封印の魔王 ~妹を取り戻す、だって俺はお兄ちゃんだから~
「人間の肉って美味しいんだね! お兄ちゃん!」
夕方の薄暗い学校の廊下。カーテンの隙間から夕日が射し込み、照らされた千尋の両目が真っ赤に光った。
ちぎり取った人間の腕の手首をつかみ、への字に曲がった腕の切断面を顔の上まで持って行くと、ボタボタと垂れる血液を大きく開けた口で受け止める。
血まみれの口元を三日月のように歪めたその笑顔は……まるで……。
* * * * *
「澄人起きなさ~い!」
下の階から俺を呼ぶ声が聞こえる。
昨夜は遅くまで友達とゲームをしてたからまだ眠い。
もう少し寝てたいけど、たぶん母さんが許してくれないだろうな……。
布団にもぐりながらそんなことを考えていると、「澄人! ごはんできてるわよ! 下りてきなさい!」と、さっきよりも強い口調で母さんの声が聞こえた。
もう少し粘ると確実に布団を剥がしに来るので、もう起きなければならない。
そう思った俺は、眠い眼をこすって、うつぶせの状態からゆっくりと膝を立て、布団をかぶったまま、ベッドの上で正座をするような形にまで体を起こした。
そしてゆっくりと倒れこむように枕に顔を埋めて、俺は再び眠りに落ちた。
* * * * *
クルシイ……。
血ガ……タリナイ……。
アノ細イ首……手折リ……ススル。
手ヲ伸バセバ……届ク……ホラ。
* * * * *
「千尋の……首……、手折る……?」
夢と現実の間で口がもぞもぞと動いた瞬間だった。
バサっという音と共に視界が光で満たされ、体を包み込んでいた心地よい温度が冬の冷たい空気に変わった。
「澄人! 起きなさい! タオルだか手ぬぐいだか知らないけど、寝ぼけてないで顔洗ってきな!!」
「ふぇーい」
むりやり布団から引き離された俺は、しぶしぶベッドから降り、凝り固まった体を労わりながら、のたのたと階段を下った。
リビングに入ると、妹の千尋が先に食卓につき、朝ご飯を食べているのが目に入った。
すでに学校の制服に着替えて、髪型もパリッと整えており、
子供っぽいキャラクターもののヘアピンが少しミスマッチな気もするけど、さすがは優等生と言った感じだ。
サラリとしたボブカットが、朝日をうけてツヤツヤ輝いている。
今の俺にはいろんな意味でまぶしい。
初対面の奴に俺と千尋が双子だと言っても、だれも信じないだろうな……。
卑屈になった俺のため息でこちらの姿に気づいた千尋が、さわやかな笑顔を向けてきた。
「あっ、おそよう! お兄ちゃん!」
「おふぁよう」
「早く食べないと遅刻しちゃうよ!」
「んあ」
二、三言葉を交わすと、千尋はまた食事に戻り、茶碗に山盛りになったイカの塩辛ご飯をもくもくと食べ始めた。
花の女子高生の食うもんじゃねーよな……。
そのままテーブルの横を通り過ぎ、千尋の後ろを通りかかったときだった。
ドクン
大きく心臓が高鳴るのを感じた。
意識が体から引っ張り出されるような感覚が走り、心臓の鼓動に合わせて意識がぐらりと揺れる。
なん……か……やばいっ……千尋っ……助けっ!
そう思い千尋の方を向き、後ろ姿を目に捉えたその瞬間、俺の頭の中で何かが変わった。
ドクン!
意識が膨張するような感覚と共に、猛烈な勢いで頭を支配する飢餓感。
我慢するという発想すら消え、そうすることが当たり前と感じるほどの渇望。
千尋を食べたい。
首を引きちぎり噴き出す血で喉を潤したい。
頭蓋を穿ち、中の脳髄を両手いっぱいにすくい取り、口いっぱいにその味を感じて腹を満たしたい。
千尋を食べてこの渇きを癒やそう。
それはとても自然なことのように思えた。
そうするべきだと体が動く。
アノ細イ首……手折リ……ススル。
自然と伸びた手が、千尋の髪に触れる間際。
「お兄ちゃん?」
こちらを振り向いた千尋が声を出し、その声を聴いて、氷を当てられたように俺は我に返った。
今の……なんだ?
今……俺……千尋に何をしようと……?
「どうしたの? お兄ちゃん?」
前に突き出した俺の手を見て、不思議そうに首をかしげる千尋。
俺は不自然に挙げた手をごまかそうと、咄嗟に千尋の肩に両手を乗せて揉み始めた。
「い……いや、なんか肩凝ってそうだと思ってさ。マッサージしてやるよ」
千尋の肩は本当に少し凝り気味で、苦し紛れの咄嗟の行動は功を奏し、少し不自然さはあったけど、なんとかごまかせたようだ。
「あ~キクわぁ~。不出来な兄を持つといろいろ大変でね~」
「うるせい」
千尋の脳天に軽くチョップを見舞った。
「ホラっ、お兄ちゃん! あたしのことはいいから、早く顔洗ってらっしゃいな。ごはん冷めちゃうよ」
うざいからあっち行けとばかりに、千尋が洗面所を指さす。
「お、おう」
うまく平静を装えたか?
足が震えて力が入らないのは寝起きだからじゃない。手の震えが止まらない。
洗面所に到着するなり、俺は洗面台に両手をついた。足が震えて体重を支えられなかったからだ。
俺、今……千尋のこと食おうとした……?
テーブルのパンをとるくらいの感覚で……。
あと少しで、千尋を殺して……。
改めて頭の中で言葉にすると、あまりの恐ろしさに歯の根が合わない。
カチカチと震える顎を止めようと、歯を食いしばり冷水をかぶった。
俺は千尋を食いたいか?
いや、食いたくない。
大丈夫、俺は千尋を殺したくなんかない。
心を落ち着かせる為に深呼吸をすると、心拍数は徐々に下がっていき、徐々に考える余裕が出てきた。
俺はおかしくなったのか?
寝ぼけたなんて生やさしいものじゃなかった。
あの瞬間の感情は今もくっきり残ってる。
俺は確かに千尋を殺して食べようと思った。
ものすごく腹が減って、ちょうどいいところにある食い物を食べようと思った。
俺はごく当たり前のように千尋のことを食べ物だと思ったんだ。
次にあの飢餓感が襲ってきたとき、俺は多分・・・・・・。
そんないやな予感が頭をよぎった時、尻にバチンと衝撃が走った。
「ほら澄人! いつまで顔洗ってんの! 顔洗ったらさっさとご飯食べる!」
母さんの一撃をくらって、モヤモヤと頭にまとわりついたものが尻の痛みで飛んでいき、とりあえず俺は顔を洗って食卓につくことにした。
テーブルには二杯目の塩辛ご飯を食べている千尋が座ってて、いつもの見慣れた光景が広がっていた。
俺の心だけが日常の外に引っ張り出されてしまったようで、なんだか居心地が悪くて落ち着かない。
そんな様子を感じとったのか、千尋が訝しげに声をかけてきた。
「お兄ちゃんどうかしたの? さっきからなんか変だけど、まだ寝ぼけてる? もっかい顔洗ってくれば?」
「いや、お兄ちゃんもうスッキリングだよ。それよっか千尋、お前朝から山盛りご飯二杯も食って……太るぞ」
「うっさいなぁ。お兄ちゃんと違ってあたしは部活で運動するからだいぜうぶだし! まぁ、最近やたらお腹減るのは確かなんだけどさ。実はさ、これ三杯目」
テヘペロっなんて感じでかわいこぶっていたが、朝から山盛りご飯三杯は、さすがに女子高生名乗るの自粛するべきだろ千尋山関。
まぁガチでケンカしたら普通に負けるから絶対に言わないが……。
ゲーム三昧の兄では剣道有段者の妹には勝てないのだ。
「そ、そースか……成長期っスかね……」
「絶対学校で言わないでよね! お昼ご飯とか、友達の前では我慢してるんだから!」
千尋と他愛ない会話を交わす内に、俺はだんだんと平静を取り戻し、心の中のざわつきは、いつもと変わらない日常によってわずかな染みを残すだけとなり、いつしか感じ
取れなくなった。
でも俺は
心の中にあるその黒い染みを
絶対に忘れるべきじゃなかったんだ。
* * * * *
「じゃああたし出るね!」
「んぁ? 早いな、今日は朝練ないんだろ?」
「さよう、なれど拙者日直を患っておるゆえゲホゲホこれにて御免ゲホ!」
「いつから日直は持病になったんだよ」
謎の武士口調でおどける千尋にツッコミを入れる。
「先生から朝職員室に寄るように言われててさ。んじゃあ、行ってくるゲホ!」
「語尾か! じゃあ、いってら」
優等生も大変なんだなー。俺、先生に頼みごとされたことなんて一度もないし。
まぁされても無視するが。
テレビを見ながらもたもた食事をする内に、いつの間にか遅刻確定寸前の時刻になっており、少し焦りながら食事を胃に流し込んだ。急いで着替えて出発の準備を進める。
転がっている鞄をそのままつかんで「行ってきまーす」と玄関を出た。
学校は近所の公立高校、いつも通る住宅街と商店街を抜けるとすぐに見えてくる。
地面の凸凹すら覚えきった道を、朝のことを思いだしながらボケッと歩いていたが、
商店街にさしかかった頃、ふと違和感のある光景が目に入り俺は足を止めた。
場所に似つかわしくないコスプレのような格好の少女。
ファンタジーアニメの司祭のような服装をしている。
違和感の源から目を離せないで見つめていると、少女はゆっくりとこちらに歩み寄り、俺の正面まで来て立ち止まった。
そして俺にこう言ったのだ。
「マオウを……あなたはマオウを知りませんか?」