い声が嫌味なほどに似合っていた。うって変わって場違いな言葉に、アメリアが困惑混じりに見上げる。
「それとも、かぼちゃの馬車をご所望かな?」
「えと、その、わっ」
ウェインは相手の言葉を待たずに、伸ばした手から肩を手繰り寄せ、残った右手を膝の裏に回した。反応できないまま抱きかかえられる形になって、アメリアは目を白黒させる。
「行ってらっしゃい、王子様」
「カエルの、だけどな。俺ではご不満らしい」
「キスがいるかい?」
「また今度でいい」
非常事態とは思えない、間の抜けたやり取りを経由して、ウェインは入ってきた窓から身を乗り出す。腰のワイヤーを確認してから、アメリアを抱きかかえたまま外に出た。
瞬間、強い風が吹き、アメリアの長いブロンドの髪が乱れる。自然と硬く冷たい腕を掴んでいた。
「しっかり掴まっておけ。下は見るなよ」
落ち着いた言葉に、腕の中で小さくなっているアメリアはこくんと頷く。あまり余裕はなさそうだった。
先程までとは違う反応に、ウェインはフッと薄い笑みを浮かべる。そうして、両手が塞がったまま器用に壁を降り始めた。
「貴方達は」
腕の中から聞こえる引き絞るような言葉を、ウェインは静かに待つ。
「誰なの?」
「あんたの味方だ。期限付きのな」
相変わらずの答えに、アメリアは声ともため息ともつかない震えを吐き出す。独特の間があってから、少し調子を取り戻した声で、ヤケクソ気味に言った。
「そう、よろしく」
それを、キザったらしい顔が受け止める。
「ようこそ。ブラックアウトへ」